2013年1月7日月曜日

How was music?

オフィスについて、コーヒーでも入れようと給湯室に向かっていると、あるスタッフが声をかけてくる。

「How was Music?」

軽く陥るパニック。

「どうして、昨日早く抜け出して向かった先がオペラ・ハウスで、コンサートを聴いてきたと知っているんだ???」

「後ろめたさからか、抜け出る前にあるスタッフにこれからコンサートだと言ったのが伝わったのか???」

「どうして???」

などと「ダウト」はひたすら頭の中で広がりながら、「いやー、良かったよ。いい音響だったしね。」なんていいながら、「ところで、何で知ってるの?」と切り出すと、

「実は自分たち(コロンビアからの男性スタッフと、オランダからの女性スタッフの二名)も、昨晩コンサートを聴きに行っていたんだ。」と言う。

「誰か知ってる顔はいないかな?と思ってみていたら、洋介の奥さんの顔が見れたので、横を見たら知ってる顔だってね」と。

なるほど、と何故だかほっとし、その代わりに同じ時間を過ごしたもの同士であーだこーだとオーケストラについての感想など、スタッフとしてではなく同じもの好きな人間としての「会話」をし、年間スケジュールのサイトなどを教えてもらう。

土日も関係なく、ほとんどオフィスに出っ放しだと思っていたその二人が、このようにひょんな形で自分の時間を楽しんで、それが少しだけオーバーラップしていた事実を知って、これこそ文化都市の魅力なんだと深く納得しながらコーヒーをすする。

2013年1月6日日曜日

プラハ・フィルハーモニー ★★★


中学時代は自分があまりに音痴過ぎるたので、冬の音楽発表会では指揮者の位置が定位置だったと思い出す、新年初めてのコンサート。

未だに論争の続く、「不可聴音域」の問題。レコードなどのアナログ盤からCDというデジタル音源へと移行する際に、人には聴くことができないと言われている50Hz以下と、20000Hz以上の音をカットした問題。

自分なんかにはその違いは良く分からないが、音楽好き友人によればやはりCD音源はLP類には叶わなく、「音の奥行きが違う」らしい。

アナログレコードの音を

これもよく言われているが、最近ではその「聴けない」といわれてきた高音域の音楽を聴くと、人間の脳はアルファ波を出すという。そう、あの気持ちの良い状態に出るという波長である。

そんなことは理解しながらも、それでもやはり「便利」だということで、日常ではデジタル音源に浸る現代人。そんな常に緊張を強いられる身体に、低音から高温まで「不可聴音域」も含めてすべての音域を浴びせつける「生」の音楽。オーケストラ。

それを国家の威信を懸けて作り上げた、21世紀の大国:中国の首都に位置する国家オペラハウスという、音の建築でじっくり堪能する年初め。

妻の語学学校の友人で、考古学者だというスコットランド人の旦那さんと、医者をされている日本人の奥さんの夫婦に誘われて、プラハ・フィルハーモニーの新年一発目のコンサートを聴きにオペラハウス(NCPA 国家大剧院)に足を運ぶ。

中国では年末年始が休みになるが、その分のしわ寄せが次の週末に来るので、4日から8連勤となり日曜日も通常営業なのでなかなか抜け出すのに時間がかかるが、思い切って待ち合わせ時間に合わせて地下鉄に乗りながら、一体どういう人がこういう時間に余裕を持って仕事を切り上げられるのだろうか・・・と、建築家という職業の宿命に想いを馳せる。

最寄り駅の地下鉄構内でばったり妻と鉢合わせ、簡単な腹ごしらえをしてホールに向かうと、またまたバッタリと友人夫婦に鉢合わせる。年末にも音楽を聴きに来たという音楽好き夫婦だけあって、今日のオーケストラへの期待も上々な様で、とても楽しそうな雰囲気。

180元と一番値打ちな席だけあって、オーケストラの後ろという席からは、各演奏者が楽譜を捲る様子なども見れてなかなか面白い。現在、ハルビンでオペラハウスを設計している手前、数ヶ月前にこのホールの設計と音響を参考にしに足を運んだので、その効果を実際にオーケストラで体験する良い機会でもある。

19:30に時間通りに開演したプラハ・オーケストラはOndrej Vrabecという若きチェコ人指揮者に率いられ、ちょっとでっぷりした彼の表現力豊かで、動きの大きな指揮に導かれ、とてもダイナミックな演奏を奏で、期待していた以上の良さであった。そのおかげで、久々の刺激に脳も驚いたのか、すっかりアルファ波が出てしまい途中はすっかりウトウトしてしまう。

