2013年7月20日土曜日

熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ) 不明 ★★★


--------------------------------------------------------
所在地 和歌山県田辺市本宮町本宮
主祭神 家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)
社格  官幣大社、別表神社
本殿の様式 入母屋造
創建   不明
機能   寺社
--------------------------------------------------------
世界遺産
--------------------------------------------------------
熊野街道をひた走り、やっとぶつかった熊野川。看板に指示されるままに、その道を左に曲がり新宮川沿いに暫く走ると見えてくるのが、古来より多くの参拝客の目的地として君臨してきた熊野三山の首座であり、熊野信仰の中心となる熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)。

熊野古道を徒歩で歩き、辿りついた人にとってはその感慨はどれだけ大きいか想像に難くない。それほどの思いをする山道を抜けて、やっと広がる風景の中にうっそうと広がる森。否が応でも気分は高まるばかり。

流石に世界遺産にも登録された場所だけに無料の駐車場も広く完備されており、観光客と思われる人々の間を抜けて、開いてるスペースへ車を入れ、水を補給していざ参拝へ。

八咫烏の幟とセットになった如何にも雰囲気のある鳥居。まっすぐに山を上がっていくかのような参道の両脇には「熊野大権現」と書かれたの白旗がはためく。砂利の敷かれた参道を突っ切ると見えてくる階段。その階段を登りきると正面に神門が見えてくる。

しかしこの境内の雰囲気。右の社務所では随分関連グッズが売られ、境内のいたるところに看板が置かれており、想像に反して随分と観光化されてしまっている感じが漂っている。

もっと厳かな雰囲気を想像していたので「あれれ?」とあっけにとられながら、神門をくぐると、正面に見えるはずの社殿が工事中のシートを被せられ、横の看板を読むと、「社殿屋根葺き替え工事」だという。

「何もこのタイミングでやること無いのに・・・」と当たるに当たれない気持ちを抑えながら、「ここに神様がいることに変わりは無いはずなのに、参拝する対象が見えないこと、本来見えるべき対象が隠されることがこれほど心理的に大きな喪失感を与えるとは・・・」と意外な発見をしながら、がっくり感を抑えきれないままに、左の第一殿から順に四殿すべてにお参りをする。

『伊勢へ七度、熊野へ三度』

と古代から言われるように、この熊野本宮大社は熊野速玉大社、熊野那智大社と共に、熊野三山(くまのさんざん)と呼ばれ、熊野信仰の中心地であり、日本全国ある熊野神社の総本社である。

田辺から熊野本宮に向かう中辺路(なかへち)、田辺から海岸線沿いに那智・新宮へ向かう大辺路(おおへち)、高野山から熊野本宮へ向かう小辺路(こへち)が、「熊野参詣道」として世界遺産に登録されているのでも有名で、来る途中にも道端に段階世代を思われる夫婦の姿をチラチラ見かけた。

多くの参詣者が歩いたとされる熊野参詣道・中辺路。その道の途中途中にあるのが、「○○王子(おうじ)」と呼ばれる熊野古道沿いに在する神社。それらの経てたどり着くのがこの熊野本宮大社。それから熊野川を下って速玉大社、那智大社へとめぐるのが、熊野詣での昔からのコースだったという。

ちなみにこの本宮大社の社殿は当初から現在地にあったのではなく、少し南に行った熊野川と音無川、岩田川が合流する中州にあったが、1889年の大洪水で倒壊したため、1891年に現在の地に移されたという。その元々社殿が建っていた場所を大斎原(おおゆのはら)と呼び、現在では大きな鳥居が建っているのでも有名。

当時は上、中、下の三社で構成されており、そこから熊野三所権現と呼ばれる。その三社はそれぞれ四殿からなり、十二殿で祭神が祀られていたことから、熊野十二社権現とも呼ばれたという。

そんな訳で、今度はしっかりと社殿の姿を見れる時に、ぜひとも熊野古道を歩いて辿りつこうと心に決めて、神門を潜り大斎原へと向かうことにする。













0 件のコメント: