2010年5月26日水曜日

「生きることの意味―ある少年のおいたち」 高史明 ちくま文庫 1986 ★★★★






















ある日、長屋の家に帰ると、居間の真ん中にウンコがしてある。

帰ってきた兄と父に言うと、「きっと、泥棒が入ったんだ」という。なぜ、ウンコが泥棒につながるか。それは、昔の朝鮮の諺に、「泥棒がウンコを残すと、その泥棒は決して捕まらない」というのがあるという。

こんな盗むものもない貧しい部落の家に盗みに入って、捕まるのが恐ろしいという思いから、狭い家のなかで戸口に向かって必死にウンコをしている泥棒の姿を想像し、親子3人、笑いが止まらなくなる。

「流れる星は生きている」に描かれた敗戦後の朝鮮に生き、祖国を目指す日本人。
これは敗戦の日本に生きるまなざしを祖国に向けながらも、日本に生き続ける在日朝鮮人の家族の物語。

1910年の日韓併合に伴い、急増した朝鮮からの移民。土地調査事業によって、持ち主不明の土地として、それまで慣習に沿って土地を所有していた人が持ち土地なしの流民として日本に労働力として移住させられ、さらに文化の象徴でもある、言葉を強制的に奪われた35年間の間に、移民一世の子として、父と兄のまなざしに見守られながら、「人はなぜ生きるのか?」の問いに答えをだそうと、そして、「どうしたら日本人と朝鮮人が仲良く暮らせるか?」を子供なりにひたむきに考え、悩み、苦しむ日々。

片言の日本語しか話せなく、酒飲みでばくち打ちの移民一世の父のまなざし。

勉強が好きだけど、父の反対のために進学をあきらめる兄のまなざし。

移民二世として、朝鮮人としての自我と争い続ける自分のまなざし。

困難に立ち向かう勇気を教えようとしてくれた阪井先生のまなざし。

敗戦によって依るべくものを失い、どうした態度をとっていいのか迷う先生達のまなざし。

様々なまなざしに囲まれながら、死によって終わる苦しみではなく、立ち向かうことで見えてくる生きることの喜びを、自分なりにどう見つけていけるか。

子供時代の気持ちを、その時の言葉で書いていて、毎日揺れ動く感情がストレートにあらわされているだけに、ぜひ子どもに読んでほしい一冊。

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