2014年6月3日火曜日

「ゼロ・グラビティ」アルフォンソ・キュアロン 2013 ★

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2014年(第86回)アカデミー賞 監督賞、撮影賞など7部門受賞
2014年(第71回)ゴールデングローブ賞 監督賞受賞
2014年(第67回)英国アカデミー賞 監督賞受賞
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アカデミー賞で最多部門を受賞したと何かと話題のこの映画。恐らく宣伝で映画の内容は理解できてしまっていると思われる、それほど深いストーリーでは無いと思いながらせっかくなので鑑賞してみる事にする。

サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーを主演に配し、無重力状態で作業をする宇宙飛行士が、事故で宇宙空間に投げ出される極限状態を描き出す。

無重力に宇宙空間という多くの観客にとって未知の空間。その恐怖をどれだけ表現できるか。地球上とはまったく違った物理が支配する空間で、以下に人間が非力な存在となるのか、その中で地球上と同じ肉体で向き合わなければいけない宇宙飛行士。その極限名精神状態。

そんな誰も描いたことのない映像を作り出すことに、映像の世界に身をおくプロフェッショナルとしてどれだけ魅力を感じるかは想像に難くない。しかし、これだけCGが発達し、現実の世界では見ることができない世界を見せ付けられている現代人にとっては、やはり映像の新鮮さもさることながら、それを成立させる物語に、宇宙空間での事故によって一人で立ち向かわなければいけない状態というものからもう一つ深さがあればと思わずにいられない。

恐らくそれが、監督賞の受賞にとどまっている各賞レースの結果にも現れているのだろうと想像する。

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スタッフ
監督アルフォンソ・キュアロン
製作アルフォンソ・キュアロン、デビッド・ハイマン
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キャスト
サンドラ・ブロック ライアン・ストーン
ジョージ・クルーニー マット・コワルスキー
エド・ハリス ミッションコントロール(声)
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作品データ
原題 Gravity
製作年 2013年
製作国 アメリカ
配給 ワーナー・ブラザース映画
上映時間 91分
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「ドミノ」 恩田陸 2004 ★

貫井徳郎による「乱反射」を思い出させる群像劇。

一見無関係な人々が、些細なことで繋がって、ある事件の一点に収束していくその求心力。無関係な人々がそれぞれが主役として自らの日常を生きている大都市で生活をしていたら、何かのきっかけで横をすれ違うまったく接点のなかった人たちが巻き込まれていく物語を書きたくなる衝動はなんとなく理解できる気がする。

それが都市の魅力でもあるから。まったく接点を持たない人と、ある日突然関係を持つことになる可能性があること。それが良い関係も悪い関係もあるのが都市。

だからこそ多くの作家がこの群像劇に引かれ、それを題材として自らの想像力を駆使し、今まで誰も描かなかった収束点、個として散らばっていた点をつなげ、物語の中に徐々に線を引いていき、最後には広大な面を展開してみたい。その欲求は非常に理解できる。

しかし、群像を関係づけて、バラバラに見ていた事象を物語として昇華させる。その点が主題になってしまい、決して強い物語の背景がある訳ではなく、作家としてテクニックを競う舞台となってしまうのがこの群像劇の難しさ。

そしてこの一作もまた、これだけ多く関係性の無い登場人物を、最初から最後まで頭の中で理解し、使い分けで読み進めろと読者に共用するのはあまりにも自分勝手な振る舞いなのではと思わずにいられない。

そりゃ自分はそのアイデアに興奮し、妄想し、何ヶ月もかけて登場人物を作り上げ、それぞれを結ぶ線を作り出し、徐々にそれらの線を編みこんで面にしていく作業を繰り返しているからこそ、各登場人物を把握することが可能だが、それを真っ白なところからいきなり理解してついて来いというスタンスはやはり好きにはなれないと理解する一作である。

「アバウト・タイム 愛おしい時間について」 リチャード・カーティス 2013 ★★

これだけ飛行機での移動が日常的になってきた世界においては、映画を見る機会が最も多いのは飛行機の中なのではないかと思わずにいられない。人が映画を見る機会の最も多い場所は一体どこなのか?同じ映画を映画館で見た人、DVDで自宅で見た人、そして飛行機の中で見た人の割合をぜひともどこかの調査会社で調べて見て欲しいものである。

