2021年11月24日水曜日

シンドラー・ハウス Schindler house and studio_ルドルフ・シンドラー Rudolf Schindler_1922 ★★★

 


ルドルフ・シンドラー(Rudolf Schindler)

フランク・ロイド・ライトに憧れて、ヨーロッパのオーストリアからアメリカに渡り、ライト事務所で働いていたシンドラー。ライトがロサンゼルスで進めるホリーホック・ハウスの担当をするが、その時ライトは重要プロジェクトである帝国ホテルのプロジェクトの為に日本に思う居ていたために、ほとんどのプロジェクトを担当者として設計を行ったのがこのシンドラー。
 
オーストリアではオットー・ワーグナーやアドルフ・ロースから建築を学び、同級生にはリチャード・ノイトラもいたという建築界のエリート。当時台頭しつつあったアメリカの現代建築に思いを馳せ、海を渡りシカゴで建築家としてのキャリアを開始し、ついに憧れであったライトの事務所で働けるようになるシンドラー。ホリーホック・ハウスなどいくつかの作品をライトの下で手掛け、そのままロサンゼルスで独立し、すぐに手掛けたのがこの自宅兼スタジオ。
 
ライトもどっぷりとはまっていた日本の木造建築の影響は、そのままシンドラーにも色濃く受け継がれており、木造建築の持つ繊細なサッシと水平線。襖の様な引き戸に、障子を思わせるような細かなサッシなど、日本人が訪れたら、このどこがミッドセンチュリーの名作建築なんだ?と思ってしまうような既視感と感じる懐かしさ。 基本的には当時シンドラーが好んだプレキャストのコンクリートパネルの床と壁によって、そこに繊細な木製の建具が挿入され、ライトの大地から生まれたような力強い素材性と、間仕切りの曖昧で、緩くだが配置と外部との関係性で空間を緩く繋ぐ日本建築らしい空間配置が、シンドラー独特の空間を作り出している。
 
妻のポーリン(Pauline)もデザイナーであったため、二人の為のアトリエと、自宅として毎日ここで生活が行われた為に、二人がどのような空間を理想と考え、そして育てていったかが良く分かる住宅。決して派手なことはしていないが、それぞれの空間に美意識と思想が表現されて、どの時代になっても古く感じない、そんな自邸であるだろう。




















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