2012年10月18日木曜日

メンター

暫く前に仕事で東京のある場所に若者向けの共同生活の場を作る提案を作成していた。

その時にアート・フェア東京のエグゼクティブ・ディレクターでもある金島隆弘氏とかなり細かい内容まで提案書を詰めていたのだが、その時多用していたあるキーワードが先日のクローズアップ現代の中でもこれからのキーワードとして使われていた。

メンター

仕事や人生に効果的なアドバイスをしてくれる相談者のことだが、アートや建築と言ったキャリアを体系立てて考えて人生を過ごしていくのが非常に難しい世界に身をおいていると、その時々に出会う自分よりやや年上、およそ5-10歳ほど上の同業者、つまり先輩にどのような接し方をしてもらったかによって、その後の進み方は大きく変わるということである。

これは年齢よりもキャリアで考えたほうが良いようで、これよりも近いと同年代ということになり差がなくなってしまい、それより上過ぎると一世代違ってしまって、やや価値観や考え方にズレが出てきてしまう。

そう考えると大学などで出会う、比較的若手の先生もこの「メンター」のカテゴリーに入るのだろうが、つまり自分よりも長くその世界に身を置き、楽しいことも苦しいことも少しだけよく知っていて、技術的なことを含めた圧倒的に多くの知識を持っていると思える人。

そういう人がどうやって、自分よりも若くて希望を持って成長していく人たちに、「どのような接し方ができるか?」、「どういう距離感をとれるか?」、それによっては、若い人の才能を大きく伸ばしたり、逆に若い目を摘むことにもなってしまう。

今だから分かるが、幸いなことに自分の場合は20代の中ごろに出会った人が、とても優しい形で接してくれて建築を教えてくれたのだと思う。本当にその時は、「この人は建築のことを何でも知っているな」と思っていたし、とても大きく見えたが、でも「そんなことは大した事ではなくて、もっと自分の好きな様に進めばいいし、こんな知識は誰でもやれば身に付くことなので、心配しなくていいですよ」と励ましてくれもした。

まさに自分にとってのメンターだったと思うし、その無償の付き合いにただただ感謝しかない。

若者なりに必死になってやっている建築を、「お絵かき、楽しそうだね」と、とても心無い言葉をかけていった人もいたように、自分の中で若い人との適切な距離を保てずに、大変みみっちい姿を曝すこともあるだろう。

そうかと思えば日本でお世話になった先輩達は、何の見返りも無いにも関わらず、同じ建築仲間として何でも教えてくれた。そしてそれを一緒に楽しんでくれた。そういう姿を見ると、いつになってもこの人をメンターだと思い続けるのだろうと思うのと共に、自分も同じように若い世代に分け与えていかないとと思わずにいられない。

そうかと言って、すぐに勘違いする若者は、何でも考える前に「楽」をするために年上の人に聞いてしまう傾向があるが、これはとんでもなく失礼に当たることを皆経験で学んでいくのだろうが、まずは、自分で考えて、苦しんで、作り出してから相談するべきだろう。

日本の様にとても狭いニッチな市場で活動をしていると、下手をすれば利益を争うことになるからと本来あるべき同業での良き上下の交流が損なわれるが、一つの学問として建築が存在する以上、全体として進歩を続けていく為には必ず必要なことである。

ふと見渡すと、かつて出会ったメンターの年頃に差し掛かり、オフィスでもその当時の自分の年齢位のスタッフに囲まれていることに気がついて、自分はおおらかに適切な距離を取って構えられているかどうか?自問自答せずにいられない。

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