縮小社会に入り、人口を失っていくこれからの日本。と同時に人類史上経験したことのない超高齢化社会に少子化社会が重なり、現役労働世代がとてつもない負担を強いられながら社会を変えていかなければいけない今後の30年。
江戸から東京へ、時代に沿って常に人口が流入し、都市が拡大してきた東京。江戸時代の大名屋敷を山の手へ。商人街を下町へと変換して作られた明治期の東京都市計画。新たに流入してきたものが、自分も少しでも良質な住空間をと目指したのが周辺地域。そこにビジネスが絡み、開発が始まる郊外地域。
そんな初期の郊外もいつの間にか山の手と下町的な内部格差が生まれ、そして飽和を迎える。そしてさらに外へ外へと押しやるスプロールの圧力。のっぺりと広がる郊外都市。それは人口が増加し、東京への流入圧力がある時代には避けられない事態であった。
しかし、その一つ目の前提が壊れようとしている。人口が増えない。しかし二つ目の前提はさらに加速するかのように人々を東京へと吸い寄せる。勝ち残る都市に自らの居場所を求めようとする若者の流れ。そしてすでに現役を退き、悠々自適な老後を送る高齢世代。
年代格差が叫ばれて久しいが、今後はさらにその様子が顕在化する時代において、人口が減って、さらに東京に集中的に人口が流入する時代において、では一体どこの街が人を失い、消滅していくのだろうかというて視点で見ていくと、必然的に郊外の一部分が消えていくことになる。
そんな流れを理解するために、今までの郊外化の流れを歴史を踏まえてみていくのがこの一冊。著者の今までの本を読んでいれば、あえてこの本を手にする必要もないかと思われる総括的な内容になっている。
そんな中、懐かしく思うのが、朱引(しゅびき)、墨引(すみびき)という江戸時代の行政区域に関する言葉。昔学生時代に、学校の授業で先生が口にしていたのを思い出す。
朱引(しゅびき)とは「大江戸」として認識されていた、江戸幕府が江戸の行政範囲を示すために示した地図上に惹かれた赤い線の内側の事。つまりここから内側は江戸ですよと明示するための線。
さらにその内側に引かれた墨の線。それが墨引(すみびき)。朱引の内側をすべて江戸幕府が納めるのはやや範囲が広すぎて、手間とお金がかかりすぎるというので、朱引よりも更に内側の、江戸城を中心としたより小さな環状域を町奉行所支配の範囲として示したのが黒い線で引かれた墨引という訳である。
そんな少々懐かしい思いをしながら、建築史の歴史の授業のような内容を読み進めていくことにする。
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第1章 第四山の手論
/東京の地形、山の手と下町
指先を右に向けて左手を置いたような形
世界中の都市の中で、東京ほど坂が多い都市はないそうです
山の手と下町がセット
本郷も坂を下ると湯島の歓楽街
麻布の高級住宅地もちょっと下れば麻布十番商店街
/第一山の手
最初の山の手の住宅地 本郷
標高にして20メートル この差が山の手と下町の地形の差
加賀百万石の前田家の屋敷
第一山の手
/第二山の手
現在の山手線の内側の西半分は完全に郊外だった
江戸の人口は約100万人
明治初期の人口は減少して60万人くらい
山手線が今のように環状運行するのは1925年
第二山の手
山のつく地名が多い
御殿山、池田山、代官山
洋館
沿線に住宅地 京王線 1916年 新宿追分ー府中
小田急線 1927年 新宿ー小田原
東急東横線 1927年 渋谷 -丸子多摩川
西武新宿線 1927年 高田馬場ー東村山
東武東上線 1914年 池袋ー田面沢
井の頭線 1933年 渋谷 - 井の頭公園
1903年 ロンドン郊外にレッチワース 田園都市
緑の豊富なところに住みたい
大正時代には人口が200万人を超える
渋沢栄一は1918年 田園都市株式会社 洗足、大岡山、田園調布
1923年に関東大震災
/第四山の手ゾーン
東急田園都市線沿線を中心とした郊外住宅地 第4山の手ゾーン
移動手段は徒歩 路面電車やバス
マイカー 電車
第2章 東京は増加する人口を吸収してきた
/江戸時代の東京
墨引、朱引と呼ばれる地域が江戸の範囲
墨引は町奉行の管轄範囲で、朱引は大体今の環状6号線くらいの地域
朱引で囲まれた内側が、徳川の管轄権
/東京は工業都市だった
JR南部背沿線も工業地帯
南部線沿線には、労働者の娯楽として、ソープランドや競馬場や競輪場がある
/第三山の手時代に住宅地はどこで建設されたか?
