朝ドラの当たり年だった2013年。朝ドラだけでなく、ドラマの当たり年といってもよいかもしれない。
その最後を飾る「ごちそうさん」もあと少しを残すだけ。物語を彩る様々な個性的な登場人物の中でもとりわけ印象的なのが、建築家の大先生である竹元勇三。物語の中では、ヨーロッパを遊学し、最先端のデザインを学び帰国し、帝大で教鞭をとりつつも、大阪の近代化の肝入りプロジェクトである御堂筋線の駅舎のデザインを行う人物である。
天才というのを印象付けるように、思い立ったら人の意見など聞かず、自分の信じる建築をいかに実現するかに邁進する。予算がなくて、どうしても設計変更で対応しようとする主人公に対し、
「お前の仕事は私のデザインを守ることじゃないのか!!!!!」
と大声で怒鳴る竹元教授。これはあたかもスター建築家、大先生というのは、予算も条件も何も考慮に入れなくて、自分の感性の赴くままにデザインをし、愚鈍な大衆には理解できない、大変立派なビジョンを一人の天才が社会に実現してやるのだといわんばかりの態度に映ってしまい、大きな誤解を生む可能性もありそうである。
自分は美しいもの、理想を掲げた外形だけを気にして、建築が抱えるもっとドロドロした部分、機能の調整や、予算の問題、関係するさまざまな人たちの要望や、工期の問題。雨水処理や換気方式などなどとにかく上げれば切がないほど細部にわたり、一つでも無視することができないのが建築が総合芸術と呼ばれる所以である。
それを、そんな些細なことは下々が処理するべきで、私のような天才は、もっと大きなビジョンを提示すればいいのである。それを死守するのが私の役目である。という描き方。
「このデザインだと要求される面積が足りないんですけど・・・」
という担当者の言葉に対して、
「それならば面積が足りなくても問題ないとクライアントに言えばいい!。その数平米とこのコンセプトを守ることとどっちが大事だと思っているんだ!」
と怒鳴るようなものであるが、それでは建築は成り立たない。それでも成り立った時代があるのかもしれないがそれはまた別の話。とにかくグローバル化した現代社会。誰もが同時代的に情報を得ることができる中、建築家が世間から距離を置き、専門家としてのベールをまとうことで「天才」を演じ切ることはできない時代。本当に一から十までどこの部分でどれほどの能力があるのかどうかがすぐに分かってしまう時代においては、プレイング・マネージャーとしての建築家でなければやっていけない。
その竹元教授のモデルとされたのが、まさに「ごちそうさん」の同時代である明治から大正にかけて活躍した建築家・武田五一(たけだごいち)。東京大学を卒業し、東大で助教授を務め、文部省より派遣されヨーロッパへの留学。そこで見てきたアールヌーボーやセセッションを日本に紹介し、帰国後は京都大学で建築学科を設立し、大阪の街づくりのシンボルでもあった地下鉄御堂筋線の心斎橋駅を1933年に設計し、セセッション様式を採用して設計を行った。
[大阪名所図解] 地下鉄御堂筋線 心斎橋駅
まさに「ごちそうさん」の竹元教授そのもの。
内藤廣が「形態デザイン講義」でもいうように、技術を社会にわかりやすく、そして受け入れてもらえるように翻訳するのがデザインであるとすれば、ヨーロッパで学んだ新しい鉄筋コンクリートの天井の高い大スパンの空間の心地良さ。そこに煌びやかな洗練された装飾が適度に施され、訪れる人を迎え入れてくれる駅舎空間。その駅舎空間を地下鉄の駅に採用した武田五一。日本が近代化していく過程で人と物を動かす起点となり、都市の活動の幅を広げる地下鉄の駅には、新しい空間が必要だと採用したその様式。
知識が限られていた時代においては、それを見て理解していることは専門家としての地位を守る大きな武器であった。しかしその知識の希少性が薄れる時代においては、本当の意味で新しいものを作り出せる想像力か、さまざまな条件の中で創意工夫をしてクリエイティブな解決法を見つけていける力か、それとも技術を深く理解し、その本質を熟知することで、関係者にとってメリットのある方式を提示し推し進めていくプロフェッショナルとしての実現力があるかどうか。
少なくとも、ある分野で進んだ国家に留学し、それを持って専門家として一生安泰の地位でいることは不可能となった時代において、専門家、プロフェッショナルとして何を持ってそう呼ばれるのかを、誰もがみな今一度顧みる必要があると感じさせられるドラマの一シーンである。
