1989年に刊行された本とはとても思えない内容である。
幾何学と日常的に向き合っている建築家という職業についているものなら、題名である「クラインの壺」は「メビウスの輪」と同じくらい馴染みの深いものであり、そこに新しい空間の可能性を一度ならずとも思い描いた対象でもある。
「メビウスの輪」がわっか状にに繋げられたリボンの一部を切り取り、それをひねって再度くっつけることによって、わっかの外をなぞっていたらいつの間にか内側をなぞることになるという幾何学の不思議を表すものであるが、それに対して「クラインの壺」はより複雑で、如雨露のような内と外を持った立体の一部が伸び、曲がり、もともとの立体に貫入していきもともとの立体の内壁とくっついて幾何学を閉じるというもの。つまり「面」の「表と裏」の操作ではなく、立体の「内と外」が捩れるという一次元高い幾何学の不思議を表すものである。
そのタイトルから分かるように、空間の捩れを指し、コンピューターの発達によって様々なところで問われている「リアルとバーチャルの世界」の線引きとその相互貫入の問題を主題においている。
イプシロン・プロジェクトと呼ばれるバーチャルリアリティを利用した新たなゲームであるブレイン・シンドローム開発。それは人間自体がカプセルに入り、液体につかることで視覚や触覚だけでなく、それぞれの感覚を同時に仮想現実の世界に入り込ませるという設定であり、その先に訪れるのは現実とバーチャルの世界の曖昧化。
それにしても、やっとVR(バーチャルリアリティ、Virtual Reality)やのAR(Artificial Reality)が現実の世界での利用が始まった昨今から考えて、20年前にすでにここまでこの技術が発展し、その後に人類が向き合うことにある根源的な問題を主題におくとは、著者の考察の深さに頭が下がるばかりである。
小説内の象徴的な一節
「はじめのところから始めて、終わりにきたらやめればいい 」
それが示すのはまさにタイトルの「クラウンの壷」のように、一体どこかがはじめでどこまが終わりなのか?という問題。
著者の岡嶋二人は徳山諄一と井上夢人の二人の共著での著者名であるが、この一作を最後にコンビを解散してしまうことになるのが、これほどの作品を残すのは相当な関係性があってのことだろうと想像するだけに、非常にもったいないと思いながらも彼らのその後の作品も追っていかないと思わせる名作である。
クラインの壺
メビウスの輪
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