2013年7月17日水曜日

吉島家住宅 1907 ★★★★


昨日飛騨総社を訪れた後に、ネット調べた閉館時間にギリギリ間に合うように足を運んだこの吉島家住宅。17時閉館で、到着が16:45分にも関わらず閉じられた門。

ドアを叩いて「すいませーん」と呼んでも気配はあるので降りてきてくれる気配は皆無。向かいの畳屋さんに聞いてみると「あれ、いつも17時くらいまで開けてるけどね」と。何たるサボタージュ・・・と思いながら再度何度かインターフォンを鳴らすが返答なし。

「これだから、競争原理にさらされない観光地のサービス意識の低さは・・・」と憤りながら日枝神社に向かったが、古き町家の街・飛騨高山を代表するこの建築を体験せずに帰ったら、建築家として後々後悔を処理しきれないだろうという事で、足湯で立ち寄る予定だった百名湯の下呂温泉は却下し再度足を運ぶことにする。

近くを流れる宮川沿いに車を止めて、車中に残ると言う両親を残し、せっかくだからと昨日とは違って裏側から町家通りにアプローチする。

「飛騨の小京都」とも呼ばれる街並みの最も格式高い通りといってよいこの通りには、この吉島家住宅だけでなく、重要文化財の日下部家住宅などもあり、早朝にもかかわらずちらほらと観光客の姿も見える。後ほど聞くことになるのだが、こと日下部家は吉島家と親戚筋に当たると言う。


「昨日は堅く閉まっていたのに、今日はしっかり開いてるな・・・」

と思いながら正面の繊細な格子窓や、代々酒造業を営んできたということで、酒神を祭る三輪神社の杉玉を軒先に下げている姿などを写真に収めて入り口へ。そうするとその姿を見ていた係りの方が、「Are you coming in?」と聞いてくるので、思わず「Yes」と答えてしまう。

土間に入ると妻が、「大人二人でお願いします」と言うと、その係りの人は「あ、日本のかた?」と。それを聞いた妻が嬉しそうに、「主人は最近はすっかり日本人に見られないんですよ」と多分に嫌味を含んだ言い方をしながら、大人一人で500円の入館料なので、二人分で千円札を手渡している。

幸運なことに朝一と言うことも手伝って見学者は我々二人で貸しきり状態。随分とこの住宅とそれを維持するこの家の文化に誇りを持ってらっしゃる様子の係りのおばさんが一頻りこの住宅について説明してくださる。

「いやー、実は自分も建築家でして」

という言葉にはフックしなかったようであるが、なんでも浄土真宗が盛んなこの地域で唯一の真言宗のお寺で、何人かの有志とともに末期がんの患者さんの心のケアの活動をされているということで、明日から予定している近江から比叡に登り、奈良を経由して高野山に上がり、熊野詣でをして伊勢まで向かう旅程にはなかなか興味を持ってもらえたようで、まぁいろいろ話してくれる。そしてそれだけの話が出てくるこの住宅の豊かさと歴史に感じ入る。

造り酒屋でありながら、大名にも金を工面するいわゆるかつての金貸しを営んでいたこの吉島家はこの地方では有名な豪商であり、歴代の当主は才覚だけでなく、文化にも秀でており、出入りする業者にも様々な教えを説いていたという。

金貸し業は幕府からの公認を得ていたことより、入り口に掛かる暖簾に描かれているのは家紋ではなく、幕府公認の金貸し業としての紋だということ。

江戸期には幕府によって高山陣屋より軒が出てはいけないなどの軒高制限、現代でいう景観法のようなものが布かれ、今でもそれが慣習と残っているために、整った街並みが形成されているということ。

明治の大火で消失した主屋を再建するのに設計を依頼されたのは、名棟梁である川原町西田伊三郎。冬の長いこの地域での室内を明るく照らすために、どの空間にも上空から異なった時間帯に日が入り込むような複雑な設計になっているということ。その為に似階部分はスキップフロアの立体的な構成となっていること。

土間の吹き抜け部分の大黒柱を中心として構成される梁組はジャングルジムのようで、そこから強烈に差し込む光の作り出す風景は世界中の建築家を唸らせたのも納得の美しさ。チャールズ・ムーアが「自分が見たうちでは最高の日本建築である」と激賞し、伊藤ていじがその美しさを称えるために本を出版したのも納得。

この地に住むものの生活を知り尽くし、知恵を知り尽くし、そして建築と空間をどう操作するかを知り尽くした名工の頭の中に浮かんだ風景を共有している喜びを感じる。

出入りする数多の業者とやり取りするための接客空間であったメインの土間には、できるだけ動線を邪魔しないようにと、柱を取り払い上から吊った形の束が浮いている。これもこの住宅の見所の一つである「吊束」。

家の至るところに使われている黒檀をはじめとする銘木たち。話によるとあるところに使われている板は、それ一枚で数百万と言うらしく、知り合いの大工さんからは「火事になったらこれだけ持って逃げなさい」と言われるほども材だという。


「朝はこの窓からの光が気持ちよくてね」
「昼はここから降ってくる光が強くてね」
「夕方はこっちから風が入って抜けてくの」

なんて、あっちにいったりこっちにいったりといろいろと話を聞かせてくれる。その一つ一つの作業に、この家がどれだけ愛されているのかが伝わってくるようである。

そんな訳でじっくり時間をかけて、最後は床の間で座りながら更に話を聞かせてもらっていると、「時間があるなら、その真言宗のお寺さんに立ち寄っていけばいい。知り合いの住職に電話しておくから、お経でも上げてもらいなさい」ということで、さっさと外に行って電話してくれる。

そんな訳で急遽増えた立ち寄り場だが、こうしてその場に言って出会う人と、その人から聞けるその地の物語は何物にも変えがたい。

飛騨高山。昔ながらの町屋の風景。建築の卒業設計などでもよく取り上げられる敷地となる。それだけ、街並みに魅力があると同時に、ライフスタイルが変わった時代において、建築が抱える社会劣化。問題を抱えている街に対して、どう建築の力を使って街をより魅力的にできるか?

社会性を含み、よい建築が既にあり、水の恵みのある場所性と身体スケールを併せ持ち、個でありながらそれが群体の一部である。更に環境の問題である冬と夏の強烈な寒暖差。卒業設計として取り組むには十分な内容。

それほどこの高山市は昨日立ち寄った郡上八幡同様、良き現代における街の在り方を見せてくれている。規模、街並み、道の走り方、交通の在り方、スケール感、風景、人の量、地元民と観光客のバランス、文化的な建物の配置と量。もちろん住んで見ないと分からないもの、様々な問題はあるのだろうが、それでもやはり中心にイオンモールがあり、幹線道路沿いのチェーン店に埋め尽くされた風景よりは遥かに好感が持てる。

しかし押し寄せる資本主義はそんなになま優しくは無く、自分だって地元にいれば買い物はイオンに行ってしまうと思いながら、ではどうすれば・・・と思いをめぐらせながら、両親の待つ車へと戻っていくことにする。






































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