原作は売れっ子ミステリー作家の東野圭吾。それを演技力に定評のあるアイドルを中心に豪華スタッフで固め、なんとか日本からも科学技術を駆使したスケールのデカイ娯楽映画を作ろうという意気込みは感じるが、アメリカの映画と比べてしまうと返ってその力不足が否めない。
恐らく小説の原作ということで、作家がかなりのリサーチをして専門分野でない様々な内容をその道のプロに聞きながら物語を作り上げて行き、活字の世界で読者の想像力によって補完され、不完全な世界として成り立っている世界観がある。
それを元に映画という3次元の映像を立ち上げようとすると曖昧な部分を残せない。読者の想像力任せの補完機能が排除される時に、どれだけ精密に、どれだけ専門的な説得力を持ち、ディテールに満ち溢れた世界をつくりあげられるか?
恐らくハリウッドなどには、この段階で驚くほどの人員と専門知識が総動員されるのだろうと思われる。小説という作家一人の妄想から生まれた世界に、様々な裏づけを与え、ディテールを作り上げ、すぐ近くだけど間違いない未来を描く。数学、生物学、科学、遺伝子工学、犯罪心理学、等々世界は一つでも手抜きはできない。一つでも明らかなる幼稚な設定が入っている事で世界が一瞬にして崩壊していまう。
そのくどいほどの突き詰め方、こだわり方が、現実ではなく映像の世界においても、未来というもう一つの現実の世界をリアリティを伴って立ち上がることを可能にする。
東京では映画が撮影しにくい、というレベルの問題ではなく、原作の小説から脚本にする段階での各方面の専門知識の不足。そして見る側にとってリアリティを伴う為に作りこまなければいけないディテール不足。それらがなんとも全体を安っぽくしてしまう。だからこそ、こういう各方面の専門知識を動員しないと世界観を構築できない科学モノや未来モノが邦画でどうもうまく作れず、その代りに人間関係やのほほんとした温かい生活の様子などをテーマとした映画では世界でも高く評価されるというのも、納得できるというものだ。
警察が犯人が潜んでいるかと思われる建物に突入する時に一体どのような可能性を考慮して、どのポジションの人員が、それぞれにどの様な動き方をするのか、銃はどの様に構え、どの様に扱いながら犯人との距離を詰めるのか、素人同然の犯人を何度も何度も取り逃がす警察、指名手配されている犯人があっさりと東京のど真ん中まで戻ってこれるその方法とは。目の下を黒く、無精ひげもあおくメイクすればやつれている雰囲気が出るかのような何とも表面的な演出。それならば時間が取れ役作りがしっかりできり専門の役者をキャスティングしてリアリティのある演出をしたほうがよっぽど良かったのではないだろうか。
余りに気になるところが多すぎて、なかなか話しに入り込めないが、その話もなんとも深さを感じないものとなっている。話的には何年も前にマイノリティ・リポートで描かれた世界観を超えてないし、作りこみはそれ以下。近未来を描くには、日本にはアニメしかないのだろうかと少々がっかりする事になる。
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スタッフ
監督 大友啓史
原作 東野圭吾
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キャスト
二宮和也 神楽龍平
豊川悦司 浅間玲司
鈴木保奈美 水上江利子
生瀬勝久 志賀孝志
杏 白鳥里沙
水原希子 蓼科早樹
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作品データ
製作年 2013年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 133分
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