小学校のメンバーに外から誰も加わることなく、また誰も抜けることなく、私立の中学にお受験する1人を抜かして99%が同じ面子でまた3年間を過ごすのだから、人間関係もまったく引継ぎ、中学から人間関係を一身して新しい自分に!なんてことが無理な田舎の幼少期。
そんな訳で小中の同窓会は一つで兼ねることができるのはとても便利。近しい友人が今も地元に残って根を生やし、なかなか世話好きが集まっているので同窓会も結構盛大に集まって行っている。
高校も卒業15年を超えたこともあり、そろそろということで音頭をとり、世話人を各クラスで指名して定期的に100人以上集まる同窓会を運営し、次の総会にはなんとか卒業生全員に連絡だけでも届けられるようにと世話人全体で日々連絡網の拡充に努めている。
ということは、小・中・高と過ごした学校教育のすべての時期の同窓会がしっかり運営されており、いつでも同級生に会うことができる。それは非常に幸運なことだと思うが、その中でのフェイスブックの役割は大きく、近づいて来た年末に向けて今年もまた、「30日に集まるから会えるのを楽しみにしてる!」との書き込み。
そして何年ぶりに集まる面々。当時と変わらない面影に驚き、青臭い当時の話に花を咲かせ、日常から遠くに連れて行かれたような不思議な時間はあっという間に過ぎていく。
当たり前の用に盛り上がる一次会から、流れ流れてバーで数人でクダをまき、それぞれ違う道で過ごした人生の年月を感じられる大人な色気とかつて過ごした一緒の時間とのギャップを他の染みながら酒を傾ける。そんな小学校の同窓会の3次会の様子をひたすら描くお話。
「田村はまだか」
開かないドアに向かっては叫びながら、また一口酒を流し込む。肴はもちろん当時の思い出。
その一言で、待ち人がその場の誰もからも好かれ、誰もがそれぞの想いを胸に彼の到着を待っているのがすぐに伝わってくる。
決して、誰も帰らない。
そして、誰も愚痴らない。
ただひたすらに待っている。
そんな待たれる彼が羨ましいではないか。
そして自分はそんな待たれる人間になっているのだろうかと、自問せずにいられない。
ドアを開けたときに遅れてきた田村が何を言うのか?
その時に待っていたみんなはどんな顔をしているのか?
想像する自分の頭の中に浮かぶのはどの同窓生の顔か?
今年の年末は参加できないが、この先いくらでも「まだか?」と待たれる可能性があるというのはとても楽しみなことだと理解させてくれる一冊。
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2009年吉川英治文学新人賞受賞作
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