2016年2月9日火曜日

くにたち郷土文化館 石井和紘 1994 ★★


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所在地  東京都国立市谷保
設計   石井和紘
施工   竹中工務店
竣工   1994
機能   博物館(歴史資料館)
規模   地下1階,地上1階
敷地面積 3,636m2
建築面積 513m2
延床面積 2,181m2
構造   RC造・一部S造
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国立を離れる前に、せっかくだからと立ち寄ることに下のがくにたち郷土文化館。国立の歴史などを展示する資料館である。その設計は石井和紘(いしいかずひろ)で、槇文彦によって「平和な時代の野武士たち」とくくられた、1970年代に活動を始めたアトリエ系の若手建築家たちの一人として語られた建築家である。ちなみに他のメンバーは伊東豊雄、安藤忠雄、毛綱毅曠、長谷川逸子、石山修武などそれぞれ独自の建築設計の理念を追求し、現在も活躍する大建築家達ばかりである。

東京大学からアメリカのイェール大学へと渡り、海外の建築を学びながら同年代の難波和彦とも共同で学生時代から設計活動を始め、初期には岡山の直島で幾つもの公共建築を手がけて、非常にコンセプチュアルな理論を背景にした作品を作り、徐々にその作品を公共建築へと広げていった建築家であるが、大学院生時代に地元ではない場所の公共の建築を手がけることになるというのは、一体どのような縁なのかと気にならずにはいられない。

1970年 直島小学校 (26歳)
1974年 直島幼稚園 (30歳)
1975年 54の窓 (31歳)
1976年 直島中学校体育館・武道館 (32歳)
1979年 直島中学校 (35歳)
1979年 54の屋根 (35歳)
1982年 直島町役場 (38歳)
1983年 直島保育園 (39歳)
1987年 ジャイロルーフ (43歳)
1989年 数奇屋邑(日本建築学会賞受賞) (45歳)
1990年 海岸美術館(千葉県景観賞受賞) (46歳)
1992年 熊本県清和村文楽館 (48歳)
1993年 北九州市立国際村交流センター(北九州市建築文化賞) (49歳)
1994年 くにたち郷土資料館 (50歳)
1994年 清和村立清和物産館 (くまもとアートポリス第1回推進賞) (50歳)
1995年 直島町総合福祉センター (51歳)
2015年 死去(満70歳)

こうしてみると、このくにたちはキャリアの中でもすでに後期に所属し、いくつかの公共建築を手がけて満を持して東京に・・・という流れであったのだと想像する。

その敷地であるが、地域の連続性をぶった切るものとして鉄道線や高速道路など、生活空間からはできるだけ距離をとりたいインフラ施設が上げられるが、この敷地も中央自動車道に近しい場所に位置しており、このような郊外の公共施設としてはありがちな敷地で、住宅街を抜けて奥まったところにポツンと建物が林に囲まれるのようにして見えてくる。

建物自体はその大部分が地下に埋められ、地上に見えるのはガラスのボリュームと、あとは地下へと続く屋外劇場のようになっている広場のみ。資料によると総工費が16億円くらいだったということなので、地下の工事が相当に予算がかけられたのだと見受けられる。

武蔵野のどかな風景に溶け込むように、存在感の薄められたガラスのボックスのみを挿入して地下に主な空間を持ってくるというのはこの敷地を見るとやはり一つの解答なのだと納得する。内部は所狭しと資料を張られ、一体何を見ていいのかと混乱するような地域の歴史資料館で同じの光景が並べられており、いくつかの部屋では地域の人が何かしらの勉強会を行っているようである。

恐らく、この年代に建てられた公共建築はどうしても1991年に弾けたとされるバブル景気の影に向き合うはずであり、恐らくこの計画も立てられたのはバブル景気真っ最中。コンペが行われ、設計が進んでいくうちにバブルが弾け、それでも92年くらいまではなんとか好景気を保ちつつも、徐々に失われた10年へと突入していく日本経済の行く末を感じながらこのプロジェクトが完成していったのだと時代背景を考えると、恐らく計画が立てられた当時と、竣工を迎えた94年、そして20年以上がたった今ではこの国立市でこの施設が持つ意味もまた大きく変化したのだろうと思いながら建物を後にする。













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