2013年9月21日土曜日

「沖で待つ」 絲山秋子 2009 ★

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第134回(平成17年度下半期) 芥川賞受賞
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分からないものは怖がることなく分からないという。それが知的生活における知的正直さだというので、はっきり言い切れるが分からなかったこの一冊。

平成17年度の芥川賞受賞作品ということで手に取ったのだが、男と女の友情はそんな簡単には生まれないが、それが「同期」という枠組みの中に入れられれば、同志的な友情が生まれ、その当人がたまたま女性総合職として社会に組み込まれただけであり、「女性」という存在よりも「同期である」という事実が先にくる。

恐らく、そういうことを書きたかったのだとは理解できる。

そして女性として男女雇用機会均等法の時代の流れを受け、様々なやっかみや慣習が交差する環境のなかで、時にさらし者にされているような感情を持ち、それでも戦場を闊歩するように強く生きていく。その中でいつの間にか男女を越えた同志としての絆が育まれる。

それは分かる。

家族でも、親友でもなく、同期だからこその信頼感。日々の半分以上の時間を過ごし、自らのアイデンティティーをかけて向き合う仕事の場。それを共に過ごし、苦しみを分かち合い、一緒になって成長していく同期だからこそ共有しあえる何かがある。

それも分かる。

そしてその同期という枠組みは、時に男女と言う枠組みよりも大きく、そして強くなり、絶対的な所属意識と自らのアイデンティティーを植え付ける。「こいつは絶対裏切らない」と。

「仕事のことだったら、そいつのために何だってしてやる。 同期ってそんなものじゃないかと思ってました。」

そんな表現に現れるのは、自らが存在意義を欠けて過ごしてきた会社人としての時間。それが価値のあるものだと証明するためには、それを共有している同期が価値のある人間であると照明するのと同義であるようなもの。同期は鏡に映った自分であり、同期の一生はいわば自分の一生でもある。

現代の会社人の世界にどっぷり染まって生きていく女性の日常と感情のリアリティ。それが良く描かれているのも分かるし、その物語が共感を呼ぶ読者層がいるというのも理解できる。

しかしこの話が現代を代弁し、時代を超えて何かを残していくのかと思うと、どうにも分からない。文学賞なんでそんなものかも知れないが、どうして芥川賞受賞につながったのか・・・と返って悩むことになってしまう一冊かもしれない。

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