2012年11月3日土曜日

地元

「地元」

と言ったら、何を思い浮かべるのだろうか。

自分の育った場所はある小学校の学区に属し、それは同時により広域な中学校の学区に属し、さらに言えばより広域な高校の学区にも属する。高校は選択があるので、同じ地域でも幾つかの高校が円をオーバーラップさせながら班目模様を描くそんなイメージ。その全体は恐らく市という形を描き出す。

高校以降に大学進学などで生まれ育った場所を離れたりすれば、恐らくその全体としての市を地元として意識することが多くなるのだと思う。しかしそれは小・中学校のより小さい単位の「地元」のよって構成されているということを忘れる事はできない。

それは極めて同時に自らの人格構成の寄る場所としても同じことが言える。

自らの意思による選択と受験の結果によって通うことになり、似たり寄ったりの学習能力の生徒が集まることになる高校時代。それに対して、生まれ落ちた場所とダイレクトに結びつき、選択の余地なく放り込まれた多様性のある様々な家庭環境をもった人間の集まる小・中学校の地元。

小さな単位であるから逆にいるメンバーによって集団はどのようにも変化する。

そんなことを思う帰省。今年始めに逝った小・中の同級生の訃報をきっかけにSNS助けを借りて繋がりが広がった小・中同級生の輪。夏にあった同窓会に顔を出せず、前回の帰省で別途墓に手を合わせにおくために逝った彼の親友であった同級生と取り合う連絡。

そんな繋がりから仕事へと発展し再度の帰省で、その彼が声がけして集めてくれた懐かしい面々。地元で根をおろし新しい世代を形成する彼ら。JAという地元の横の繋がりが助けを借りながらも、着実に自分達の世代を形成し、力を蓄えているその姿に何ともいえない羨望を感じる。

そこに来てくれた別の同級生。恐らく年内になるだろうという総選挙に出る予定をしている今は政治家として活動する彼の登場で、現状の活動を聞きながらも「そりゃ、大変だな」などと言いながら、あーだこーだと話に花を咲かせる。そんな間にすっかり2時をまわり、「そろそろ」と代行に電話する姿を見ると、皆それぞれいいおっさんになったもんだと思いながらも、そんな「地元」に感謝を感じる秋の夜。



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