その最後を飾る「ごちそうさん」もあと少しを残すだけ。物語を彩る様々な個性的な登場人物の中でもとりわけ印象的なのが、建築家の大先生である竹元勇三。物語の中では、ヨーロッパを遊学し、最先端のデザインを学び帰国し、帝大で教鞭をとりつつも、大阪の近代化の肝入りプロジェクトである御堂筋線の駅舎のデザインを行う人物である。
天才というのを印象付けるように、思い立ったら人の意見など聞かず、自分の信じる建築をいかに実現するかに邁進する。予算がなくて、どうしても設計変更で対応しようとする主人公に対し、
「お前の仕事は私のデザインを守ることじゃないのか!!!!!」
と大声で怒鳴る竹元教授。これはあたかもスター建築家、大先生というのは、予算も条件も何も考慮に入れなくて、自分の感性の赴くままにデザインをし、愚鈍な大衆には理解できない、大変立派なビジョンを一人の天才が社会に実現してやるのだといわんばかりの態度に映ってしまい、大きな誤解を生む可能性もありそうである。
自分は美しいもの、理想を掲げた外形だけを気にして、建築が抱えるもっとドロドロした部分、機能の調整や、予算の問題、関係するさまざまな人たちの要望や、工期の問題。雨水処理や換気方式などなどとにかく上げれば切がないほど細部にわたり、一つでも無視することができないのが建築が総合芸術と呼ばれる所以である。
それを、そんな些細なことは下々が処理するべきで、私のような天才は、もっと大きなビジョンを提示すればいいのである。それを死守するのが私の役目である。という描き方。
「このデザインだと要求される面積が足りないんですけど・・・」
という担当者の言葉に対して、
「それならば面積が足りなくても問題ないとクライアントに言えばいい!。その数平米とこのコンセプトを守ることとどっちが大事だと思っているんだ!」
と怒鳴るようなものであるが、それでは建築は成り立たない。それでも成り立った時代があるのかもしれないがそれはまた別の話。とにかくグローバル化した現代社会。誰もが同時代的に情報を得ることができる中、建築家が世間から距離を置き、専門家としてのベールをまとうことで「天才」を演じ切ることはできない時代。本当に一から十までどこの部分でどれほどの能力があるのかどうかがすぐに分かってしまう時代においては、プレイング・マネージャーとしての建築家でなければやっていけない。
その竹元教授のモデルとされたのが、まさに「ごちそうさん」の同時代である明治から大正にかけて活躍した建築家・武田五一(たけだごいち)。東京大学を卒業し、東大で助教授を務め、文部省より派遣されヨーロッパへの留学。そこで見てきたアールヌーボーやセセッションを日本に紹介し、帰国後は京都大学で建築学科を設立し、大阪の街づくりのシンボルでもあった地下鉄御堂筋線の心斎橋駅を1933年に設計し、セセッション様式を採用して設計を行った。
[大阪名所図解] 地下鉄御堂筋線 心斎橋駅
まさに「ごちそうさん」の竹元教授そのもの。
内藤廣が「形態デザイン講義」でもいうように、技術を社会にわかりやすく、そして受け入れてもらえるように翻訳するのがデザインであるとすれば、ヨーロッパで学んだ新しい鉄筋コンクリートの天井の高い大スパンの空間の心地良さ。そこに煌びやかな洗練された装飾が適度に施され、訪れる人を迎え入れてくれる駅舎空間。その駅舎空間を地下鉄の駅に採用した武田五一。日本が近代化していく過程で人と物を動かす起点となり、都市の活動の幅を広げる地下鉄の駅には、新しい空間が必要だと採用したその様式。
知識が限られていた時代においては、それを見て理解していることは専門家としての地位を守る大きな武器であった。しかしその知識の希少性が薄れる時代においては、本当の意味で新しいものを作り出せる想像力か、さまざまな条件の中で創意工夫をしてクリエイティブな解決法を見つけていける力か、それとも技術を深く理解し、その本質を熟知することで、関係者にとってメリットのある方式を提示し推し進めていくプロフェッショナルとしての実現力があるかどうか。
少なくとも、ある分野で進んだ国家に留学し、それを持って専門家として一生安泰の地位でいることは不可能となった時代において、専門家、プロフェッショナルとして何を持ってそう呼ばれるのかを、誰もがみな今一度顧みる必要があると感じさせられるドラマの一シーンである。
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