九份までの道すがら、話好きと思われるタクシーの運転手のおじさんが、この町の概略を説明してくれる。金が採掘できるということで、日本による統治時代、多くの日本人が金を目指してこの町に集まり、開発をしたために、この街は日本人によってつくられたんだと。そして金の採掘量が低下するによって、徐々に寂れていったが、映画「悲情城市 (A City of Sadness)」の舞台となり、レトロな雰囲気を残す街並みが人気を博し、今では週末になれば動けないほどの人が押し寄せるほどなんだと。
年の瀬も迫った本日も、とんでもない数の観光客がこの街に足を運んでいるようで、 メインストリートとなっている老街の入り口近くで下ろしてもらい、東京のラッシュアワーの様になっている老街を、人の波を掻き分けるようにして必死に進む。
途中で何度も心が折れそうになりながらも、なんとか道を抜け、湯婆婆の館のモデルになったとも言われる茶屋の前で写真を撮ろうとする若者が引き起こす渋滞に何とかすり抜けながら、少し脇にポツンと位置する小さな茶館にたどり着く。妻が見てみたいという茶器を売っているお店で、せっかくだからとお茶をいただきながら、闇に沈み始めた外の風景を眺めながら一息つくことに。
帰りはメインストリートを避け、裏道でショートカットして、タクシーと合流し、次はもう少し人の少ない時に再訪してみたいものだと思いながら、ウトウトしながら「そういえば、十分と九份のフンはなぜ同じ字じゃないのだろう」と考えつつ台北へと戻ることにする。