2014年1月12日日曜日

日本人の建築家

日本人として建築を学んでいるだけ、実はとてつもなく多くのものを学んでいるんだと、海外で仕事をするようになって初めて気がつく。

生活を営むすぐ近くに、建築の歴史の中でも大変意味を持つ傑作から、現代建築の最先端のディテールや素材の扱い方をする建物などを、直に体験し、見て、学ぶ事ができる。

日常の中に最高レベルの教科書がごろごろ転がっているようなものである。

六本木ヒルズなどは、世界中のディベロッパーが参考の為に視察に来る様な世界最高峰のショッピングセンターの在り方を提示するだけでなく、地形と動線を立体的に処理する高度な設計や、過度にならずに統一感を与えるショップ・フロントの設計など、実際に自分で設計をしてみると、「あれ?」と思う事が見事に処理されている例である。

そうかと思えば、モダニズムの開始から、前川、丹下、菊竹、と重厚な建築とそのディテールを実際に見ることができ、それに続き安藤、伊東などの世界的に評価された建築に入る事ができ、そしてSANNAや隈研吾など、伝統とモダンを融合させる繊細な建築ディテールと空間を学ぶ事ができる。

それが意識することなく、ただただ生きているだけで身体に染み付いていること。見ていること。その環境がどれだけ恵まれているか。そして望めば、何百年前の木造建築まで同様に体験でき、同様にディテールを実際に見ることが出来る。

人の想像力がどれだけ凄かろうとも、やはり知っているものをベースに広がっていく。つまりは建築家として身体の中にどれだけ建築体験が入っているか、蓄積されているかがその境界線となってしまう。

そう考えれば考えるほど、特に若い建築を志す人や学生は、できるだけ上質な日本の建築を実際に見て回ることをするべきだと思う。それを出来るだけ自分の身体に取り込むことが将来に大きく身になって返ってくるのだと、大学などでもっと伝えるべきだと思いながら、自分の身体にももっともっと良いものを吸収していかないとと思わずにいられない。

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