つまりは映画を作る側としても、こうして飛行機の中で見られることをある程度前提として映画を作ることも起こってくるだろう。一体それが映画業界にどんな変化をもたらすのだろうかと思いを馳せる。

北京からベニスで行われる建築ビエンナーレに参加するために、スイス航空で乗り換え地のチューリッヒに向かう長距離フライト。手元には建築の専門書を2冊、新書を2冊、そして文庫本を1冊と移動時間を有効活用するために普段なかなか読み進められない読書の準備をして、そしてフライト時間から考えて何が見れるかを映画のリストから探し出す。

「ラブ・アクチュアリー」の監督で、舞台がロンドン、そしてビル・ナイが出てるとなるとこれは見逃せないと選んだのがこの一本。そのほのぼのとした雰囲気からは想像できないが、タイム・トラベル系の内容。過去に戻れることで、人生の中でよりよい選択を積み重ねることができる主人公。

それでも描かれるのは時間をやり直すことができるからこそ理解できる、一回きりの人生のすばらしさ。そしてその人生の中で一回きりで出会った大切な人々。過去に戻れるから、時間をやり直せるからかどうかではなくて、誰でも自分の人生がどれだけ価値のあるもので、それが一回きりしか得ることのできない時間なのだと意識して「今」を過ごすこと。「今」を積み重ねること。そんなメッセージを感じながらも、役は変われど演技は変わらないビル・ナイに癒されながら見終えることができる一作である。

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スタッフ
監督 リチャード・カーティス
脚本 リチャード・カーティス
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キャスト
ティム・レイク  ドーナル・グリーソン
メアリー  レイチェル・マクアダムス
父さん (ティムの父)  ビル・ナイ
キット・カット (ティムの妹)  リディア・ウィルソン
ハリー  トム・ホランダー
シャーロット  マーゴット・ロビー
母さん (ティムの母)  リンジー・ダンカン
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作品データ
原題 About Time
製作年 2013年
製作国 イギリス
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不安症

本日から少々長い出張で家を空けることになる。朝早い便の為に夜が明けきらないうちにタクシーを呼んで、大きなトランクとともに出発することになる。

空港までの道すがら、ふと思う。

「あれ、日本の携帯電話入れたかな?」

トランクに入れたバックの中に入れたはずなのだが、車を止めてもらってトランクを開けるのはかなりの手間だが、空港に到着して万が一入れ忘れているのが発覚したらもう取りに戻る時間は無い。どうしよう・・・

などと少々不安になる。確実に先日読んだ奥田英朗の「イン・ザ・プール」の影響が見て取れる。「いつまでたっても」で描かれる、家のガスを止めたか不安でしょうがなくなる主人公。不安症に悩まされて何もできなくなってしまう。

出る前にリストを元に確認作業をしたから持ってきているに間違いないと自分を言い聞かせ、もう一つはたとえもって無くても誰も死ぬことは無いと開き直る。過剰な確認行為の先にまっているのは、更なる不安症に間違いない。ならばいっそ開き直って生きるしかないと自分を言い聞かせて目をつぶることにする。

2014年6月2日月曜日

脳の偉大さ

朝、電動スクーターに乗って出勤する。その間にこういうブログに書くような他愛のないことに思いを巡らす。スクーターに乗っている時間はせいぜい10分から15分。それでも頭の中で巡る考えは圧倒的に多くのことが瞬時に展開していく。

同じことは頭の中で考えたことを言葉にして誰かに伝えようとする時にも実感する。自分一人、頭の中で考えていればどんなに複雑なことも、どんなに込み入ったことも、どんなに言葉というメディアに乗せにくいことも、一瞬でしかも同時並行で様々なことがスパークするように頭の中で展開する。

脳の中では一々言葉にしなくてよいので、曖昧な抽象的なイメージを持って考えが展開していく。しかし一度その思考の工程を誰か別の人に伝えるためには、曖昧なイメージからどうしても具体的な言語の力を借りなければいけない。

