御巣鷹山に日航機が墜落した1985年。史上最悪の航空事故ということは、今年起こった東日本大震災と同様に、被災した人、関係した人、周りで伝えた人、様々な人の人生をガラッと変えてしまった大きな大きな出来事だったことは間違いない。
その時にその現場で、一秒に苦しみ悩んだ伝える側の人間として地元新聞会社で記者として事件を見ていた著者の、まさに一生に一冊の本だろう。
時事通信・共同通信を頂点とし有力全国紙の下に各地の地方紙が位置する新聞業界のピラミッド構造は、そのまま予算や機動力、取材力に反映されるが、地元で起こった事件に対しての地元紙しかできない報道があるのではという葛藤にも、どの業界も同じなんだとあらためて気がつかされる。
地元群馬で起こった事件とえば、日赤事件と大久保事件。その時に現場で出ていた記者たちは、そのプライドでだけ生き延びることができ、その両事件に匹敵する事件がないことをいいことに、社内で勢力を伸ばし、出る杭を打ち、部下にチャンスとポストを与えず、自分の好きなように評価するメディアを握ってしまう。
そんな状況の中で起こる史上最悪の事件。現場に足を運びたい若手と、もらい事故だとしてやり過ごそうとする上層部との狭間で悩む中間管理職的立場の主人公。
ジリジリするような時間の経過と緊張感が、物語のもう一つの顔である山登り、谷川岳の衝立岩へのアタックと絶妙に重ねられて、緊張感を更に高める役割を演じる。
ふと思うのは、ひょっとして建築の世界も同じ構造なのかなということ。
いつの時代でも、かつての知識だけや経験だけで生きながらえることが可能な時間というのは限られていて、常に勉強を重ねていないと時代のスピードにおいてかれるし、ついていけなくなってしまう。いつまでも、同じように勉強してついていくのはしんどいので、かつての栄光を実際以上に大きく見せることでさぼる時間に変換して、今のポジションにしがみつこうとする。そうすればするほど、今の現実を見ようとしないし、見えなくなってしまう。その姿は周りからは滑稽で、周囲にとってみれば迷惑以外の何者でもない。
もちろん、そこには変わらないものもあるし、不変の真理というのもあるだろう。しかし新しいもの、今起こってること、それを知って評価しないといけないという、今と生きる現代人の義務もある。
その為に、恐ろしいほど沢山の勉強が必要で、歳をとってもまた勉強。しかも自分達が学んでた頃よりも、濃密で複雑な世界の事象についていかなければいけない。自分達が学んだ事の何倍もの知識がすぐに手に入ってしまう。それがインターネットの加速力。
下手をすれば学生よりも知識が足りないかもしれない。それを思うことの恐怖。それを知った上で何を語る?何を教える?
そんな姿を学生は冷静に見ている。だからこそもっと勉強するし、今出てる本で現代を見る。
そんな止まることの恐ろしさを垣間見させてくれる緊張感が漂う名著。
つまり、自分は十分だと思った瞬間その人は終わるし、新しい世代を見ることができない。そういう人間は次の世代を教えるべきでないのだろうと、改めて思わされた。
そんなことを思いながら、いつかわ谷川岳の危なくないルートでいいので登ってみたいと想いを馳せる。
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