幕間にホワイエで友人と談笑をしていると、見知った顔だと見つけるのはURBANUSのワン・フイ(Wang Hui)。こちら中国を代表する有名建築家なのだが、パートナーのマーとも昔から知り合いということもあり、ザハ事務所で北京に送られた9年前からの知り合いで、いろんな建築関係のイベントでもちょくちょく会う関係。

相当なクラシック好きなようで、「これはいい仲間を見つけた!」と言わんばかりに、

「あれ、音楽好きなの?
こちらは奥さん?
こちらは友達?
そうそう、ここに来るなら年間のVIPカード買った方がお得だよ。
2月にシカゴ・オーケストラ来るよ!高いけど絶対いいよ。
4月にはムティが・・・・」

と、とても嬉しい情報を次から次へと話してくれるので、トイレに行く間もなく休憩時間の終了。

アンコールも盛り上がり、終了したのは10時というたっぷりの内容。席の場所でちょっと心配したが、音響的にも素晴らしく、演奏もパフォーマンスも素晴らしく、とても満足の行く内容だったということは、すっかり軽くなった身体の方がよく示してくれているようである。

4人で記念撮影をし、次はどれにしようか?などといいながら、地下鉄に乗り込む「初聴き」。

「数年後には、MADが設計したオペラハウスで一緒にオーケストラを聴きましょう」と約束し、やはり「手」の痕跡に勝るものは無いんだと想いながら家路に就く。

国立オペラハウスの年間カレンダー






2013年1月5日土曜日

構造改革

パートナーと今年の一年について話をする。

今年は竣工を向かえるプロジェクトは一つも無く、その代わりに現場が始まるプロジェクトがいくつかあるので、

オフィスも9年目に入り、世界で活躍する他のオフィスを参考にして、自分達で改善できるところはどこかを探す。

オフィスの構造改革。

我々3人のパートナーと、デザインや実務など得意分野に責任を持ってもらうスタッフ。彼らを専門的にサポートするチーム。プロジェクトをいくつか掛け持ってマネージメントするマネージャーとしてのスタッフと、その下でプロジェクト・アーキテクトとしてチームを纏めるスタッフ。プロジェクトを発展させていくプロジェクト・チームとそのサポートをしてくれるアドミニのスタッフ。そしてインターンのメンバー。

限られて毎日の時間を過ごす職場。ここに残ろうと思えるような環境にすることと、その為にできるだけ効率的に仕事が進み、クライアントにも満足してもらえ、スタッフにも達成感やここで働く喜びを与えられるような場を作ることが、オフィスとしての成長の何よりの課題。

口だけの「仕分け」ではなく、本気で自ら脱皮するための「仕分け」。

異なる文化圏と異なる考え方を持つ国から来ているスタッフの多くは、コロンビアやイェールといった、建築業界でトップと言ってよいような教育のバックグランドを持つ人材ばかりである。

そんな一人一人の良さを引き出し、チームとして科学反応を起こさせ、一つの有機体としてオフィスが毎日活動することを目指し、毎日の時間を過ごすことにする。

2013年1月3日木曜日

「バイオハザードV リトリビューション」ポール・W・S・アンダーソン 2012 ★



ゲームが発売するために、これといった新しきアイデアも無いのにとにかく人気シリーズだというので映画化しないといけないのも大変だと理解させてくれる一作。

シリーズ5作目でも目新しいことを描き続けるのは、トップのクリエイターにとっても至難の業だと痛感し、改めてエイリアンシリーズの凄さを思い知る。
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スタッフ
監督 ポール・W・S・アンダーソン
製作 ジェレミー・ボルト

キャスト
ミラ・ジョボビッチ   アリス
ミシェル・ロドリゲス   レイン
アリアーナ・エンジニア    ベッキー
ケビン・デュランド    バリー
シエンナ・ギロリージル・バレンタイン
作品データ
原題 Resident Evil: Retribution
製作年 2012年
製作国 アメリカ
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2013年1月1日火曜日

新年

中華新年という西洋カレンダーとは違った新年を持つ国に住んでいると、

「日本の新年はいつなんだ?」

という質問に良く出くわす。

「昔は中国と同じカレンダーを使っていたが、近代化を目的に100年近く前に西洋と同じカレンダーへと移行したが、まだまだ昔の風習も残っているので、ところどころで中国暦と同じ節句などがあるんだ。」

と説明するが、詳しくは改暦ノ布告(太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス)によって西洋に合わせる形で明治5年(1872年)に天保暦(太陰太陽暦)からグレゴリオ暦(太陽暦)への移行が行われという。