まずは自分の曖昧なイメージを具体的な言語に対応させる作業に時間がかかり、その時点ですでにかなり失われたしまった意味を何とか補充しようと、様々な言葉を駆使して意味の流れを、つまり文脈を作っていかなければいけない。自分ひとりの脳の中でなら、イメージからイメージへ、最終的な結論すら言葉にすることなくとも、自分で納得できてしまう。

その為に誰かに何かを伝えようとすることは大きなストレスを感じる作業であるのは間違いない。頭の中で考えたことはほんの一瞬の出来事。しかしそれを言葉で説明するには数十分かかってしまう。なんと非効率な作業なのであろうか。

つまりはそれだけ人間の脳というものが、複雑な事象を瞬時に捉えることができる非常に優れたデバイスであるということ。多様な事象を抽象的なイメージでしかも同時にいくつものことを平行して進めながら、ポイントごとにつなぎ合わせて新たなる意味を紡いでいく。

そうして世の中を眺めて見る。他の人を眺めて見ると、まったく違った世界が見えてくる。ぼーっとしているような人でも、ひょっとしたら頭の中でも自分が取りうる行動に対し、数多の可能性を検討し、それぞれにどのような結果が起こるかをシュミレーションし、その結果何もしないことを選択しているのかもしれない。

道端で一日中座っているおばさんも、ひょっとしたらその頭の中では現代社会の問題点に思いを馳せ、その原因と解決法に対し様々な思いを馳せているのかもしれない。その横のおじさんは、この世の始まりに対して終わることない思考を巡らせているのかも知れない。

それは外から見えない。だからこそ、頭の中でどれだけ思考を行っているか、その差はその人の一生として相当に大きな差となって現れてくるだろう。

本当に何も考えずにただただ動物的に日常をお腹が減っただとか、眠くなった、心地がいいなどと欲望に突き動かされて生きている人と、脳の中で様々な思考を巡らせて時間の過ごし方、人生のあり方、自らの生き方、社会の在り方に思いを馳せている人とでは、行動一つとっても大きな違いが現れるに違いない。

そう思いながら、できるだけ能動的にそして効率的に与えられた脳を活用し、思慮深い行動を行いながら少しでも実りの多い人生へとつながるようにしなければと、オフィスに到着してスクーターを駐車しながら思考を一度停止させることにする。

アメリカの強さ

日本の地方の衰退と、少数の大都市の拡大。そして全体的な国の縮小という複雑な現象を様々な本や番組で見ていると、改めてアメリカの国家としての強さを思わずにいられない。

日本の様に東京という一点のみが他の全ての人材や機会を吸い上げる図式とは違い、アメリカはNYを筆頭に、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴ、各地域に十分世界規模といえる都市圏が形成されている。

そして多くのアメリカ人と話してみても、誰もが盲目的に上を目指すのならNYに行かなければいけない。そうでなければ所詮二線級での勝負にしかならないとは思っていないことである。

日本では、上を目指すなら、勝負をするなら、機会を得るなら東京に行くしかないという洗脳ともいえるメディアによる刷り込みが憚る。域内総生産順リストという、都市圏における経済活動を示す値を元に、世界中の都市のトップ100を見ていくと、日本からは東京が1位とされているが、全体としては下記の4都市圏がランクインのみとなっている。

域内総生産順リスト

1 東京 
7 大阪-神戸 
18 名古屋 
51 福岡-北九州 

それに引き換えアメリカを見てみると下記の様になんと23都市もがランクインしていることになる。

2 ニューヨーク 
3 ロサンゼルス 
8 シカゴ 
14 ワシントンD.C. 
16 ヒューストン 
17 ダラス  
22 フィラデルフィア 
24 ボストン 
27 サンフランシスコ 
34 アトランタ 
39 マイアミ 
41 シアトル 
48 フェニックス 
49 ミネアポリス 
50 サンディエゴ 
52 デトロイト 
74 ボルチモア 
75 デンバー  
78 サンノゼ 
83 リバーサイド 
86 ポートランド 
89 セントルイス 
99 タンパ 

もちろん国土の広さ、そして人口の多さも関係するが、限られた数点の中心がその国の経済、人材、可能性、職業機会を全て吸い上げてしまう構図になっている日本に比べ、地域拠点都市が十分に世界レベルで通用しているという多中心な構図を持つアメリカは、国の中に多様性を包括し、環境の変化にもいくつかの都市が生き残りまた新たなる中心を構築していくのだろうと想像させる。

