2013年7月7日日曜日

ハイキング:River Hike いつかザイルを持てるように ★★★★ 


仲間からのお誘いにのって、久々に参加することにしたハイキング。

厳しくなってきた日差しによる熱中症よりもよっぽど心配するのは、一緒に参加する妻のこと。ハイキング仲間との集まりにも顔を出しているので、「全然楽だから、心配せずに参加してよ!」と口説き落とされ、普段ほとんど運動というものをしないがついにその重い腰をあげることにした妻だが、日曜が近づくに連れて徐々にこちらも心配になってくる。

前回一人で参加したハイキングで、彼らの言う「普通」は、自分にとっても「相当ハード」だというのが嫌というほど身にしみたので相当心配していたが、それでも内容説明が「長いだけで、あとは川辺を歩くだけ」という言葉にすがるようにして、前日の夜より二人で弁当を用意し、バスの中で皆とも共有できるように日本製のお菓子を買い込み、前回のハイキングで多くの人が使っていた気になって帰国時に東京で買いこんできたハイドレーションを水のボトルに差し込んで、ばっちり使い方の確認。

前日の夜から鳴り響きだした雷雨が心配されたが、早朝に目を覚ますと雨の心配は無く、直射日光も遮ってくれそうなほど良い曇り空。「8時きっかりに出発するので遅れないように」という注意はこのメンバーにとっては問答無用で実行されるので、小走りで家の近くの集合場所に辿り着いたら案の定最後の二人。小さなバスに25人ギリギリ乗るので、遅く来たメンバーは必然的に真ん中の簡易椅子に座ることになる。

顔なじみの仲間が「あらー、ひさびさじゃない!」と声をかけてくれて、心配そうな妻に、「今日のハイキングは一番楽な部類だから絶対に心配ないよ」と安心させてくれる。はじめて会うメンバーを紹介され、すぐにバスは出発し、渋滞にはまることなく市内を抜けて明の十三陵の脇を抜けて更に奥地へ進む。

約2時間ほど走った後、唐突にバスが止まり、おのおの歩く準備をして降車。できるだけ身軽にしようと必要の無い本やお菓子はバスに置くが、それでも1.5リットルのペットボトルを二本にオレンジ3つ、おにぎりが8つ入ったお弁当に前日買いこんだ水辺様の二人分のCrocs、着替えに雨具とスティックなどなど、カリマーの40Lはパンパンに。ゆうに10キロは超えているリュックはずっしりと肩にのしかかるが、どうも他の人は小さなバッグのみのよう。

まぁできるだけ妻のバックを軽くしようとこちらにいれているからだろうと、ブッシュを抜けていくなかで手が擦り傷だらけになって前回懲りた反省を生かし持ってきていた手袋をはめて、もう一つの軍手を妻に渡し、カメラを片手にハイキング開始。

前回びっくりしたが、このハイキングはコースの説明も無く、予定の説明も無く、皆が気ままに歩いて決められた場所でランチをするというとてもラフな内容。したがってすべてが自己責任。

集団から遅れるのが一番怖いので、できるだけ真ん中くらいに位置をし、なんとか周囲の景色に意識が向くように妻に話しかけ、周りのメンバーに声をかけて、妻が会話をして疲れを感じずに集団についていけるようにと努めて歩く。

しかし、何十年も毎週のペースでハイキングに来ているメンバーに比べて、一般的に言っても運動不足の妻はやはり圧倒的な体力差があるようで、徐々に落ちてくるペースと減る言葉数。足を止めてこちらのリュックから伸びるハイドレーションで水を飲ませ、後続のメンバーに追い抜かされるのを気にしながら、できるだけ気分を持ち上げ先を進む。

最初の30分は軽い傾斜を行くのでよかったが、万里の長城の一部にぶつかり、その上を峰沿いにあるく段階に差し掛かると、その傾斜に普段あまり筋肉を使わない妻はグンとペースが落ちて、激しい呼吸とものすごい汗をかき始める。そんな時にさしかかる大きな岩場。全身を使って岩の間を滑り降りるようなかなり危険な場所を抜けるのに相当な体力を使い、最後尾で歩いていた女性二人も無事に乗り越えられるかを見届ける。

