西湖から離れ少し市内に足を向けることにする。というのは借りているレンタル自転車の鍵の一つがどうも不具合を起こしており、そのオフィスに行って情報を正してもらう目的と、ICカードを返却するのには市内にあるある場所にカードを持っていかないと預けてあるデポジットが戻ってこないからその場所と手順を先に確認しておくこと、そして妻が行きたいとリストアップしておいてお茶屋さん、そして私が行きたいとリストアップしておいた現代建築。
ある程度の大人の同行者での旅となるとその目的のバランスを取るのが大変になるが、そこを摩擦を起こさないように平衡状態を保って旅を進めるのもまた大人の旅の楽しみの一つ。ということで、まずはレンタル自転車オフィスに4人で行き、その後お茶屋さんに移動して、3人でお茶を楽しんでもらっている間に、自分は一人で博物館を見て戻ってくる。という段取りの元に西湖を後にする。
暫くするとレンタル自転車スポットが見えてくるので、不具合の出ていたカードを試してみると、上手く自転車を取り出せることに。恐らく朝近くのレンタル自転車スポットで正してもらった情報が本部に届いて更新されたのだろうということで、なれない自転車を漕ぎながらレンタル自転車オフィスの場所確認へと向かう。
地図に表示し、始めての街の中を、地図を片手に道順を確認しながら、後ろから着いてくる3名のペースに気を使いながら先を進む。先ほどまでの西湖周辺とは打って変わり、大変な人出で賑わう中心街。西湖ばかり見ていたので気がつかなかったが、やはり杭州は大都市だということを実感する。
無事にレンタル自転車オフィスを見つけだし、引き返して観光客でごった返す中心街に面するお茶屋さんへとたどり着く。妻と同行ご夫婦の三名はお茶セットを注文し、自分だけ足早に目的地へと向かうことにする。
その目的地はこの地に拠点を構え、伝統的な中国の素材の扱い方、自然との関係性を元に独特の建築作品を発し続けている建築家・王澍(ワンシュウ、Wang Shu)の作品群。2009年に中国人建築家として始めてプリツカー賞を受賞したことで一気に注目を浴びることになるが、一昨年には代表作でもある杭州美術学院の学校施設をオフィスのメンバーに見に行ったが、その時の建築らしい空間が非常に心地良かったので、ぜひとも他の作品も見てみたいと思っていた建築家である。
杭州の街中で南宋時代の遺跡が発掘され、それを保存しながら公開する博物館を中心として、その通り全体を南宋時代の雰囲気を残した街並みとして開発をしたプロジェクトに全面的に王澍が関わり、東京の代官山の槇文彦の様なタウン・アーキテクトとしてプロジェクトを作り出しているといわれるのがこの「南宋御街(なんそうみがい、Nán Sòng Yùjiē)」。
ネットで事前に調べても上記のストーリーは分かるのだが、具体的に何を彼の王澍が設計したのか?がイマイチ掴めない。恐らく街中にいくつか彼の設計した博物館らしきもの、商業施設らしきものが点在しているのだろう、というぐらいの理解で向かうことにする。
通り時代はかなりの長さを持ったもので、全体として3ブロックに渡って展開していることになる。南側からアプローチしたのだが、車が入れないようになっており、通りは徒歩専用に舗装されたいかにも中国を感じさせる雰囲気となっている。
もっと極端に南宋時代を押してくる観光地となっているか、もしくは逆に現代的に開発の進んだお洒落な通りに商業化されているのか、と思ってたどり着いたが、そのどちらでもなく、心地のよい身体スケールに手すりのない水際空間がアクセントを作りながら、場所のあちこちに人が佇める溜まりの空間が用意されている。
そうして道の脇に寄りながら、風景を収めていると、道の脇に立ち並ぶ建物がなにやら不思議な形をしたフレームで囲まれているのが見て取れる。どうやらいくつか道に飛び出すボリュームには両脇と屋根を囲うようにフレームがかぶせられ、そのフレームは古い瓦を積むことで構成されている。そうではない道の両脇に沿う建物の庇部分は、少々変わった折れ線を描くように設計されている。その後ろに控える中層のマンション群はその表層に統一した素材で一層を設けられることで背景として消えている。そうして整えられた風景の中に、ところどころ明らかに異物と見られる不思議な形をしたコンクリート造の建物が現れる。そうかと思えば形態的には非常にミニマルであるが、開口部の開け方が非常に現代的な抽象的な建物があったりする。
そして中央部分には道にまで飛び出す大きな庇が見えてきて、その周辺には沢山の人だかり。何かと近づくと、地面にガラス張りのボックスが突き出しており、なにやら下が透けて見えるようになっている。どうやらこれがネットで王澍設計の博物館として検索される建築の様である。正式には「南宋御街博物館」(Exhibition Hall of the Imperial Street of the Southern Song Dynasty)というようである。
建物は車が入ってこないようにしてある通りと街全体の計画に一人の建築家が最初から関与し、さらにその建築家が中心施設の設計も行うという、極めて稀な状況によって可能にされた構成となっている。
建物自体が道に張り出し、人はそこで地下に何かしらの展示があることを確認し、道に設けられた一段下がったガラスの側壁からそれを覗くか、もしくは建物に一度入り、奥の部屋に用意されているこの通り全体の模型と壁面に展示されている開発の様子を理解した後に、地下に降りていき、南宋時代の遺構を見ると共に、その上に歩き回る人々の姿も下から見上げる形となる。
特徴的な道に飛び出す庇は木製の特徴的な構造形式をとっており、手の痕跡がいたるところに感じられる設計となっている。自らのオフィスの名称を「業餘建築工作室」(Amateur Architecture Studio)と名付けるように、手の痕跡にこだわる姿勢が見て取れる。
徐々にこの通りと王澍の関わり方を理解し始めると同時に、通りを歩きながらどこに王澍の作品があるのかを探すある種の宝探しの様な雰囲気を見せ始める。「あ、これもそうだな・・・」と裏に回ってみたり、そうかと思えば全く普通の建物であったり、屋根面の処理に意外な発見があったりと、急ぎ足ながらかなり楽しめる通りとなっているのは間違いない。
この通り名で検索すると必ず出てくる不思議な形をした縦長の建物は本屋兼カフェになっており、「どうやって施工したのだろう・・・」と逆に不思議に思われる納まりを写真に収めながら、カフェを通り抜けて再度通りに戻ってくる。そんな上下にも左右にも広がりがあり、溜りがあり、マニュアルでは造りえない、人が考え、面白そうだと選ばれて作り上げられた痕跡がいたるところに感じられる。
北に向かえば徐々に南宋時代だけではなく、歴史の中で生み出された様々な建築様式を見ることができる。それだけこの通りが歴史の中でどれだけ重要な舞台となってきたかを感じ取ることができる。
北まで歩ききり、再度南に向かって通りを歩いていくことにする。先ほどは見つけることを目的に歩いてきたので、今度はできるだけ通りを感じながら連続した空間として体験するように意識して歩くことにする。そして足元や壁の素材をどのようにして使い分けているのか、それがどのような効果を作り上げているのかを感じて歩いていく。
そうして歩いていくと、先ほどの道に張り出した博物館へと戻ってくる。そのガラス張りの展示の周囲に集まる人だかり。その後ろに道の脇でピアノの演奏をするミュージシャンの周りに集まる若者。そんな都市らしい風景を作り出すことに成功しているのは建築家としてすごい手腕であると共に、それを可能にした行政側の功績もまた非常に大きいものだろうと思いながら三人の待つお茶屋へと戻ることにする。
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