2014年2月11日火曜日

分厚い最低保障

日本に戻っている間に、高校の同窓会の世話人が集まって、次回の同窓会の打合せと称した集まりを開いた。そこに国会議員となった同級生も来たので、「日本はこれからどうなっていくのだろうか?」について話をする。

彼が言うには、「多くの人が貧困だ、貧しいとか言うが、今の日本で餓死者がでているか?世界でこれだけ豊かで、死の心配をしなくて良い国は他にはない。それは政府が努力をしてきた結果に違いない」という。

高齢者の孤独死や、若年貧困層が生活保護を受給できずに貧困生活から抜け出せない問題などもちろんまだまだ個別ケースで貧困に関わる事は多くあるのだろうが、確かにそれも一理あると思いながら聞いていた。

普段から、日本人は朝から晩まで、大多数の人がドロップオフすることなく、全うなサラリーマンとして会社勤めをし、その真面目さでそれなりの知識を得て、しっかりとした社会人のマナーを身につけて仕事をし、社内や社外での人間関係に神経をすり減らしながら一生懸命働いている。朝の地下鉄や、終電で乗り合わせる人を見ると、誰もが疲れ果てているようにしか見えない。

それだけ真面目に働いているにも関わらず、ヨーロッパのどこかの国の様に、「経済危機だ」といいながら、夏には皆バケーションとして南の島に大移動する、なんという豊かさ。

一方日本ではあんなに一生懸命、真面目にあれだけ長い事働いているのに、家賃、健康保険、国民年金、光熱費、住民税等々、生きる事の必要経費でほとんど手元に残らない。その中でもできる楽しみを見つけて、文句も言わずに今日も電車に乗って通勤する。

そんな中で生きていると、やはり家賃や健康保険などが本当に適正な金額から外れ、必要以上に吸い上げられてしまっているのではと思いたくなるのが人の常。土地や建物を持つ者だけが、システムとして下部層からできるだけ多くのお金を奪っていく。そんな一面もあるのだが、彼の言ったことを考えると恐らく違った一面も見えてくる。

日本人が日本で生きていくうえで保障されている生活の基礎部分が世界に比べてどれだけ手厚いかという問題。しっかりと手続きさえ踏まえれば受けられる行政サービスは多様に渡り、生活保護もしっかりと需給条件さえ満たせれば、生活するのに十分な額が支給されるようになっている。

医療や高齢者介護、障害者や教育。それらの制度と維持すべき施設。そしてその分野で働いている人々への賃金。保障する最低基準の生活が、世界基準で見れば相当に豊かな生活になってしまっている事実。それほど手厚い保障が施される国。それを維持する為にどれだけ多くの税金が投入されていくことか。

もちろん本当に精査していき、現在の社会に適した内容に変更していく必要もあったりし、かかる費用を落としていける部分もあるのだろうが、もう一つの側面は、成長期に合わせて、人口が増えていく想定の中で様々な制度が作られてきた中、その前提がガラッと変わり、制度を維持するだけの力が国になくなってきてしまった以上、「今までのような手厚い保障を続けていく事はできません。それに健康的に生きていくには今よりも低い水準でも現代日本では十分可能なはずです」と政府は正直に言う時期に入ってきているのだろうと思う。

それに合わせて大幅に制度を変えて、教育や住まう場所は提供し多様性をもった保障の形を作りだし、これからの日本の国の規模に適した、多様な生き方を許容でき、かつての良き時代の利権を維持するだけの搾取構造から脱却し、適正価格を社会で見つけていけるような時代が訪れて欲しいと願わずにいられない。

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