2015年4月14日火曜日

仕事量と仕事の質

世に氾濫する「仕事ができる」とはどういうことなのかと、日々のほとんどの時間を費やす仕事に向き合う上で考えなければならない。

一つはその人がある一定の時間に処理できる「仕事量」の問題。一日に一つしか物事を処理できない人間と、一日に5つの事柄を処理する人間では明らかに後者のほうが優秀となる。

そこに今度は質の問題が加わる。5つ処理しても、4つに問題があり、明日やり直しをするのなら、1日に一つ処理しても完璧に仕上げ、次の日にまた別の一つを処理する人間のほうがある一定の時間の枠内にては優秀となる。さらに後者が正確さを失わずに徐々に手際を高め、処理速度を上げていくことができればなお素晴らしいとなる。

つまりは、量と質を同時に高めていける人間が優秀といえる。
ミスによって重複を起こすのではなく、5つを確実に処理していく。

また仕事内容によっては、質と速度の求められるバランスが違う。できるだけ早く対応すべき内容。それともじっくり確実にミスの無いように対応すべき内容。今自分が向き合う事柄がどちらに属するのか理解して物事に当たる。

そこまでのベースが出来た上で次に向かうのは、一つの時間に何重もの意味を重ねること。つまり複数の事柄を同時進行していくこと。

時間には限界がある。一人の人間が一日に仕事に費やせる時間は、プライベートを犠牲にしてもせいぜい15時間前後。それ以上は持続することが困難となる。ならその時間をフル
につかっていくのだが、それでもたどり着ける限界がある。

では、それ以上を目指すとなると今度は一つの時間の中で何個も仕事を平行してこなしていくしかなくなる。メールを打ちながら次の段取りを考える。会議をしながらSNSで指示をする。移動の時間に資料をチェックする。

量と質を高め、時間を複層化する。

そういう風にどうすれば「効率化」をはかり「プロフェッショナル」として如何に自分の職業人としての技能を高めるかを考えながら日々に向かうものがいる一方、ただただ就労時間が終わるのを待つ人間がいるのも否めない。

効率や自分の能力を高め、少しでも目の前の作業を早く終え次に向かう、と言う意欲は無く、ただただ就業時間を苦痛の時間として捉え、なんとか仕事をしている様に見せかけ、注意を受けないようにやり過ごす。そういう労働者がいることもまた確か。

そういう人間を管理して、ちゃんと仕事をさせていくのは非常に手間と時間がかかり非効率である。なぜなら根本的な意欲と見据える先が違うため。職業人としての人生を生きる訳ではなく、あくまでも給与をもらう為に働いている。これは恐らくどの時代、どの社会においても起こること。

そこでも一番の不幸は、誰かれ構わず、同じ意欲と意識にて仕事に向き合うだろうという前提で人と仕事に向き合うこと。これが不幸を拡大させ、交わることなき平行線にて自らがさらに苦しむことになるだけである。

そんな訳で少なくとも自分の中で一つの結論に達し、次の事柄へと頭を切り替えることにする。

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