ここ数年のこの時期になると本屋に足を運び、じっくり時間をかけて今の社会がどうなっているのかを物色する。各ジャンルの本棚をスキャニングしながら、最終的に建築関係の本棚へ。
これは、と思うものを手に取り、後はメモにとってレジへと向かう。その後に向かうのは都内に点在する大規模ブックオフ。同じように各本棚のスキャニングと何点かの購入。
その後はアマゾンにて先ほど気になった本及び、その関連書籍の購入。そんなことをしていると大抵30冊くらいの本が続々と事務所に届く日々が一週間ほど続く。
その目的は4月に向き合うことになる新しい生徒達に、懇々と言うことになる「社会性」について自分なりに「今」をアップデートする準備。必然的に、建築以外の「今」を問題にした新書や文庫中心のラインナップとなる。
日本の建築関係の教育にかけていると思われるところに建築の社会に対する眼差しがある。社会学者的な理論を持つ必要性は全く感じないが、30年前と今とでは、同じ建築を設計してもその評価は全く違ってきてしまう。それは当然、その建築が挿入される受け皿として社会が変容してしまっているから。ならばその社会とは、一体どうなっているのか?を少なくとも知っておく必要はある。
「彼を知り己を知り、天を知り地を知る」
2500年前に生きた孫子も言うように、何かに挑むときの基本中の基本。知ることでよりグズグズになっていく現代の政治の後追いはする必要はないが、生きてきた背景も考え方も全く違う生徒が集まる社会人中心の学校では、できるだけ多様な「今」を自分の中に入れておく必要がある。
そんな風物詩となった本屋ホッピングだが、その期末をどう過ごすかに変化が起きる。今年は学校で教えることに一区切りをつけるということで、「今」を知ることがどれほどこれからの自分にとって意味を成すのかをもう一度見つめなおす。
「今」を知り、できるだけ広い総合知を身につけ、どんな人との会話にも対応し、どんな学生の意見にも更に発展性を見つけ出す、そんなアベレージヒッターとしての能力が求められる先生としての準備と、深く自分に向かい合い、何がやりたいのかを問いかけ、自分達にしか出来ないことを創りだす。その為に必要なのは、「今」の乱読ではなくなり、むしろ消費されるだけにマーケットに蔓延する「今」の排除であろう。
日経新聞を読んで、WBS、クローズアップ現代、NHKスペシャルを見て、経済雑誌をチェックし、SNSで発信しながらtwitterでつぶやき、毎週恐ろしい数発行される、必読書を読みながら、週末は趣味に時間を費やし、充実した生活を満喫する。こんなことをやりながら、仕事はしっかりこなしていかなければ一人前の社会人として認められない。生きることが既にかなりハードルが高い今の東京。
東京で生きるために必要なことの中に、自分の人生に必要なことが一体どれだけ含まれているかの仕分け作業。
今を貪るよりも、一歩先を知ることよりも、今までの自分を見つめなおし、今まで得た知識を整理し、今までの体験を自らの言葉で更新する。
この一年、必死に日本の今を排除して、自分のこれからにシフトする。
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