そうして見てみると中国もまた同じような様相を見せている。

10 上海 
13 北京 
19 香港 
25 広州 
26 天津 
28 深セン  
33 蘇州  
35 重慶 
53 杭州 
55 成都 
56 無錫  
57 武漢 
59 仏山 
60 青島 
64 大連 
68 瀋陽 
70 南京 
73 寧波 
77 長沙 
81 唐山 
94 鄭州 
95 煙台 
100 東莞 

アメリカ同様、上から下まで非常にバランスよく都市が分散している様子が見て取れる。つまり国の中に様々な場所で、その場所に合った規模の都市がしっかりと地域の拠点として役割を果たし、そこからダイレクトに世界の市場へと直結していることで、人材の流動性を確保しつつ、様々なイノベーションを起こす可能性を持ちえている。

東京と大阪という東西二つの巨大都市。その二つが世界規模であるだけに、日本ではこの二つの都市に入り込まなければ世界への道筋が見えてこないという閉塞感が漂う。日本が今後、国として都市の多様性を持ちつつ、すべてがリトル東京にならずに、地域の拠点として特色のある都市を育て、東京に行かなくてもその地域拠点都市から直に世界へと活躍の場を広げる機会を得ることができる。

世界と地方都市がダイレクトに結ばれることで様々な人材が流出入し、そこから新しい価値観、新しいイノベーションが生まれていく。その土壌作りができるかどうかが、これからの日本之100年を占うことにつながるのだろうと心から思わずにいられない。

「東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム」 東浩紀 北田暁大 2007 ★


なかなか面白そうな二人の著者が東京を語るというので興味を持って手にしたのはいいが、読み終わるのに3年近くかけてしまった一冊・・・

世に溢れている「下流社会」や「ファスト風土」など、危機感を煽るのはどうしてもマーケティング視点からの郊外への分析が多いなか、社会学者として十分な実績を持つ二人の学者がどう本丸の東京を分析し語るのか楽しみな一冊である。

内容を見ていくが、渋谷、青葉台、足立区、池袋と多中心都市として都市の中にさらに小さな都市を内包し、それぞれの場所性を作り出している東京らしく、それぞれの場所から東京を眺めるという手法と取っているのは目新しいのかと思われる。

しかし全体として、どうして東京がこれほど掴みどころのないのにも関わらず、世界中の他の都市が作り出すことのできない不思議な魅力を持ちえているのか。そして現在の東京の課題とは何か、それを克服し次のステップの東京の都市としての姿とは何かというような視点がまったく無く、あくまでも対談として二人の社会学者が好き勝手話している中から東京を読み解くヒントがでてくるのではという感じに終わってしまっている。

やはり未熟でも思いを持って、何年もの時間をかけて自分なりのテーマや主題をもとに東京に立ち向かい、少なくとも新しい見方を描き出し、自分なりの課題を設定し、より魅力的な、少しでもベターな東京の姿を示し、そのために建築や都市計画ができること、行政や経済界からのどのような協力が必要になってくるのか。そんな情熱を一冊にまとめた本のほうがやはり読み応え的には適わないのだろうと納得してしまう一冊。

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1 渋谷から都市を考える
/東京のサブカルチャー的多様性 
個性がある街が減りつつある
アキハバラの再開発 下北沢の再開発計画
21世紀の都市の理念で「個性ある街」が必要とされているのか
複数の小都市が集まったモザイク都市
趣味が街を作る

/「ヴァーチャルな地元」としての渋谷
ヴァーチャルな地元
東京への帰属心
認知しうる最大の都会
横浜というのは一個の地方都市 東京の郊外ではない
藤沢や座間は「横浜の郊外」

/自足した地方都市・横浜
他のいわゆる「地方都市」とちょっと違う 東京に対するコンプレックス、あるいは自らのローカリティに対する恥じらい、みたいなものをあまり持っていないように見える

