2013年7月16日火曜日

社格

神社を回っていると必ず目にする「旧○○社」などの言葉。それがこの神社の位を意味するのは分かるのだが、どの様な番付の中のどの位なのかがいまいち分からないので、一度ちゃんと学んでみることにする。

そんな訳で調べてみると、下記のホームページがとても丁寧にそして分かりやすくまとめてくれている。

神社の社格

そこからポイントを書き出していくと下記の通りになる。

・現在の神社界には、社格制度は無い
・今までのものは昭和20年を以って全て廃止された
・制度上は消滅したが、社格は一種のステイタスとして今でも根強く使われている
・例えば、「郷社」と「村社」ではどちらが「上」か?正解は「郷社」。では、「官幣大社」と「一の宮」はどちらが「上」か?正解は「どちらでもない。そもそも官幣大社と一の宮を比べること自体が間違い」
・官幣大社と官幣中社とでは官幣大社の方が「上」で、一の宮と二の宮とでは一の宮の方が「上」だが、官幣大社と一の宮は、それぞれ別個の社格制度に基づく社格なので、比較すること自体意味がない
・現実には、官幣大社と一の宮の両方を兼ねているという神社もある
・国幣大社である一の宮の場合は、当然官幣大社よりも下位とされる

--------------------------------------------------
そして各カテゴリーを分けていくと下記の様になる。
----------------------
■式内社・式外社(平安時代)
・「延喜式(えんぎしき)」の神名帳(官社を記載登録した名簿)にその名が記載されているかどうか。
・記載されているものを「式内社」(しきないしゃ)
・記載に漏れた神社を「式外社」(しきげしゃ)
・延喜式撰修当時(平安時代前期)から存在していた神社は、式内社と式外社とに分けることができ、そのなかでも式内社は、特に由緒のある神社とされる

----------------------
■延喜式の官国幣社の制(平安時代)
・上記の式内社をさらに四等に分類した制度
・神祇官(国家)から幣帛を受ける神社を「官幣社(かんぺいしゃ)」
・その神社の鎮座する国の国司から幣帛を受ける神社を「国幣社(こくへいしゃ)」
・さらに大社と小社とに分類
・つまり式内社は全て、官幣大社、官幣小社、国幣大社、国幣小社の4種のいずれかに分類
・官幣社は中央(京畿内)に集中し、国幣社は地方に多かった

----------------------
■三社(さんしゃ)(平安時代)
・朝廷から特に尊く尊崇され、特別な奉幣使が遣わされた伊勢神宮、石清水八幡宮、賀茂明神のこと
・伊勢の神宮は皇祖の神宮であり、石清水八幡宮は朝廷において大祖、宗廟の扱いを受け、賀茂神社(現在の上賀茂神社と下鴨神社)は皇女や皇女孫が斎院として奉仕し、御歴代の行幸もしばしば行われることなどから、この三社は特に尊い神社とされた

----------------------
■十六社(じゅうろくしゃ)(平安時代)
・「二十二社」の前身
・朝廷奉幣のために10世紀前葉に定められた
・伊勢、石清水、賀茂(上下)、松尾、平野、稲荷、春日、大原野、石上、大和、大神、廣瀬、龍田、住吉、丹生、貴布禰の十六社を指し、この十六社に対しては朝廷より格別の崇敬があった

----------------------
■二十二社(平安時代)
・朝廷奉幣のために11世紀初頭に定められた
・祈雨・祈晴や国家的大事に際しては特別に奉幣の対象になり、「二十二社」という名で特別な社格の神社として、他の神社よりも優越の地位を占めた

・上七社(伊勢、石清水、賀茂、松尾、平野、稲荷、春日)
・中七社(大原野、大神、石上、大和、廣瀬、龍田、住吉)
・下八社(日吉、梅宮、吉田、廣田、八坂、北野、丹生、貴布禰)

----------------------
■一の宮(一宮)(平安時代中期以降)
・諸国の国内で第一の地位を占めた神社を「一の宮」といい、以下「二の宮」、「三の宮」という序列
・この制度は平安時代中期から鎌倉時代にかけて成立
・平安時代の国司は、任国の国内にある主要神社を参拝することが慣例。その際に、まず最初に国司が参拝する神社が「一の宮」とされ、以下、国司の参拝する順序に基づき「二の宮」、「三の宮」が制定
・一の宮、二の宮、三の宮といった序列は準公的な社格として機能
・全国には「一宮」という地名(自治体など)が複数あるが、そういった所は大抵、かつて「一の宮」とされた神社が今でも鎮座している所
・北海道や沖縄など、当時まだ国司が置かれていなかった地域(律令体制化においては日本国内とされなかった地域)には、一の宮はない

----------------------
■近代の官国幣社(かんこくへいしゃ)の制(明治時代~終戦)
・近代の「官国弊社の制」は、明治4年に定められた社格制度
・例祭に当たり皇室より神饌・幣帛を供される神社を「官幣社」
・国家(国庫)から神饌・幣帛を供される神社を「国幣社」
・府や県から神饌・幣帛を供される神社を「府社」・「県社」
・郡や市から神饌・幣帛を供される神社を「郷社」
・町村から神饌・幣帛を供される神社を「村社」
・社格のない神社(地方団体から幣帛や神饌料供進の特典がない神社)を「無格社」

・官幣社と国幣社は更にそれぞれ大社・中社・小社に区分
・官幣社のなかでも特に人物神をお祀りしている神社(楠正成を祀る湊川神社、徳川家康を祀る東照宮など)は別格社
・社格を上位から下位の順に並べると、官幣大社>官幣中社>官幣小社>別格官幣社>国幣大社>国幣中社>国幣小社>府社・県社>郷社>村社>無格社の順

・官国幣社を「官社」、府県社以下を「民社」とも云う
・官幣社には主に平安時代の「二十二社」など朝廷に所縁の深い神社が列格され、国幣社には、主に諸国の「一の宮」が列格
・伊勢の神宮には社格はありませんでしたが、これは神宮が尊貴無上であることから社格を与えられなかったのであり、無格社とは事情を異にしている
--------------------------------------------------

これらを理解し再度今まで巡った神社と旧国の配置を眺めてみると、また違った日本が見えてくるだろう。

0 件のコメント: