2021年5月2日日曜日

先鋒廈地水田書店(先锋厦地水田书店 / Paddy Field Bookstore)_Trace Architecture Office TAO_2019


隔離無しで国際間移動ができるのはまだまだ先になるだろうから、感染がある程度落ち着いている中国国内で、久々に足を延ばして少し前から気になっていた建築を五一の休みを使って観に行くことにした。
 
その建築というのは、本屋をいかに文化を学ぶ場所としてこの国で広げていくという信念をもって、 南京で始まった先鋒書店という小さな本屋。本当に数坪の店舗から始まり、もともとあった建築や場所の特性に沿った特色ある本屋の在り方を探索しつつ、様々な文化イベントを店内で開催したりと、書店という枠組みを超えて、多くの年代から支持されるようになったという。日本の蔦屋や台湾の誠品書店に見られるような、本を中心にしてファッションや、食、生活用品などジャンルを超えた文化やデザインに出会える場所として書店を再定義していく流れは中国でも数年前から様々な店舗で見られていたが、この先鋒書店どうも違うようである。

南京のある店舗はかつて地下駐車場となっていた場所を書店にコンバージョン、かつて科挙の行われた貢院を書店にして、学ぶことの意味を問いかけたりしている一方で、都市以外の場所、特に若者が減っている農村地域において、古い民家をリノベーションし、地域における文化拠点を作り、新しい人の流れと雇用を生み出しているという。

その農村で展開された書店の一つがこの先鋒廈地水田書店(先锋厦地水田书店 / Paddy Field Bookstore)。設計を手掛けたのは北京に事務所を構える、 Trace Architecture Office (TAO) 。主宰するのは 华黎(ファ・リー Huá Lí) という 清華大学出身の建築家。中国で建築に関わっていれば、知らない人はいないのではというくらい、よく知られた建築家である。


华黎(ファ・リー Huá Lí)


沖縄でもその名の庭園があるほど、日本とも縁の深い福建省の省都である福州から車で約3時間かけ、寧徳市屏南県廈地村というというかなり田舎へ。のどかな風景の中、車を止められる場所から水田の脇の道を歩いて目的地の農村へ。傾斜地に密集する農村の一番底部に位置する民家をリノベーションしたようで、細い農道を伝っていくと水田を背景とした書店が迎えてくれる。

         




ネット上でもすでに人気スポットという意味の打卡地(ダーカーディー /dǎ Kǎ dì)で広く紹介されるなどしているためか、多くの観光客も訪れている様子である。書店の中にも外にも、いかにも地域の小学生という子供たちがスケッチブックをもって風景の絵を描いている脇を通り書店内部へ。

一階部分は中央に位置する二つの階段下部にトイレや倉庫が配置され、周辺に本屋、雑貨などが陳列される。趣の違う二つの階段で上がる二階は書架と閲覧テーブルの並ぶ手前部分と、ガラス張りで外の風景が見える後部のカフェ部分に分かれている。更に3階に上がると、屋根に覆われたテラスに出て、中央の天窓やその周辺の排水溝などのプリミティブなディテールを見ることができる。屋根には中央と四周にスカイライトが設けられている為に、内部では中央の階段の上から日が落ちるとともに、周辺の吹き抜けとなった塗り壁にも光が落ちて、壁の表情がよく見えるようになっている。





















外に広がる水田もちょうどよい散策コースになっており、よく見ると水田の中に農民の姿や舩を象った案山子のアート作品が設置されている。ぐるりと巡っていくと、小さな看板に「カフェはあちら」とか、「民宿」といった案内がされており、この書店が拠点となり、観光客の受け入れのための付随的な施設がポツポツと農村の中に派生してきているようである。




書店の前の水田には田植えをする人を象った案山子のアート作品が展示されている






斜面を流れる川沿いに発生した村であるようで、川に沿って上流に行くとあちこちに観光客が。その流れを避けるように、集落の一番上まで向かい、連なる屋根の景色を見てみる。ぐるりと集落をめぐって川沿いを降りてくると、先ほどとは逆方面から書店に出くわすようにできている。冷たいコーヒーを飲みながら、急速に進む都市化にばかり目が行きがちな中国でも、こうしてコンテクストを読み解きながら、丁寧な改修をおこない、そっと建築を挿入することで、地域にとって大きな意味を生み出すプロジェクトもまた存在するということは、もっと海外からも注目されるべきだろうと思いながら帰路につく。

