2013年8月15日木曜日

お世話になりたくない職業


世の中にはできることならお世話になりたくない人たちがいる。

その代表格は、警察、医者、やくざ、弁護士。

そういう職業の人は、世間が「できることなら関わりたくないな・・・」とあなたに対して思っているということを考慮にいれて、世の人と接するべきであると思う。

何気ない言葉一つでも、ネガティブなイメージを抱いている人にとっては、更に疑念が膨らむばかり。それを払拭すべく、余計なこともできるだけ丁寧に説明してあげることが相応しい。

では建築家はどうか?
世の中の建築家に対するイメージは一体どんなものか?

そう思って友人と話していると、「建築家で悪い人を見たことがない」という。
「では、悪かった人の職業はなんだった?」と聞くと。
「うーん、銀行員、金融関係、会計士」などと結構あがってくる。

確かに建築家になるためには、長い専門教育を受けることになる。その中で本当に実務に必要なことは教えればいいのだが、教えることなく、それよりも建築が社会の中でどういう意味を持つか?建築が社会を良くするにはどのようなことができるか?それでは、現在の社会の問題とは何か?なんていう社会性を嫌と言うほど聞かされるからであり、そういう考え方が建築をやっていく上で大切なんだと刷り込まれる。

そして社会にでたら、人生のある種の成功を空間と言う形に変換しようとするクライアントとバチバチやりながらも接していく。決して人生に疲れて、出口が見えなくてどうしようもなくなっている人と接することもなく、またお金という直接的な価値を追求するようなタイプの人間に接する機会も少ない。

ある意味温室育ちの職業人ということになるのだろうが、そこから培養されるのは、「都市空間を如何によくすることができるか?」
「この街が100年先も生き生きと人々をさせられるためにはどうしたらよいか?」
「世界的なエネルギーの問題に対して、建築が今何をすべきか?」
なんていう問題を日々考えながら生きていくことになる。

もちろんその中には、「如何に自分が有名になるために、お金を稼ぐために、どのように振舞ったらいいか?」を考えて狡賢く生きる建築家もいるが、比較的少数派であるだろうと思われる。

しかしそんな純朴な建築家は、狡猾な他の職業に比べたら社会的報酬は世のイメージに比べ遥かに少なくなるのも事実。それでも「お世話になりたい職業」としていられることを喜びと感じながら生きていくのが大切なのだと再認識することを経験する一日。

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