2013年7月24日水曜日

東福寺(とうふくじ) 1236 ★★★★


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所在地 京都府京都市東山区本町
別称  お西さん
山号  慧日山(えにちさん)
宗派  臨済宗東福寺派
寺格  大本山、京都五山四位
創建  1236
開基  九条道家
機能  寺社
文化財 三門(国宝)
作庭年代 1939
作庭  重森三玲
庭園形式 枯山水庭園
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百寺巡礼
日本の建築空間掲載 (龍吟庵方丈)(りょうぎんあん)
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お腹を満たし、カメラの予備の電池を持って、気持ちに余裕を取り返して向かう先は長らく行きたくてそれでも行けてなかった東福寺。観光スポットからやや離れたところにあるので、どうしてもメインどころ中心の行程からは外れがちになってしまうが、京都でも間違いなくトップ5に数えられる名庭園が待っている。

朝方に相談したホテルのコンシェルジェに再度相談すると、東福寺は閉まってしまうのが早いはずなので電話して聞いてみると。「なんて、気が利くんだ・・・」と、気を利かせることの対極の国で生活をしているので、なおさら心に沁みる。ついでといってはあれだが、南禅寺の参拝時間も確認してもらい、なかなか時間が厳しいことに気がついて、「この時間からだとバスで行っていたら東福寺すら怪しくなります」というので急いでタクシーに乗り込む。

東山区というわりに、結構南に下り、「これはバスで来ていたら確実にアウトだったな」と思いながらやっと到着。やはりあまり多くはない観光客の姿。

この東福寺(とうふくじ)。臨済宗東福寺派の大本山。という臨済宗。言わずと知れた禅宗の一つで本家中国では、唐に始まり北宋時代にピークを迎える大乗仏教の一派。鎌倉時代に宋時代である中国に渡り、その教えを持ち帰った栄西によって広められた。

鎌倉時代に日本に入った臨済宗は時の鎌倉幕府、その後の室町幕府など武家によって重んじられて発展を遂げ多くの寺院が作られるようになる。それによって天竜寺派・相国寺派・建仁寺派・南禅寺派・妙心寺派・建長寺派・東福寺派・大徳寺派・円覚寺派・永源寺派・方広寺派・国泰寺派・仏通寺派・向嶽寺派の14寺派が生まれることになる。

そういう訳で、臨済宗○○派というお寺が沢山あることになるのだが、それらを管理する意味でも、五山十刹が作られる。どんな時代でも人はランキングが好きなもので、数多あるものの中から、その道のプロに「これはいいんです」と順位をつけてもらえると安心感を持って選ぶことが出来る。そういう訳ではないだろうが、

臨済宗は時の武家政権に支持され、政治・文化に重んじられた。とくに室町幕府により保護・管理され、五山十刹が生まれた。寺の格付けの制度である五山制度(ござんせいど)とは、日本にてはこの臨済宗の寺に適応される制度で、上から、五山・十刹・諸山・林下と区分されている。

時は鎌倉幕府(1192ー1333)なので、まずは北条氏が鎌倉の寺を格付けするのに使用された。そのランキングは以下の通り。

鎌倉五山
建長寺 - 第一位 臨済宗建長寺派の大本山
円覚寺 - 第二位 臨済宗円覚寺派の大本山
寿福寺 - 第三位 臨済宗建長寺派
浄智寺 - 第四位 臨済宗円覚寺派
浄妙寺 - 第五位 臨済宗建長寺派

その後、室町時代(1338ー1573)に入り、政治の中心が鎌倉から京都に移るにつれて、京都にも多くの臨済宗の寺院が作られる。数多くなった寺院を整理するために、今度は京都五山が制定される。紆余曲折を経た後に安定するのは以下の通り。