書店の山側には川沿いを中心に地形にそって集落が広がっている







福州への帰り道、近くの街でも中国の各地で見られるような大規模な住宅開発の様子を車内から眺める。南向きの典型的なマンションが機械的に立ち並び、その脇には平米何万元という大きな広告。この場所がどんな地域であるかも関係なくもたらされる典型な平面と外観。自然に手を加え、そこから金を生み出すものすごい欲望の姿と、土地から場所性を奪っていく小さな都市化にげんなりしながら、西に落ちていく夕日を眺める。

 

2021年1月1日金曜日

 

               よい一年になりますように

2020年5月28日木曜日

「代表的日本人」 内村鑑三 1894 ★ ★ ★ ★

1894年に始まる日清戦争に向かっていく日本のことを何とか世界に正しく理解してもらおうと意図し英語にて日本人とは何かを書いた「Representative Men of Japan /代表的日本人」が出版され、それを日本語としてまとめたのがこの一冊。

日本を理解してもらおうと思った時に、自分がこの人こそはと思う5人を紹介し、その生き様や信念を通して、日本を感じてもらおうとするこの心意気もさる事ながら、33歳の若さですでに自分の中に確固たる日本の像を持ち、それを体現する人を長い歴史の中から5人明確に選ぶという姿勢にただただ圧倒される。そして自分なら誰を5人として選ぶだろうか。歴史上の人を選べるほど、その人を深く知り、理解しているだろうかと思い悩む。

西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮

共通点を見出すのは難しいが、何人かは強い思想を持った師に若い時期に出会い、影響を受け、自らの進む道を確立し、その後はその信念に添いながら行動を続けていく。そのブレない姿が一番の共通項なのではと思いながら、自分にとっての代表的日本人を考えると共に、自分にとっての師が誰だったのか、そして自分が信じる道とはどんなもので、これからどう進むのか、そんなことを考える時間をくれる一冊であろう。

2020年5月25日月曜日

「螢川・泥の河」 宮本輝 1978 ★★★★


家の近くに流れる川沿いを夕方になると走っていると、川の表面が日によって微妙に違う表情を見せることに気が付く。昨日は清んで日を反射していたのに、今日は淀んでいるなと。

そんなことを思いながらのそのそと走っていると、突然「バシャッ」と大きな音がして、目を向けると大きな波紋が広がっていく。川の主のような顔をして、普段はゆっくりと大きな灰色の身体をうねらせながら、水面近くを行き来するあの鯉が、水面近くを飛ぶ昆虫に飛びつき、びっくりするような跳躍力を発揮したところだろう。

波紋が落ち着いてくると、悠々と身体をうねらすあの鯉の姿も捉えられ、これこそ泥の河の「お化け鯉」だなと思いながら、重い足をなんとか前に進める。

宮本輝の名前はよく聞くので、読んで気になっていたけど、久々に手に取り、じっくりと考えるとやはり読んでないようであり、せっかくの機会だからと読んでみたが、流石作家デビュー作で、太宰治賞も受賞した「泥の河」。そして翌年に芥川賞を受賞した「蛍川」。後の「道頓堀川」と併せて、川三部作と呼ばれているらしいが、どちらもとても素晴らしく、読み応えのある作品であった。

夜のポンポン船の上で、サワガニに油を飲ませて火をつけ、カニが水面に落ちていく姿を眺める様子や、やっと辿り着いた蛍の繁殖地で目にした、雪が巻き上がるような蛍の嵐の様子は、鮮やかな色で目の前に広がるようななんとも不思議な体験を呼び起こす描写は圧巻。

どちらの作品にも漂う背徳感やエロス。そして子供の中で育成される、ドロドロとした社会への眼差し。

「鬱金色のさざめきが川面で煌めいていた」という言葉など、生々しい主題にも関わらず、全体的に品を感じさせるのは、作家が過ごしてきた時間の濃度がさせるのだろうかと思いながら、川の近くに住んでみるのもまた悪くないだろうなと思いながら、三部作の残りの一冊である道頓堀川を楽しみにする。

2020年5月18日月曜日

「江戸と江戸城」内藤昌 2013 ★★★


人生の中で一番自分にとって「都市」とは何かを考える対象となると、やはり自らが生活をし、関わってきた場所になる。そうなると必然的にその数も限られてくるが、その中でも最も影響を受けて、かつ自分にとっての都市のイメージをつくっているのはやはり東京であろう。自分の中で都市とは何かを考える上で、それは同時に東京とは何かを考えるとこから始め、そしてその地層の深いところで東京を形どっている江戸を考えることであるということで手にした一冊。

