最初のセブンシスターズの塔を見学し、建築巡礼の気分も上がってきながら、「場所を見つけるのが難しい」とネットで書かれている「メルニコフの自邸」へ。
この「メルニコフの自邸」。建築に関わらない人にとっては全くどんな意味がある建物なのかが分からないかと想像する。まずは自邸というだけあって、その持ち主であり、そして設計者でもあるメルニコフ。
コンスタンチン・メルニコフ(Konstantin Stepanovitch Melnikov)。ロシア語の名前なので日本語表記にするときに、メルニコフだったり、メーリニコフだったりメリニコフなどと違って表記されるが、同じ人である。
一体どんな人物かと言うと1890年生まれで20世紀を通して活躍したロシアの建築家である。1878年生まれのヨシフ・スターリン、1870年生まれのウラジーミル・レーニンとほぼ同年代に生きた建築家であり、当然ながら時代の流れ、ロシア革命をはじめとする大きな国家の変革の中に生きた建築家である。
そしてこのメルニコフを紹介するときに、必ず形容されるのが、「ロシア構成主義建築の巨匠」という表現。その「ロシア構成主義建築」というのは、建築における一つのムーブメントであり、その先に来るのがよく耳にするロシアン・アヴァンギャルド。
ロシア革命によって、新しい時代、新しい社会を目指した当時のソビエトは、1910年代から1930年代初頭まで、様々な分野において新しい芸術運動が起こってくる。その運動を総称して呼ぶのがこの「ロシアン・アヴァンギャルド」。
フランスのキュビスム(1907年)、イタリアの未来派(1909年)など西ヨーロッパで興ってきた他のモダニズム運等と連動しながらも、ロシア独特の芸術運動となっていったのものである。ロシア・アヴァンギャルドに含まれる芸術理念には、主に次の3つがあるとされ、いずれも過去の様式を断ち切り、革命以後の新たな生活様式をデザインしようとしたものである。
レイヨニスム(Rayonism)
シュプレマティスム(Suprematism)
ロシア構成主義(Constructivism)
シュプレマティスムは有名なカジミール・マレーヴィチなどの象徴的でありながら、幾何学を利用した構成を持つ絵画の流れを作り出す。革命後の新しい時代、社会を標榜するための様々なプロパガンダにも採用されながら、様々な分野に広がりを見せる「ロシアン・アヴァンギャルド」。美術や建築だけでなく、1898年生まれの映画監督であるセルゲーイ・エイゼンシュテーイン(Sergei Eisenstein)などにも影響を与えた総合芸術運動となっていく。
そしてその「ロシアン・アヴァンギャルド」の中の一つの流れとして纏まっていくのが「ロシア構成主義(Constructivism)」。先のキュビズムやシュプレマティスムの影響を受けながら、絵画、彫刻、建築など多岐に渡り広がっていく運動である。
特に建築分野においては、社会主義革命によって新生するユートピアの都市・建築のビジョンが多く描かれることになる。新しい時代に、新しい社会に相応しい、新しい建築の形態。伝統的な建築の制限から解放され、新時代の素材、技術を採用し、新しい表現方法が様々な場所で探索された時代である。
その代表的な建築家とその作品としては、ウラジーミル・シューホフの作品、ウラジーミル・タトリン(Vladimir Tatlin)の「第三インターナショナル記念塔」(1920年)、エル・リシツキーEl Lissitzky)の「空中オフィス計画」(1924年)など、相当に意欲的な挑戦的な建築のビジョンが描かれていく。
そんな流れで登場するのがこのコンスタンチン・メルニコフ。その流れを理解していくと1929年に完成したこの「メルニコフ自邸」。平面的には非常に単純で、二つの大小の円筒を重ねる形で垂直に立ち上げる。その円筒の壁面に六角形の窓を幾何学的に配置するシンプルな住宅である。
レンガ造であるにも関わらず、外装表面は白く塗り固められのっぺりした表情とされ、その構成の幾何学的な構成が主題となるように仕上げられている。それまでの伝統的な建築や、他のヨーロッパで同時代に行われていた他のモダニズムの建築に比べても、なんと分類していいのか非常に曖昧な建築となり、2014年の今現在にその建築を見たとしても、現代建築として信じてしまうほど、極めて純粋で論理的な幾何学で出来上がっている建築である。
このメルニコフの建築表現は、第一次世界大戦後のエーリヒ・メンデルゾーンやブルーノ・タウトなどのドイツ表現主義との類似性が指摘され、彼らの間での交流があったことも認められており、徐々に建築が国家の枠組みから徐々にインターナショナルの舞台へと持ち上げられる移行期にあることが理解される。
その曰くつきの「メルニコフの自邸」であるが、一時期メルニコフ記念館として利用されていたようであるが、現在では、取り壊しの危機に瀕しており、様々な保存運動が行われているという。そんなこともあり、ある住宅地の一部に位置するため、こっちからからかと思って入っていくと、柵で区切られた後ろ側に出てしまうが、円筒形の窓を見るにはちょうどよいポジションであるので何枚かカメラに収めつつ、「この建築はどんな意味があるんだ?」と聞いてくるオーストラリア人にざっくり説明をしながら、正面へと周っていく。
正面にも柵で出入りを制限されており、敷地内部と建物を見ると手入れが入っていなく随分痛んでしまっている様子である。フェンスの隙間から中を覗いていると、管理人と思わしきおばちゃんがやって来て、鍵を開けて中に入っていく。「これはチャンス」という訳で、「何とか中に入れくれないか?」とジェスチャーで懇願するが、あっさりと拒絶される。
時代の中に取り残されたようなその佇まいに、新しい建築の可能性を必死に追い求めた時代に収まりきらなかった建築家の想像力に思いを馳せながら、次のセブンシスターズに向けて地図を片手に歩を進めることにする。
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