2010年5月19日水曜日

「不在に忍び寄る(イランと向かい合って)」 東京画廊 ★★★

懇意にしていただいている東京画廊さんで今日から始まった展覧会のオープニングに合わせて開催されたシンポジウムに顔を出してきた。

昨日、今手がけている銀座の老舗呉服屋さん「伊勢由」さんの女将さんの実家のリノベーションの縁もあり、呉服の勉強をさせていただこうと、銀座の本店に顔を出した帰りに、東京画廊さんにも御挨拶に寄ったら、キュレーターのシャヒーンさんと、作家のサラさんをオーナーの田畑さんより紹介していただき、

「来年からはインドをやるから。インドは難しいよー。」

と、その先に横たわるまだ見ぬイスラム・アートのついていろいろお話を聞き、モザイクのベールに包まれて、なかなか垣間見ることの出来ないイランの生の声を聞けるのを楽しみに足を運ぶ。

会場はかなりの数の外国人のゲストに埋め尽くされ、現在の緊張したイランの政治状況も踏まえたかなり込み入った話が聞けた。

政治によるセンサーシップによって表現が制限される現状についての話で、グローバリゼーション後の世界において、センサーシップの枠組みから離れた場所での作品の発表が可能になった新しい世代の作家にとって、表現の内容及び手法は変わってくると思うのか?もしくは、そのセンサーシップというのは、外的要因として存在するのではなく、自らの内部にあり、それが逆に文化の枠組みを決定しているということはありうるのかと、少し気になったので聞いてみると、なかなか興味深い答えが返ってきた。

シンポジウム後も個別に話が出来たので、誰か一人が意識的に決定したものとしてのセンサーシップではなく、共同体の蓄積として、社会、歴史、モラル、文化、宗教と様々な要因がからみあい、内的な制限として生み出される曖昧なセンサーシップは、別の観点から見れば、発想のモチベーションとして起因し、ネガティブな面を見るのではなく、そこの内在されるポジティブな側面を見ることが、ペルシャ・アートとしてではなく、イラン・アートとしての枠組みをより明確にしてくれるというのではと、サラさんともかなり面白い話ができた。

「ある種の作品を発表したら、二度と国に帰れなくなる」

という、作家の言葉に、勉強不足を痛感すると共に、今年か来年にでも中近東に足を運んで、象徴の中の具象というものを実際見てみたいと思う。

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