あまりに大きすぎて、その中に自分の生活に関係する場所が島としてプカプカ漂っているような捉えどころんないような都市・東京。新宿、池袋、渋谷、六本木、上野など、各拠点駅周辺がそれだけで一つの都市のような規模を持ち、それを抱え込む東京となると、イメージもつかめない巨大な都市。

更にスプロールし、隣接する神奈川や埼玉、千葉などと境目なくダラダラと伸びるアメーバのような、全体像を見せてくれない、そんな印象を与える東京であるが、やはり世界のどの都市とも違った独特のリズムや雰囲気を持っているのもまた事実。

その東京の魅力、東京を東京という都市にしている要素は一体何か?それを考える為に、アースダイバーとは言わないが、都市としての東京の祖先にあたる江戸にフォーカスし、どう江戸が都市として開発され、整備されていったのか?そしてその中でどの部分が現代に繋がっているのかをじっくりと研究し、まとめた江戸・東京に関する一冊。

京都を中心とした江戸以前。機内周辺に設けられた関所のうち、美濃国の不破関、伊勢国の鈴鹿関、越前国の愛発関を総称し三関(さんげん)と呼ばれ、その東に位置するから関の東、「関東」と総称されていたというから、今から考えたら酷くざっくりした認識であった。

江戸湾に流れ込む川によって形作られた大地と谷の繰り返す地形に、中世都市の江戸を作ったのが太田道灌。その道灌の江戸の地政学的な将来性を見抜き、1590年に不利な条件と思われた関東移封を受け入れ1590年8月1日、陰暦の朔日、つまり八朔の吉日に江戸城に家康が入城したところから江戸の未来が東京へと道が繋がり始める。

徳川幕府を開設し、世の中が安定するとともに、諸大名の妻子が江戸住まいをすることと、参勤交代、その二つが全国の諸大名が広大な屋敷を江戸に構え、それに伴い家臣達も江戸に居を構え、その需要を満たすために多くの商人や職人も江戸に移住をしたことで、江戸が都市へと変貌していく。

そして1657年の明暦の大火 (めいれきのたいか)。江戸の6割を焼いたこの火災により、大々的な都市改造、都市開発が始まっていく。それは江戸城周辺に火除け地を設ける為に御三家や大名屋敷を転出させ、同時に寺社地も場所を移すことで、都市の構造を作っていく。

その後半世紀経った7代将軍吉宗時代の享保の改革において、更に瓦屋根や外壁全体を漆喰で塗り、木造の柱などを覆ってしまう 塗屋造などの耐火建築の一般化が行われ、都市全体が火災に対して強化されていく。

京都に習い、鬼門と裏鬼門に重要な寺院である寛永寺と増上寺を配し、徐々にスプロールする都市の範囲を朱引で江戸内外を確定させ、人返しで人口抑制をしたなどとみると、都市を運営する方法は違えと、根本的な問題点は今もあまり変わらないのだと分かる。

江戸城を中心に張り巡らされた水路と、放射状に延びる街道、その交差点に配された各門と計画的に配された寺社。それらによって描かれる右渦巻状の都市構造。それが江戸の骨格となり、それは今も変わることなく、東京の骨格として引き継がれる。

こうしてみると今の東京のあちこちが、少しだけであるが、うっすらとその全貌を見せてくれているような気がする。この右渦巻状の骨格に対し、次は明治の都市開発がどのような変化をつけて、その後の大正・昭和へとつながり、その後の平成・令和においてさらに東京がどのような都市へと変貌したのか、じっくりと観ていくことにする。
三関(さんげん) 

台地と谷地

2020年5月17日日曜日

「後世への最大遺物・デンマルク国の話」内村鑑三 1894 ★★★★★



「100分 de 名著」で内村鑑三の「代表的日本人」を観ていた時に姉妹本として紹介されていた一冊。それ以来気になって、ブックオフに行くたびに探していたがついに見つけた。

題名にあるように、二編収められており、「後世への最大遺物」は内村が33歳の時の明治27年の夏、箱根で開催されたキリスト教夏季学校での講和として話された内容をまとめたもの。

1894年に始まる日清戦争に向かっていく日本のことを何とか世界に正しく理解してもらおうと意図し英語にて日本人とは何かを書いた 「Representative Men of Japan /代表的日本人」が出版されたのは同じく1894年。