そうこうしていたら、集団ははるか先にいってしまって姿が見えなくなってくる。日本の様に登山道が綺麗に整備されていて、「ここを歩いていけば大丈夫ですよ」的な道は無く、あくまでも何となく道らしき隙間が広がっているところを抜けていくので、集団から離れてしまうと道に迷う可能性が相当高くなる。

しかも車道から相当離れたこの場所ではどうやって抜け出ていっていいかも分からないので、先を行く人の鮮やかなリュックの色を見失わないようにと気にしながら、妻を含む最後尾の3名のケアをしながら気が焦る。「これはまずいな・・・」と思い出し、前を行くメンバーに声をかけ待っていてもらうことに。そのアメリカ人に事情を話し、一緒に歩いてもらうことにする。

それでも、頂上のうねるような壁を登って辿り着くタワー部分。そしてまた下っては次の上り。そしてタワー。その上りが這いながら手を使って昇るほどの急斜面。一歩足を踏み外せば数メートルの下まで落ちてしまう緊張感。その中で、開始1時間で既に息は切れ、膝は笑い、足は振るえるようになってきている妻は集中力も失い始め相当に厳しそうな表情に。

急かさないように妻のリュックに入っていたもう一本のペットボトルを自分のリュックに移しできるだけ重量を減らす。十分に休憩を取りながら水を与え、自分のペースで足を進めるようにと声をかける。少しでもバランスをとるのに役立つようにとスティックが必要な場所は渡し、両手を使っていかないといけない所はスティックを受け取りながら、先ほどのアメリカ人と二人の女性も既に先に行ってしまっているので、できるだけ先を行く人との距離を広げすぎないようにと気をはりながら足を進める。

「後、どれだけ・・・」と息も切れ切れに聞く妻の様子は既に限界のようで、「リタイアするにしても、車道まで抜け出ることは二人ではできないし、引き返すのもまた地獄だし・・・」と困り始めていると、前方でこちらを振り向きながら待っていてくれているオーガナイザーの一人。

彼はいつも静かに皆を見守っている70歳を超えるイスラエル人のデン。恐らく前を行く仲間から事情を聞いて、心配して待っていてくれたようで、自分のペースは御構い無しに、「自分の好きなだけ休んで、水分をとって、好きなペースで歩けばいい。一緒に歩くから心配しないで」と。

「あのタワーまで行ったら休もう。日陰でエナジーを回復しよう。甘いものをとった方がいいから。」とタッパーに入れた冷えたメロンをくれる。急かすことはなく。ただ優しくケアしながらそこにいてくれる。

そんな励ましに支えられながら、少しでも足を進める妻。しかしそれでも体力の限界は超えているようで、5歩進んでは腰に手をあてて、足を止めてしまい、肩で息をしながら先を見つめる。

その様子を見ながら、「To be honest, I don't think she can make it」と相談すると「いや She will make it. We will walk together.」と力強く言ってくれる。その言葉を聞くとなんだか出来そうな気がしてくるし、ほろっと泣けそうにもなってくる。

きっとヒマラヤ登頂を目指すレベルの人たちも、同じ様な会話があるのだろうと勝手に想像する。レベルは違えどそれぞれのレベルでそれぞれの限界があり、その限界を頑張って超えて行くこと。その繰り返し。つまりは大切なのは、どんなレベルでもそこで足を止め、諦めてしまったら、そこが本当の限界になってしまい、その先には何もないんだと思わされる。

恐らく前とは30分近い差が開き、前方集団も心配しているだろうと思うが、我々二人とデンの三人で、会話も無くただ黙々と足を進め、水を飲み、木々を掻き分け、岩を降りるのを繰り替えす。

こんな状況の時は日常では感じられない多くのことが身に沁みる。身体が辛いから足を止める。少し足を止め息を整える。自分にとっては一瞬のはずだが、その数秒。前を見るとさっきまですぐそこを歩いていた背中が随分先に行ってしまっている。それを数回繰り返すと、既に前を行く集団は木々の中に隠れて分からなくなる。そうなると、自分でペースを決めなくてはならず、さらに厳しくなる一方である。つまりどんなに遅くなっても足は止めずに、ゆっくりでも足は動かし続けるべきである。

