2016年2月13日土曜日

深遠なるコミュニケーション能力

人というものは、小さなころから家、学校、部活、大学、サークル、バイト先、職場などで、徐々に親から兄弟、友達やクラスメイト、同僚や仕事関係者へと、親しい関係性から徐々に社会の中で自分の立ち位置や周囲の人との関係性など、様々な要因を考慮しながら、何千、何万というコミュニケーションの中で、失敗を繰り返し、徐々にどうやって距離感をはかり、どうやって関係性を構築していくのかを学んでいるのだと改めて理解する。

自分の望むように振る舞い、話をしても、それが自分の望むような関係性を作り上げることに繋が
らず、「独りよがりな人だ」と相手に嫌われてしまうこともあるかもしれない。自分が好意を持って、距離を縮めたいと思っている友人や異性に対して、相手に好意を持ってもらうためにはどうしたらよいのか。そんなことに悩む思春期を誰もが過ごしてきたはずである。

家庭の中で、友人との間で、異性との恋愛関係の中で、そして社会人として外の世界の中で。それぞれの場所で、求められる関係性の構築方法は違ってしかるべきであり、家庭環境や自らの性格によっては、それを学んでいく上に経験する機会の数は、人によって恐らく何百、何千倍という差になってしまうものであろう。

これが世に言う「コミュニケーション能力」と呼ばれるものであり、数々の苦々しい体験の中で、この状況ではどのように言葉を選んだらいいのか、どのような態度を示したら相手が喜ぶのか、そんな微妙な感情や相手との距離を測りながら自らの振りまいを調整していく。その為にはそれ相応の場数が必要であり、深い洞察力と豊かな想像力がその手助けになってくれることであろう。

インターネットやSNSの発達のお陰で、かつてとは日常で行われるコミュニケーションの総数、そして相手の多様性が加速度的に増加した現代。今までの社会では出会うこともなく、交流する必要も無かった異なる背景を持った人々と否が応でも接触を重ねていかなければいけないこの時代。

学歴や職業という目に見えやすいラベルでは測ることのできないこの「コミュニケーション能力」。現代という多様な社会で生きていくうえで、今後この能力の高低差がより一層重要性を増していくだろうと実感しながらも、人間という多様で複雑な成り立ちに改めて畏怖の念を感じずにいられない。

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