2013年7月22日月曜日

内々神社(うつつじんじゃ)庭園 夢窓疎石 南北朝時代 ★★



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所在地 愛知県春日井市内津町
主祭神 建稲種命(たけいなだねのみこと),日本武尊,宮簀姫命(みやずひめのみこと)
社格  国幣小社
社殿の様式 権現造り
創建  不明
機能  寺社
庭園形式 林泉回遊式庭園
作庭年代 南北朝時代
作庭  夢窓疎石
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長かった旅もついに最後の最後の立寄り地。犬山から春日井に移動し、バイパスから横に入った道を暫く進むと見えてくるのが内々神社(うつつじんじゃ)。内々と書いて「うつつ」とはなかなか読めないだろうと思いながら、さぞや由緒古き神社なのだろうと期待を膨らませる。

伝承ではご祭神である建稲種命が亡くなられたときにその訃報を聞いた日本武尊が「うつつかな」と悲泣し、その霊を祀ったのがこの神社でであるとされている。

「夢か現か(うつつか)」と言われるあのうつつ。夢や非現実に対して現実のことをいうのだが、あまりの訃報に驚いて、「信じられない・・・」と嘆いた訳である。

そんな如何にも古めかしい神社であるが、今回の訪問は本殿裏にある内々神社庭園が目的。作庭はまたしても夢窓疎石で南北朝時代の林泉回遊式庭園の様子を現代に伝える。夢窓疎石と言えば、先日訪れた永保寺も彼の手による庭園だったが、ここでは神社裏手に広がる険しい岩山の自然美をうまく取り入れ、風景から選び取られた三大巨岩をうまく取り入れながら、中央に池を配し、その中に出島・中島を設け、なんとも頼りない木の橋で渡っていく構成になっている。

こじんまりとした庭園ではあるが、横の通路は天然の岩の中を切り抜き作られたもので、非常に幅が狭くなっており、後ろに回ると山の斜面沿いに上に上がり、この度は上から池を見下ろすという立体的な構成になっている。

岩山の表情そのものに、大変粗い表面をもった庭園。自然にほんの少しだけ人間の手を加え整える。その中に自然の中では決して見ることの出来なかった美しい景色、整った風景を作りだし、鑑賞するではなく、その中に身を置くことを目的としていた時代。

そんなことを思いながら上から見下ろしていると、こんな人里離れた神社にも関わらず、一組の老夫婦が庭園に顔を見せる。残される古き日本の文化空間に、現代の人が足を運ぶこと。その中で自然に日本性というものが継承されていくのだろうと想像する。

そう思いながら境内を出ると、細い山道にも関わらずやはり多くのトラックの姿。航空写真で確認すると周囲はすっかりゴルフ場として開発されているようだ。大縣神社同様に、決して観光地として多くの人を集めるでもなく、現代社会の中の中心地から距離があり、日常の境内として利用されることも無い古き聖域は、現代に置いて別の価値を見出す場所の一部となる。

そのベクトルは「開発」や「処理場」などの中心から距離を持った「周縁」としての場所。現代社会が成立するために必要なそれらの場であるが、それでも暴力的なそれらの行為が古来の日本人が長年かけて「見つけた」聖域をいとも簡単に枯れさせることのないようにと願うしかないのだろうかと思いながら東名高速に乗って帰路に着く。

地元のレンタカー屋で車を返した時点での走行距離は9076キロで本日は170キロ以上の走行距離。初日からの合計は1350キロにもなる走行距離。最初の石山寺がはるか昔のことの様に感じながら、迎えに来てくれた家族の車に乗り込み長い旅を締めくくる。





















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