しかし現代のコスモポリスである北京に暮らす太陽暦の国の人々にとってはやはり1月1日が新年であり、クリスマスを家族で過ごして、新年は恋人か友人と過ごすのが普通なので、どうしても年末年始にかけて国で新年を過ごす人が街から去っていき、オフィスの中もなんとなくがらんとした雰囲気に包まれる。

外国人を抱える大抵の企業ではそんな事情をうけて、30日から3日までを休みとするが、どちらにせよ多くの外国人はクリスマス前後から既に国に戻ってしまう人が多く、オフィスに残るのは中国人スタッフが大半という飛車角落ちの様な状態での営業となる年末年始。

一ヵ月後には1週間ほどの中華新年がやってくるので、なんだか気持ち的にはまだ余裕を感じて過ごすつかの間の新年休日。

そんな訳で新年が二つあるのは嬉しいのだが、やはり日本のしんしんとした新年を過ごさないと、なんだか新しい年になったという気持ちの引き締まり方が感じられないのはしょうがないかと諦める。


「未踏峰」 笹本稜平 ★


かつては有能なシステムエンジニアとして活躍していたが、ふとした誘惑から万引きにはまって道を踏み外し、派遣労働者として明日への希望を失っていた橘裕也。

なんとかそのスパイラルから抜け出そうとして見つけた仕事は八ヶ岳の山小屋での住み込みバイト。

パウロさんという風変わりな経営者の下に集まったのは知的障害者ではあるが、力持ちでスケッチが抜群にうまい勝田慎二と、アスペルガー症候群で他の人の感情を察することはできないが、すべてを理論的に突き詰め、料理に関しては飛びぬけた才能を見せる戸村サヤカ。

生きることに希望を失いつつあった3人に、パウロさんが与えたのはヒマラヤ山脈6700メートルの未踏峰として残っている名も無き山への登山。それを成すことが生きることに夢を与え、それを成すことが新しい方向への転換点となること。

その準備期間で起こった不意の事故で亡くなったパウロさんの遺骨を胸に、一クセも二クセもあるメンバーでのこの世で最も厳しい環境への挑戦。

このプロットと、作者らしいゾクゾクするような冬山の表現で十分面白くなりそうなのだが、やはり国際的陰謀が奥に絡まないともう一つ物語りにハードボイルドとしての奥行きを与えきれないのが残念。

「可能性とは、あらかぎめ与えられているものではなく、与えられた条件の中で全力で行動することによって創造するものだ」

「人生における真の出会いには、おそらく時節というファクターが必要なのだ。」

派遣労働者として、一つの仕事が終われば、達成感を味わう暇も無く次の仕事に取り掛かる。仕事に喜びを見出せない。仕事以外の楽しみも見つけられない。そんな日々を送っていた裕也に生きることの喜びを与えてくれたパウロさん。

「考えて見ればここ何年も、裕也は人間というものに興味を抱いたことがなかった。」

興味深いと思える人間が少ないからなのか、それともそういう人間に出会わないからなのか、それとも出会った人の面白さすら感じとることができない人間なのか。

「無条件に自分が信頼されているという安心感。それは魂にとってもセーフティネットとでもいうべきものだろう。人を信頼することは、裏切られるリスクを甘んじて引き受けることでもある。」

「自分が落ち込んだ苦境を時代のせいにするのは簡単だ。しかしそれではなにも変わらない。時代を変えられないのなら、自分を変えるというやり方もある。自分が変われば世界の見え方も変わって来る。」

「普通だとか変だとか、そういう価値観事態がおかしい 世の中にはいろんなタイプの人間がいる。それぞれが神様から大切な役割を授かってこの世に生まれてきた。その役割をどう果たすかが大事なことで、それが他の連中と多少違っていようと、それは小さな問題に過ぎないはずだ。」

「心にも無いお世辞を抵抗無く並べられるようになることが、正しい意味での社会での適応といえるのか。」

「ただ意味も無く生きていくだけなら、どんな風にでもやっていける。肝心なのは、パウロさんが与えてくれた、生きることの喜びだった。」

「実現したい夢を持つことが、これほどまでに心に張りを与えてくれる。」

「死は誰にでも平等にやってくる。この世での成功も失敗も、そのときすべてがリセットされる。結局得るものもなければ、失うものも無い。
だから人は夢を見る力を授かった。君達も私も夢を持つべきだ。そしてその夢は、できるだけ欲得から遠いものがいい。生きているという、ただそのことを喜びに変えられるような。」

