邯鄲に行くならどんな史跡が残っているのかとネットで調べると、一番に出てくるのが「黄梁夢呂仙祠」。どうやらお寺の名前のようであるが、いまいち分かりにくい。よくよく調べてみると、こちらも良く耳にする「邯鄲の夢」と関係があるようである。
というわけで「邯鄲の夢」であるが、「邯鄲の枕(かんたんのまくら)」や「黄梁一炊夢(こうりょういっすいむ)」とも呼ばれ、中国の唐時代の沈既済による小説『枕中記(ちんちゅうき)』の故事の一つという。話の内容は、
唐の時代に蘆生という若者が科挙の試験に向かう途中、邯鄲の北にある道士の呂翁の小屋で休ませてもらった。人生を嘆いていた蘆生だったが、呂翁の差し出す青磁の枕に横たわって休ませてもらう。
その後、蘆生は名家の妻を娶り、科挙に合格し、中央官僚へと出世をする。一度は左遷されるが、数年後に呼び戻され大臣に就任。その後讒言によって牢獄に追いやられて自殺しようとするが、妻に止められ地方へ流された。数年後、無実の罪とわかり天子に呼び戻され、長官の位に就く。
そんな人も羨む人生を送った蘆生だが80歳を越して病死する。そして死んだと思ったとたん、ふと目が覚めると、呂翁の青磁の枕で夢を見ていたところである。波乱万丈の人生も、呂翁が作ってくれた粟ご飯が炊き上がるまでに僅かな時間でしかなかったと悟る。
というお話。芥川龍之介によって小説『黄梁夢(こうりょうむ)』として発表されたりと、日本でもよく耳にする故事である。その舞台がこの邯鄲にあり、どうやらその呂翁の小屋があった場所として伝えられているのがこの「黄梁夢呂仙祠」であり、様々な別名があり、かなりややこしいがその別名の一つが邯鄲古観(邯郸古观,Hándān gǔguān)であるらしい。
そんな詳しい事前調査をしている訳も無く、なんとなくその場所の名前をメモって現地に降り立つので、まずはタクシーの運転手とのやり取りで詳しい情報をもらうことに。彼の言うところによると、黄梁夢呂仙祠に行っても大して何も見るものも無く、邯鄲に来る多くの観光客は郊外にある浮城と呼ばれる広府古城に行くのが一般だという。
なにやら人の良さそうな運転手なので、色々話を聞いて、とりあえずまずは「黄梁夢呂仙祠」に向かうことに。こちらも市の中心から外れたところにあり、なんだかバラックの立ち並ぶような村を通る細い道を抜け、携帯で地図を確認しながらなんとか到着。入り口でタクシーに待っていてもらい、入館料の25元を払い中へ。「呂翁の小屋があった場所」ということで、なんとか昔の邸宅の雰囲気を出しているが、小雨に変わった霧で体温を奪われ、他の観光客の姿も誰一人としてを見ないのを感じ取り、そそくさと一回り見学をして外に出ると、おばさんが寄ってきて、「あのタクシーの駐車代。あんた払って頂戴よ」と数元を要求されタクシーに戻ると、「な、何も見るものないだろう?」と運転手。
「没什么可看的」と市内から25キロという広府古城へと向かってもらうことにする。
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