三井信託、三菱信託、東京信託などの信託会社が住宅地を開発
/流入したひとのほどんとが若者だった
若者が一番ほしいものは「独りになれる部屋」
/郊外へ
大都市に流入した若い人々のニーズ 1955年 には日本住宅公団が誕生
抽選で当たった人が住める
高島平団地への入居 1972年
30代後半になって子供が成長して団地が手狭になると、郊外に一戸建てを買いました
/バブル期、どこにどんな名前のマンションが建てられたか?
吉祥寺駅前の築5年の70平米のマンションが1億2000万円
バブル時代はひどい時代
土地持ちはますます豊かになり、一般庶民はものすごい住宅ローンを背負ったのです。しかもその住宅が今は資産デフレになっている。
第3章 山の手の条件
/山の手と下町の格差
戦前の東京の3大貧民街 下谷万年町(上の駅東側)、芝新網町(浜松町駅西側)、四谷鮫河橋(四ツ谷駅南側)
かつて山の手の住民ではなかった人も中流化によって山の手に住むことができるようになった
山の手の中にも格差 中央線の荻窪は将官の町、阿佐ヶ谷は佐官の町、高円寺は尉官の町、荻窪には、近衛文麿の家
親の学歴はそんなに高くないが、子供の学歴はもっと高くしたいと考えている人が多い地域
/西側だけでなく東側でも郊外化が進んだ
今橋映子先生「都市と郊外」
モンマルトルというと高級住宅地 20世紀の初頭までは娼婦の街でした
第4章 郊外の文化論
/なぜ郊外の文化論に着手したか
写真家の藤原新也さん「東京漂流」の続編「乳の海」
金属バット両親殺害事件
キリンビールなどと並ぶ三菱グループの優良企業旭硝子の部長
戦後日本人の欲望の行方についての研究
/アメリカの影響、団塊世代との関係
イギリスの田園都市レッチワース
セントフランシスウッド
/レヴィットタウンとは
アメリカの郊外住宅地レヴィットタウン
ひたすら同じ家が並んでいる
特別なローン
月2万円で家がかえた
当時の多くのアメリカの知識人は「これはひどい住宅地だ」と感じました
/データで見るアメリカの豊かさ
約20年遅れで日本はアメリカを追いかけてきた
第5章 郊外の歴史と問題
/レッチワース
郊外の原型
イギリスで1903年 レッチワースという田園都市
エベネザー・ハワード「明日の田園都市」
中心市街地の周りに住宅地
/色々な人がいるのが本当の田園都市
中世の村に、いろいろな人々がまじりあって生活していることの素晴らしさ
都市の重要な特徴の一つが、多様な人々がまじりあってすみ、働いていること
/アメリカの郊外はどのようにして生まれたか?
アメリカはプロテスタントの国
プロテスタントは、非常に敬虔なキリスト教徒
家族の重視
イギリスの造園論
フレデリック・ロー・オルムステッド シカゴ郊外にリヴァーサイド
ラドバーンの設計者であるクラレンス・スタイン
/ラドバーンはどんなまちか?
1906年 アメリカ田園都市協会
フォレストヒルズ 近隣住区論 クラレンス・ペリー
小学校の学区を単位に住宅地をつくる
戦後の日本のニュータウン、新興住宅地はみなこの思想で作られています
サニーサイドガーデン 都市批評家のルイス・マンフォード
1929年 ラドバーン
歩車分離
景観規制
クラレンス・スタインとヘンリーライト
公園緑地を最低でも敷地全体の10%用意、商業地は住宅地から歩いて行ける範囲に作る
街路は住宅地の中を通り抜けるのではなく、取り囲むように配置する
横浜市にある住宅地、緑園都市はラドバーンと姉妹都市
/郊外の問題点① ジェンダー分離
男性は都心で働いて、女性は家で家事をするというジェンダー分離
女性は専業主婦になる ジェンダー分離が助長
/郊外の問題点② 若者の反抗、黒人の排除、環境の悪化
若者が抑圧感を感じる
人種問題、黒人排除
戸外に白人だけが住むことを「ホワイトフライト」white flight
環境問題
レイチェル・カーソン「沈黙の春」
/ニューアーバニズム
新しい住宅地計画思想であるニューアーバニズム
「次世代のアメリカの都市づくり」
ヴィレッジホームズ
すべての家が南面配置
/コミュニケーションのデザイン
フロリダにつくったシーサイド
「トゥルーマン・ショー」
/マウンテンヴュー 商店街の活性化には何が必要か?
