小学生の頃、家族旅行で行った鳥取砂丘。その風景にびっくりして、母親にせがんで買ってもらった砂時計。
20年以上の時を超えて、今では風呂場にてじっとり汗をかく3分をしめしてくれる。
そのサラサラと落ちる砂に思う。
春。
新入生の季節。
教室という生徒と教師の二つの時間が出会う場所。
生徒にとっては、いったいどんな一年になるのだろうか、どんな先生がくるのだろうか、そんな期待にあふれた一回きりのリニアな時間。
たとえるならば、砂時計。
上にある砂は未来。
下にある砂は過去。
サラサラと流れるものは現在。
それに対して、教師の時間は、生徒との関係においては一回きりのリニアな時間だが、学校というものの中では、4月に始まり3月に終わる、その一年のサイクルを再度今年も繰り返す。いわば壁掛け時計のように、グルリと一周して、元の場所に戻ってくる円環。
秋を過ぎるころには、何年か前の学園祭を思い出したり、
冬を過ぎるころには、昨年の学生の最後の発表を思い出したりと、
円環には、重ねた年月の匂いが染みつく。
そんな二つの時間が交わる場所が春の教室。
異なるシステムの混在が醸し出す緊張感。
それをテンションを保って一年を走り切って欲しいと思う春。
異なる軸やスパンで区切れる、一年だけではない自分なりの時間のオーダーを持つのも悪くないのではとふと思う。
そしてきっかり3分間。
砂時計をひっくり返す。
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