「徹底的に無意味であるがゆえに、それは生きるに値する。」

「自分でダメだと思ったときが敗亡なんだって。心臓が動いて呼吸ができる限り、チャンスはあるんだって。」

「人生にはそのときを逃せば一生悔いるような局面があるらしい。自分を変えるチャンスがあるとしたら、恐らくいまがそれなのだ。」

「ビンティ・チュリとの出会いがなかったら、今も自分は未来に怯え、ただきのうと同じ今日が来ることを願う人生を歩んでいたはずだった。」

「どんな人間だって、ただ生きているだけで意味があるんだって」

「だからこそ人は山に登るべきなのだと。人間がどれほど小さくひ弱な存在であるかを知るために。
すべてに満ち足りた人生などありえない。もしあるとしたら、それは死んでいるのと同じではないか。自分にかけたものを埋めようとして、夢や希望に向かって生きることからしか人生の喜びは生まれない。
生きることは闘いなのだと、闘いから逃げることは魂における自殺なのだと、
人として生きる本当の理由を、頭で追い求めては駄目だと言っていた。その答えは、全身全霊を懸けて人生を生きることのなかにしかありえないのだと。
誰かの幸せの為に生きる。」

こんな言葉を目にすると、今年もできるだけ山に登れればと思わずにいられない。

マラッカ Malacca


タクシーの運転手が「新しくなって動線計画もすっきりして、随分便利になったんだ」と自慢げに教えてくれたTBS(Terminal Bersepadu Selata)。近くに来てもぐるっと回らないと建物にアクセスできないのは、出発ゲートと到着ゲートを空港の様に分けているからだという。

マラッカまでの2時間の工程を27席というゆったりとした座席のシートでなんと12リンギット。車での都市間移動がメインであるこの国らしく、非常にお値打ち。

ゲートについたらなんと、結婚式で一緒になった友人カップルと再会。マラッカで落ち合おうと言ってはいたが、こんなにも簡単に会えるとは。ウツラウツラとしていたら、平坦な道をひた走るバスはあっという間にマラッカに。

サビエルが日本に行く前に滞在し、ここで出会った日本人の影響で日本行きを決めたという、オランダ植民地時代の街並みを残すコロニアル都市。KLに比べて街中に溢れる漢字の割合が多くなるのを見ると、シンガポールに近い土地柄が現れているのだと納得。

夕方から激しく振り出したスコールによって、すっきりとした夕暮れの中、歩いて回れる中心街を散策し、友人カップルと同じく結婚式に参加すべく香港から来ていた弁護士の友人も合流し、川沿いのレストランで地元料理を楽し元旦の夜。

明けて二日目は、初夢に何を見たか考えながら、初めて観光らしい観光をすべく、中心部から中華街へと足を伸ばし、オランダ統治時代の教会の名残や、マレーシア独特の建築形式を見学し、街中で雑貨やなどのお店をひやかし、海南・チキンライスでランチ。

午後からお勧めだといわれていたマラッカ動物園へと足を伸ばす。入り口近くの木々にとまる、カラフルなオウム達と、その奥に広がるジャングルの様な木々の下を潜って敷地に入るのだが、国内で2番目に大きいといわれるだけあって、なかなか広大な敷地に、ゆとりを持って配置される動物たち。入り口の看板に「Big 4」と、トラ、ライオン、ゾウ、サイの写真が掲げられ、いやがおうにも期待は膨らむ。

ところどころに動物はいるのだが、ほとんど感じられない気配。またスタッフの姿もまったく見られない。検査に来ているっぽいおじさんに聞いてみると、今日はオペレーションの変更日だからお店もしまっているよ、とのこと。

まぁ動物がいる限り問題ないので、いかにもマレーシアらしい頭の小さいスタイル抜群のサルが、水を飲んでは人間を威嚇し、後ろを向いて股の下からこちらを覗く姿に笑いをこぼしながら、のんびりと1時間半で終了。

市内に戻ってのんびりご飯を食べ、「もう北京に戻ってもいいね」などと十分満足し、弛緩し切った身体と頭を新年モードに戻す明日からの生活に想いを馳せる。

次の朝は再度パッキングをし、バスターミナルからKLへ2時間のバスの旅。TBSに接続している鉄道の駅から空港まで約1時間の旅。行きよりもかなりスムーズなチェック・インを終えて、今度こそは泣き叫ぶ赤ん坊をほったらかしにしている夫婦が後ろの席に座ってないことを祈りながら北京に向かってマレーシアの旅を終える。