/子供とクルマは郊外生活の必需品
中目黒は「子無し、非地元民」にとっての居場所が山ほどある
ライフスタイルの中に車

/渋谷のモザイク感
西武=パルコが演出した広告都市としての渋谷
オタクの秋葉原とおしゃれな渋谷の二項対立

/匿名的な「新しい地元」
ストリート=第4空間
地域でも家庭でも学校でもない

/「ニート的」環境をめぐる議論
松原隆一郎さん
ニートのライフスタイルはコンビニやファミレスと結びついている ダイソーがあってセブンイレブン デニーズ
それないに最低限「快適」な 僕の言葉で言えば「動物的」な けっこう安価で提供されている環境

/失効した東京論
建築が都市風景を決定していない
いま都市や東京について語ることの意味がわからない

/広告都市と広告郊外
東京の郊外の新興住宅地 いままでひとがすんでいなくて何の物語もないところ デベロッパーが新しい物語を被せて作られていく
住宅を買うだけではなく、ライフスタイルを買うことであり また物語を買うこと 等級田園都市線

2 青葉台から郊外を考える
/青葉台はいつ誕生したのか
集団下校
タブのアンテナ
子供見守りサービス

/「トゥルーマン・ショー」的な住宅街
似たような世代の似たような階層の人たちが一斉入居
画一的
規範的

/街に隙間が無い
郊外居住地に寝泊りするだけの「大人ー通勤者」的な観点

/「郊外」のヴァリエーション
区別
「国道16号線的」な郊外
大型ショッピングセンター ロードサイドショップ 均質空間 松原隆一郎 80年代
★ 自動車による移動を前提とした消費空間を生み出し、駅前商店街のような歴史性のある消費空間を解体していく。駅前は寂れて国道沿いが栄えている、という地方都市は実に多い。
改正都市計画法 床面積1万平方メートル超のスーパーとかの郊外進出が抑制される
「失われた景観」
どこへ行っても同じ風景、都市機能
似たような階層に所属する人が、非多様なライフスタイルを実践するために作られたテーマパーク それが郊外

/「広告都市」と「広告郊外」の対応関係
広告都市・東京
渋谷が広告都市で青葉台が広告郊外
73年から76年におかけての線開発、77年から80年にかけての面開発、81年以降の広域開発
来訪者の「回遊性」 ぐるぐる年を歩き回る

3 足立区から格差を考える
/記号的空間と動物的空間
渋谷が「ジャスコ的」 恵比寿
お台場のヴィーナスフォート
テーマパーク的 「記号的に閉じられた空間」

/なぜ、ガーデンプレイスは「ジャスコ的」に見えるのか 
文化資本高い感
西欧という記号性
大崎と同じく「工場の街」だった恵比寿
スカイウォーク
「外部」を遮断する

/経済資本と文化資本の切断
昔は金持ちに教養があったのは、百科事典なりピアノなりが高かったから
情報へのアクセスを制限されることは稀になってきている
一方では凄い金持ちでもジャージ着て歩いているし、逆に年収200-300万円の生活水準でも、それなりに豊かな文化生活を送ることができるようになっている。

/「下流社会」への疑問
サブカルチャー神話解体
マーケティング的な分類学
ネットとゲームに没頭して、ポテトチップスを食べているようなライフスタイルを「下流」の典型


/経済格差を覆い隠す装置
ライフスタイルの格差が「見えにくい」
富の格差とライフスタイルの格差が連動しなくなっている
同じ都市風景画見えないデータの下ではまったく違う街に見えてきたりする

/億ションとジャスコ
東雲キャナルコート 
地区はもと工場地帯ですから、商店街なんて無いわけです。住民の生命線は、併設されているジャスコ
ジャスコが生命線


4 池袋から個性を考える
/池袋と西武
東京郊外の私鉄沿線の住民はターミナルで行動範囲が限定される

/北京の都市再開発 
テーマパーク 二種類のものが指されている 幻想の共有 広告都市、下北沢のテーマパーク セキュリティとバリアフリーが徹底されて人間工学的なテーマパーク
松原隆一郎さんはそういう「工学」を批判している

職能集団の街
セキュリティ 防犯や防災

/なぜ漫画家は中央線沿線に集まるのか
ある時期以降の東京においては「趣味」とういものが、街を形成していく上で重要なファクターになった。コミュニティ・オブ・インタレスト
秋葉原、下北沢、原宿、渋谷
専門性が街を作る

