年齢に応じ自分が話したい相手を、自分が思うように受け取り、対話が可能な相手がいることは幸せな歳の重ね方なのだと改めて思う。
人間、歳を取れば取るほど、色々なことを経験し、色々なものを学び、色々なことを考えてくるものである。当然、その過ごした時間によって、自分の意見や考え方もできてくる。真面目に生きていれば生きているほど、自分が過ごした時間とその間に考えたことを今度は誰かに語って聞かせたくなるものであろう。
その聞かせる相手というのは、学校で先生と生徒という関係であったり、会社で上司と部下という関係であったり、家庭で夫婦や子供との間であったり、または友人間でのやり取りであるかもしれない。
もっと多くの人に聞いてもらいたいと思う欲求を向ける先は、現代であるならば、ブログでつづる文章になったりすることもあるだろう。
しかし、もっと多くの人に読んでもらいたいと思う人、もしくは周囲からその貴重な知識や考えを世の中に広めるべきだと声がかかる人には、やはり今までの様に、講演や書籍という形でその考えが世に広まっていく。
歳を重ね、社会的地位が高まれば、自分が考えていることを本という形で世に出すことがより容易になっていく人もいるのであろうが、本当に幸福なのは自分が伝えたいという内容を、自分が伝えたいと思う相手、もしくはそれを正しく受け取ってくれるであろう相手に向けて発することが出来ることだろうと思わずにいられない。
そのタイトルに引かれ手にとった本も、読んで見ると「これをわざわざ世に発する必要が本当にあったのか?本にする必要が本当に重要だと著者が真剣に考えていたのか?」と思うような内容の本に出くわした時の失望は相当に大きい。
夫婦でも、職場でも、友人でも、自ら年齢を重ね、自ら積み重ねる経験や知識に比例して、思考する内容を共に共有し、対話を重ねることのできる相手が身近にいる。そんな歳の重ね方をしたいものである。
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