デンに励まされ、やっと前方で待っててくれたグループに追いつくが、グループは崖を下って川辺まで行ってランチを取るというが、デンの進めもあって日影に腰を下ろし、十分に身体を休めることにする。水分をとって、汗を拭き、呼吸を整える。また差し出してくれるメロン。決して冷えている訳ではないが、火照った身体を冷やす効果は抜群。

15分ほど休むと妻も随分回復したようで、なんとか先に言っている皆のところまで行こうと歩き出す。しかし使い切った筋力は簡単には戻らないようで、今度は下る坂道でうまく身体を支えられず、下りの岩場でどのように身体を動かしていいのか慣れていないようで、お尻をついてはおっかなびっくりすべるように降りていく。どこに足をかけ、どういうバランスで身体をホールドするかというようなものは、やはり教えられるようなものではなく、こうして経験して感覚を掴むしかなく、人生の中で辛い思いをして次はこうしようと学んでいくものなんだと実感する。

そんなこんなで到着する水辺のランチ場所。先に進んでいた皆は既にランチを終えて、楽しそうに水遊び。そこにフラフラになって到着する我々。食欲も無ければ時間も無いので、兎に角オレンジだけむいて、水分とビタミンの補給をした、あっという間に休憩時間の終了。ここからは水の中を歩くので、靴を替えるか必要があるというので、用意していたCrocsに履き替えると、それを見ていた友人が、「水にぬれた岩がすべるので、しっかりとグリップできないようなら、今までの登山靴で靴下を脱いだ方がいい」と的確なアドバイスをくれて、二人揃って指示通りに。

気の知れたその仲間にこっそりと「妻が相当疲れてしまっているので、リタイヤも視野に入れているが、まずは一緒にゆっくり歩いて声掛けをしてもらえるか」と頼みこみ、「もちろん、まずはいけるところまでゆっくり歩いてみよう」と何人に励まされながら足を進める。

が、一発目の水際の岩をよじ登ろうとした妻は前からステンと転んでしまい、あわやの事態に。それで気持ちも折れてしまったようで、オーガナイザーの一人であるベルギー人のルークも交えて相談するが、「リタイヤするにも先頭をいくもう一人のオーガナイザーに聞かないとどう抜け出ていいか、どうやってバスにピックアップしてもらうか分からないし、この先はそんなにアップダウンも無いので、僕らも一緒に歩くので気をつけていけば絶対に歩ききれるから」とまたも励まされ、もう一度気力を持ち直して歩き出す妻。

その後もやく2時間かけて水辺の岩場を歩き、すべる岩場を上に上ってずっとリュックの上に載せていたザイルをたらして、グループのメンバーだけでなく、関係ない人たちも上から引っ張りあげているルークの姿に助けられ、代わる代わる声をかけに来てくれるメンバーに助けられ、なんとかなんとか最後まで辿り着く。

ヘトヘトになりながら、先についていたデンに「お陰で歩ききれたよ。ありがとう」と話しかけている妻の姿を見て、恐らく「夜のピクニック」以上に多くのことを学んだんだろうと想いを馳せる。

「サバイバビリティー」と簡単に言ってしまうが、現代の日本人のほとんどがぬくぬくとした温室育ちの現在。それに比べてまだまだ海外の人は、こうして自然の中で身体を鍛えるアクティビティーが人生の一部になっている。 

その中で、如何に普通だと思っている現代社会の生活では、人体があるべき運動を行える状態、生命維持に必要な体力や筋力を保持することがどれだけ難しいのか。日常を生きているだけでは、間違いなく低下する体力と筋力。ただ現代社会の中ではそれに向き合う機会がないので知らず知らずに時を過ぎてしまうが、鍛えているのとそうではないのでは大きな差となって先に現れる。そして大概気がついたときは既に取り戻すことが出来ないほどの距離となってしまっている。

体力や筋力、気力が足りないということは、もちろん仕事をする上でも不利になる。また、人生を楽しむ上でも大きな負担にもなる。それを避けるためには、日常の中に自分が苦しいと思う負荷をどれだけかけることができるか、それが問われてくることになる。