1904年から始まる日露戦争前に同じように英語にて日本とは、日本人とはを世界に紹介しようとして刊行された岡倉天心の「The Book of Tea/茶の本」が1906年に、そして新渡戸稲造の「Bushido: The Soul of japan/武士道」が1900年に刊行されているのが、その先駆けと言える明治期の著書である「代表的日本人」であるが、英語で著述する内村の語学力の高さと、そのタイミングで日本の本心を世界に紹介しなければいけないと察する、国際感覚の強さには驚くが、更に驚くことは1861年生まれの内村は 「代表的日本人」を書きあげた際にはまだ33歳という若さ。

そしてその33歳の夏に行ったのがこの「後世への最大遺物」の講和であり、時期的に必然的に 「代表的日本人」 の内容とリンクするという訳である。 一方は世界に向けて、日本とは、日本人とは何かを伝えるもので、もう一方はこの世界に生きる上で、どんなものを後世に残すべきかと人間としての問題を考えるもの。

本書の中で内村は、

「私は今より30年生きようとは思いません。しかし、この書は30年あるいはそれ以上生き残ることもあるでしょう」

と語る。そしてこれが語られた1894年から100年以上の時を経て、自分もまたこの書を読み、いろいろなことを考えさせられている。内村の言葉の通りになっている訳であり、この書がこうして生き残っている訳である。

後世に残す最大遺産として彼があげるのが、金、事業、思想。その中でも思想については、著述をするか、学生を教えることだとし、いくら高名な学者であっても、それがイコールで人に教えることができるとは限らず、学問と教えることの違いを指摘する。

そして自分には金を稼ぐ才能もなく、金を使う事業を起こす才能もなく、文学をすることも、誰かに教えることもできない人間はどうしたらいいかというと、最後の勇ましい高尚な生涯を残すべきと希望を残す。

文中で引用される天文学者ハーシャルの言葉「死ぬときには生まれた時よりも世の中を少し良くして往こう」。この言葉のように、後の世に、何か自分で残して世を去りたいと思い、考えること。

小さなころに感銘を受けたという頼山陽の詩など、それぞれの注釈を読んでいくと、33歳の内村がどれだけ深い知識を持ち、自分の中でじっくり消化しているかが良くわかる。

この本を書いた時の内村の年齢を遥に超えてはいるが、それでもこの本を読めたことはとてもこれからの生き方に意味を与えてくれる一冊になるだろうと思いつつ、二宮金次郎に負けないくらい、勇ましく生きていこうと100年前から元気をもらって気がしてページを閉じる。

「くっすん大黒」 町田康 1997 ★★★


町田康と辻仁成。どうもこの二人のイメージがいつまでたってもごっちゃになってしまう。

バンドをやっていることや、作家として活動していること、そして同じ年に 芥川賞の候補に挙がり、受賞時期は違えど二人とも芥川賞作家となったことも。これだけ揃えばごっちゃになるのもしょうがないと諦め、楽しみながら読めそうだと手に取った町田康のデビュー作。読み始めると、ダメ男だけども、どこか人の好さと正直さで、なんとも憎めないアラサー男の周囲で起こるドタバタ劇が何とも愛嬌があって、楽しみながらページを捲る。

「くっすん大黒」では、突然毎日ダラダラして生活したいなと思い仕事を辞めてしまい、言葉通り毎日酒を飲んではダラダラと生活する男が、安物の大黒様の人形が気に食わず、捨てようと思うが、捨て場所やそのシチュエーションに拘りながら、街をさまよう。

「河原のアパラ」ではレジに並ぶ時はフォーク並びをするべきと拘りの強めの男が、癖の強い女性と一緒に働くうどん屋で問題が発生し、転がり混んだ居候先で紹介される遺骨搬送の仕事を一緒に手伝うことになる。

共通してるのは、アラサーと思われる少々拘りの強い男が、少し年下であるが、ちょっと抜けていながら一緒に何かを共有して楽しめる連れがいること。

「くっすん大黒」 の菊池と夜の浜辺ではしゃいでいる様子は、なんだか時間を持て余した大学生感満載で、なんとも微笑ましい。

「河原のアパラ」の淀川とすったもんだの末にたどり着く歓楽街を経て、河原に座ってボッーとしている姿などは、楽しいことも無茶も一緒に共有してくれる連れが何人かいれば、人生はそれほど思い悩むことなく進めるものなんだと、そんな気分にしてくれる若々しい一冊であろう。