/風景の東西格差
風景画「都心内郊外」と「職能集団の街」に分裂する

5 東京からネイションを考える
/都市を覆う人間工学的デザイン
コスト感覚で決まる
大勢としては、街の記憶を犠牲にして、低コストでセキュリティやアクセシビリティを確保する人間工学的なデザインが都市を覆っていくのは、もやは避けられないと思うわけ
国道16号線的な光景も、実際にはそうやって選ばれている。

/「バックラッシュ」言説が支持される理由
結婚は一種の契約なので解消できる
しかし親子は契約ではない

/「共感」はいかに生み出されるか
「小さな共感可能性」
みんながみんなドゥルーズとかバトラーとかラクラウ=ムフとかの難解な言葉を振り回して抽象的な議論を展開しているわけじゃない

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1 渋谷から都市を考える
/東京の東西差
/東京のサブカルチャー的多様性 
/「ヴァーチャルな地元」としての渋谷
/自足した地方都市・横浜
/横浜での中高時代
/ヴァーチャルな渋谷、リアルな郊外
/西荻は「昭和テーマパーク」
/子供とクルマは郊外生活の必需品
/地方都市の視点からの渋谷論
/渋谷のモザイク感
/口コミ情報と「ぴあMAP」
/ヴァーチャルな地元意識
/匿名的な「新しい地元」
/「ニート的」環境をめぐる議論
/「第4空間」としての都市
/「ぴあ」から「散歩の達人」へ
/「散歩の質」の変化
/失効した東京論
/広告都市と広告郊外
/ライフスタイルの闘争

2 青葉台から郊外を考える
/青葉台はいつ誕生したのか
/駅前風景の変遷 
/「トゥルーマン・ショー」的な住宅街
/街に隙間が無い
/均質性の中の差異
/オンデマンドバスからICタグまで
/「郊外」のヴァリエーション
/ジャスコ的郊外とロハス的郊外
/「広告都市」と「広告郊外」の対応関係
/シミュラークル・シティは風俗を排除する
/共同幻想で造られた街
/成城のセキュリティ
/ジャスコーTSUTAYA的空間の侵入
/シミュラークルからストリートへ
/秋葉原と渋谷の共通性
/渋谷もまたジャスコ化する

3 足立区から格差を考える
/記号的空間と動物的空間
/なぜ、ガーデンプレイスは「ジャスコ的」に見えるのか 
/「デパ地下ブーム」が象徴すること
/経済資本と文化資本の切断
/足立区の就学支援
/東西格差の深刻化
/「下流社会」への疑問
/経済格差を覆い隠す装置
/アーカイブ化する六本木
/億ションとジャスコ
/「ジャスコ化」を免れる街はどこか
/足立区と荒川区の差異
/文化-経済-土地の結びつきが崩れる

4 池袋から個性を考える
/池袋と西武
/北京の都市再開発 
/北京の「韓流」タウン
/ヴァーチャル化するエスニック・タウン
/均質な風景とヴァーチャルな多様性
/下北沢再開発をどう捕らえるか
/開発計画の問題点
/何が街の個性を奪うのか
/「世代の町」下北沢
/「若者の通過点」としての都市空間
/シミュラークル的テーマパークと人間工学的テーマパーク
/郊外的風景の侵食
/職能集団の街
/なぜ漫画家は中央線沿線に集まるのか
/風景の東西格差
/都市の記憶喪失に抗して
/都市内郊外のダイナミズム
/もはや「危険な街」は存在しない
/都市のセキュリティ化の背景
/ゴミ出し問題と環境管理

5 東京からネイションを考える
/都市を覆う人間工学的デザイン
/ネイション形成の身体的動機 
/ネイションと世代的再生産
/「バックラッシュ」言説が支持される理由
/「リベラリズムの外部」としての生殖
/リベラリズムは「家族」をどう捉えたのか
/少子化問題がナショナリズムと結びつくとき
/「観念的ナショナリズム」から「血のナショナリズム」へ
/嫌韓分析の問題点
/「生物学的制約」にどう対峙するか
/丸山眞男ブームの背景
/「ローティ的共感」の可能性
/共感可能性の限界?
/「共感」はいかに生み出されるか
/再帰性か、動物性か

/あとがき 北田暁大
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