妻とも話していたが、こういう状況は妻だけでなく、現在の日本人、多く見積もっても半数は、日常の中でほとんど運動をしないタイプに入るのではと想像する。特に女性はもっと多いのではないだろうか。綺麗に着飾り、美味しいものを食べ、身体的苦痛や負担を共わなくても得られる喜びだけを得る生活。

身体を鍛えることなく、下手すれば大学卒業、いや高校卒業から一切身体に負荷をかけることなく過ごしてきている。それでは精神も弱くなる訳である。恐らく昔は畑仕事などで、日常の中に必然としてあった鍛錬によって養われていた精神的強さ。それもなくなってしまった現代。

こういう経験をして、「体力と気力のベースが違う」と最初から自分に言い訳をするよりも、そんな暇があれば少しでも自分を鍛え、少しでも距離を稼ぐこと。言い訳をしながら遠ざかる背中を見ながら自分の心を納得させるよりも、達成感に向け足を進めること。

歩き終えた今は、まだまだフラフラで分かりづらいだろうが、暫くするとどれだけ周りに助けられたか、どれだけ皆が強く優しいかを知ることになるのだろう。皆が気をかけてくれ、心配して戻って来てくれ、励ましてくれる。

「大人になる」とは強くなることで、自分が辛い時にもグッと堪えて周りの人のケアを出切ること。そのために多くの我慢もしなければいけないし、精神も身体も年相応に鍛えないといけない。ザイルを上から引っ張っていたルークは、自分ひとりならザイルなんて必要ないはずだが、他の人のためにそれを持ってきて、ずっとリュックの上に載せて歩き、先に行くことをせずに、困難を抱える人を助けて最後にザイルをしまい、また歩き出す。

自分が出切ることで人を助けられるなら決してそれを惜しまない。

そんな風に時間を過ごし、しっかりと大人へと変わっていく人に比べ、何か困難があればすぐに引きこもる現代の日本のニート達。生活保護から抜け出せないと気力がなくなってしまう人々。「そりゃ、働けないだろう」と思わずにいられない。

一度楽をすることを覚えてしまったら、一度足を止めてしまったら、再開するのは続けていくよりもよっぽど気力も体力も必要になってしまう。それなのに身体も精神も逃げて、それを維持することもできずに、ただひたすらに堕ちていく。それでは厳しいだろうなと思わずにいれらない。

今日出来なかったことが明日できるようになるのが成長。
出来ないことに逃げずに向き合うことがその第一歩。

そんなことを話しながら、手をつけれずにいた弁当箱を空けて、二人には多すぎる残り物は「今夜の夕食にするしかないかもね・・・」などと話していると、興味深そうに覗いてくる面々。「良かったら、片付けるの手伝ってよ」と言うと、10人くらいがいっせいに手を伸ばしてくる。

ウインナー、トマト、から揚げにおにぎりと、まるで露天商のような人気者に。

「あなたが、あのでっかいリュックを背負ってた人ね!やっと分かったよ、その理由が!」

と言われながら、「こっちのゆで卵は何がスペシャルなの?」と聞かれながら、7分きっちりで半熟になったゆで卵5つもあっという間に無くなる。

声をかけ励ましてくれて一緒に歩いた面々とも、名前を交換し、どれくらい北京にいるのか、どこに住んでいるのかなど、すっかり会話が弾み、友達をつくったらしい妻を見ながら、「Good food makes friend」と隣のドイツ人と話をする。

食後にはこちらもあまっていたお菓子を大奮発すると、「何でも出てくるリュックだなー」と嬉しそうに、遠慮無しに更に手を伸ばすメンバー達。クーラーボックスで冷やされたビールのつまみに塩分の利いたプリッツを食べながらやっとハイキングの終わりを感じる。

バスのに乗り込んで最後にと、不二家の飴をあげると「まだあったのかー??」と。

そして「どんだけ重いの背負って歩いたんだ・・・」と逆に心配されながら、皆ウトウトと眠りに落ちる。

バスを降りるときにもわざわざ待っていて、「美味しいものをありがとう」と声をかけてくれる面々。身体中に広がる疲労感が少しだけ心地いいものに変わっていくのを感じながら、いつか自分もザイルを持てるくらいに強くなろうと心に誓い、妻と二人で家路に着く日曜の夕暮れ時。























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