南禅寺 - 別格  臨済宗南禅寺派大本山
天龍寺 - 第一位 臨済宗天龍寺派大本山
相国寺 - 第二位 臨済宗相国寺派大本山
建仁寺 - 第三位 臨済宗建仁寺派大本山
東福寺 - 第四位 臨済宗東福寺派大本山
万寿寺 - 第五位 東福寺の塔頭

「別格・・・?」と思ってしまうが、とにもかくもこの京都五山の四位に位置づけられるのがこの東福寺。その寺名は奈良の東大寺、興福寺の二大寺から1字ずつ取って「東福寺」とされた寺院であり、25か塔頭(山内寺院)を有する巨大寺院である。

その様に前置きの長くなってしまうデカイ境内。とりあえず閉まってしまうまでに参拝だけでも確定させておこうと受付っぽい所に向かうことにする。受付のおばさんに聞くと、やはり16:00に閉まると言う。「この通天橋・開山堂も閉まってしまうが、後ろの方丈の方が早く見て回れるので、まずあちらに行って入場券を買って見てきて貰った方がいい」というので、とりあえず、通天橋・開山堂の入園料400円を支払い、中に入る前に方丈に向かって方丈庭園入園料400円を支払い中へ向かう。

この方丈は1890年の再建された建物で、なんと言っても見所はその庭園。日本の庭園の歴史に名を刻む近代の名匠・重森三玲(しげもりみれい)により1938年に作庭され、東西南北の四周にそれぞれ違った趣の庭園が配されている。

鎌倉時代に建立された寺院だが、今見られる庭園は昭和の作庭。これが様々な時代を超えて存在する京都の歴史。4つの庭合わせて八相の庭と命名される、水を使わず石や砂などを使って山水を表現する枯山水庭園である。

まずは南庭。方丈に入って一番最小に目に飛び込んでくるのがこの庭園。「これぞ京都」そう思わずにいられない素晴らしい世界観。細長い敷地に対し、手前に石を使って表現される島々。そして奥に進むにつれて現れる緑の島々。まさに大海原。

その次に巡るのが西庭。比較的こじんまりとした庭であるが、緑のカーペットと白砂の海原の上に綺麗に刈り込まれたさつきが浮かび上がる。

その次の角を曲がると見えてくるのが北庭。敷石が市松模様に配され、その間に苔がこんもりと盛り上がって、とても不思議な立体感を作りだす。

そして最後の東庭。この庭の前の縁側空間では、浴衣に身を包んだ地元の人と思われる何人かが、ゆったりと流れ時間を過ごしている姿が印象的。我々の様に閉館時間を気にしながら駆け足で見ていくのではなく、「今日はこの庭」と決めて、その前で何をするでもなく、ただただ微妙に変化していくその色合いをぼぅーと眺めるような贅沢な時間の使い方。

それが本当の贅沢なんだろうと理解しながらも、今の自分にはまだまだその粋には到着していないと後ろ髪を引かれながらも先に進む。ちなみにこの東庭は、柱石の余材を利用し北斗七星を表す北斗の庭。

どれも味わい深いが、やはり何といっても南庭が一番作者が時間をかけ、魂をかけて設計した庭であるのが良く伝わってくる。塀により世界を仕切り、その中に無限の世界を作り出す。ミニチュアではないノンスケールの世界。必要最低限まで削ぎ落とされたなかの豊饒さ。そのコンセプトを混沌とした自然という外部空間の中で維持していくという、効率という近代の概念を超えたところで成立するこの庭空間。それが時代を超えて人の心をうつ。

「凄いものを見させてもらったな」と思いながらも、先ほど購入したチケットを無駄にしないためにも、もう一つの見所である通天橋へと足を向かわせる。

ちなみにこの方丈の裏手に位置する東福寺の塔頭の一つである龍吟庵(りょうぎんあん)。この建物が日本の建築空間に掲載されているものであるが、前年ながら毎年11月に一般公開ということで中には入ることが出来ない。