商店街
吉祥寺が魅力的なのは、人がたまる場所がいっぱいあるから
第6章 郊外の未来
/花咲く郊外へ
椿峰ニュータウン
あとがき
/郊外研究のためのブックガイド
・郊外住宅氏の歴史
山口廣編「郊外住宅地の系譜」
「近代日本の郊外住宅地」
内田青蔵「同潤会に学べ」
佐藤滋「集合住宅団地の変遷」
越沢明「東京の都市計画」
「郊外と現代社会」
「家族と郊外の社会学」
E・ハワード「明日の田園都市」
東秀紀「明日の田園都市への誘い」
・東京論の基本
陣内秀信「東京」
「東京都の百年」
川添登「東京の原風景」
樋口忠彦『郊外の風景」
・日本の公害の問題
藤原新也「東京漂流」
山本理顕「住居論」
・アメリカ郊外の歴史
・アメリカ郊外の問題について
ジェイコブス「アメリカ大都市の死と生」
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目次
はじめにーなぜこの本を書くことにしたか。
『東京から考えるー格差・郊外・ナショナリズム』
『郊外の社会学』
『段階の時代』
『「東京」の侵略』
第1章 第四山の手論
/『「東京」の侵略』
『「東京」の侵略』のメインテーマは「第四山の手論」
/東京の地形、山の手と下町
指先を右に向けて左手を置いたような形
世界中の都市の中で、東京ほど坂が多い都市は無いそうです。丘や谷が多い。
山の手と下町がセット
本郷も、坂を下りると湯島の歓楽街。
麻布の高級住宅地も、ちょっとくだれば麻布十番商店街。
/第一山の手
最初の山の手の住宅地
本郷
/第二山の手
/第三山の手
/第四山の手ゾーン
/新コンセプト誕生まで
/第四山の手論はパルコの増田通二氏の個人的体験から生まれた
/第四山の手論が現実になった瞬間
第2章 東京は増加する人口を吸収してきた
/江戸時代の東京
/明治期 鉄道の発展と共に東京が発展した
/海外の都市の人口との比較
/昭和の「大東京」時代
/東京は工業都市だった
/第三山の手時代に住宅地はどこで建設されたか?
/1873年の日本の利別人口ランキングの上位5都市はどこ?
/流入したひとのほどんとが若者だった
/郊外へ
/バブル期、人口はどの地域で増えたのか
/バブル期、どこにどんな名前のマンションが建てられたか?
/横浜対川崎。たまプラーザ対豊洲
/都心の人口の推移
第3章 山の手の条件
/山の手と下町の格差
/山の手と下町の関係も変化した
/東側の発展
/西側だけでなく東側でも郊外化が進んだ
/第五山の手はあるのか?
第4章 郊外の文化論
/なぜ郊外の文化論に着手したか
/アメリカの影響、団塊世代との関係
/ジャパニーズWASP
/『Populuxe』との出会い
/レヴィットタウンとは
/なぜレヴィットタウンが必要だったか
/アメリカの豊かさが日本人の憧れだった
/当時の大衆文化とは
/データで見るアメリカの豊かさ
/ニューヨーク万博と郊外化
/専業主婦はアメリカの兵器だった
第5章 郊外の歴史と問題
/レッチワース
/色々な人がいるのが本当の田園都市
/アメリカの郊外はどのようにして生まれたか?
/減点は、イギリスのバーケンヘッドパーク
/ラドバーンはどんなまちか?
/郊外の問題点① ジェンダー分離
/郊外の問題点② 若者の反抗、黒人の排除、環境の悪化
/ニューアーバニズム
/コミュニケーションのデザイン
/マウンテンヴュー 商店街の活性化には何が必要か?
/子供を育てる「街育」
第6章 郊外の未来
/暗いシナリオばかりだが
/それでも郊外に住みたいか?
/子育てしやすい場所に人が集まる
/オールドタウンは実は健全な町
/空き家、空き地の活用をして本来の田園都市へ
/タテのつながりとヨコのつながり
/花咲く郊外へ
あとがき
/郊外研究のためのブックガイド
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