方丈は国宝に指定されている建物であり、室町時代初期に建造された現存最古の方丈建築という。そしてその方丈を囲むのは東・西・南の三つの庭園。こちらも先ほど同様、1964年に重森三玲の手によって作庭された枯山水の庭である。

「無の庭」と呼ばれる南庭はいわゆる方丈の前庭で、白砂を敷いただけのシンプルな庭。「龍門の庭」と呼ばれる西庭は特に有名で龍が海から顔を出して黒雲に乗って昇天する姿を石組みによって表現している。「不離の庭」と呼ばれる東庭は龍吟庵の主人である大明国師の幼少時代の故事を石組みで表現している。

いつかは是非とも実際に見てみたいものだと思いを残しながら向かった通天橋(つうてんきょう)。仏殿から開山堂(常楽庵)に至る渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)に架けられた屋根付きの橋は何といっても紅葉の名所として有名で、二千本とも言われる楓は「通天紅葉」と呼ばれ四季折々に多くの観光客を楽しませている。

「紅葉のイメージが強いが、青葉の楓もまた素晴らしいじゃない」と妻と二人で静かな橋の上からの景色にしばし見惚れる。はるか下より聞こえてくる小川のせせらぎも手伝って、自然の中に浮かんで、その中に建築によって作られたフレーム越しに景色を見ている。そんな気分にさせてくれる。

こういう雄大な自然と建築の幸福なる融合した空間を体験すると、やはり建築とは美しい自然と人に意識させるフレームとしての装置という一面を持つことに改めて気がつかされる。日本建築の大きな特徴として、四季折々の外部を如何に「フレーミング」し、室内より眺めるか?そしてその特等席こそ床の間の前であったということを感じる。

その日本建築の空間の中でも最上級に位置するこの「雄大な自然の中に包まれる」空間体験。前後左右だけでなく、上下からも自然の様々な要素が身体に刺激を与えてくれる。そんな至極の空間。ため息が出るほど素晴らしい。

そんな通天橋を渡って至るのは開山堂。別名常楽庵(じょうらくあん)。1826年に再建された建物であるが、中央部分の伝衣閣(でんねかく)と呼ばれるのは、中央部分が飛び出した形のなんとも特徴的なのは楼閣建築。

「楼閣?」と引っかかるがやはり先ほどの飛雲閣と同じく、金閣(鹿苑寺)、銀閣(慈照寺)、飛雲閣(西本願寺)、呑湖閣(大徳寺塔頭芳春院)と並び「京の五閣」に数えられているという。

その開山堂への参道を中ほどまで進むと、バッと左手に広がるのが枯山水の開山堂庭園。なんとも広い庭のほとんどは市松状に砂紋をつけられた白砂。なんともいさぎの良いその配置計画の片すみに追いやられるように石組が配され、参道の反対には対照的に緑が生い茂る池泉式庭園。鶴島、亀島に蓬莢山。禅院式と武家書院式の二つの庭が参道をはさんで退治しているある種の緊張感が味わえる江戸中期の名園。

その後洗玉澗(せんぎょくかん)を徒歩で巡り、今度は苔むす林の中を通り抜け、じっくり時間をかけて戻ってくる本堂。この本堂は1934年に再建された建物であるが、間口41mという巨大なお堂で、昭和の木造建築としても最大級のものになるという。

その本堂の前に立つのが、1425年に足利義持が再建したといわれる三門。ちなみに三門とは寺院の正面に配置される門のことであり、空門(くうもん)・無相門(むそうもん)・無願門(むがんもん)の三境地を経て仏国土に至る門である三解脱門(さんげだつもん)の略という。現存最古の三門として国宝に指定されている。

そんな訳で、見所満載で、それぞれが全て最高級ばかりの東福寺。ここは間違いなくいつかまた訪れることになるだろうと確信して、参拝時間が終了する前になんとか南禅寺に辿りつこうとタクシーに乗り込むことにする。



















































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