オフィスからの帰り道。暗くなった胡同の中を自転車で抜けていく。
そうすると、夏の風物詩であるランニングシャツを脱ぎ捨て、上半身裸で道端で涼むおじさんが沢山いる。別に何をするでもなく、ただただ道端にたって、行きかう人を観察している。
例のごとく、「ジィッ」とこちらを眺め、フクロウの様に首だけを回転させてこちらが走り去るのを眺めている。夕飯を食べ終わり、家の中は風が流れないから暑いので、外で涼みながら同じように溢れ出てくる近所の老人連中と井戸端会議でもする途中なのだろう。
その姿を見ながら、この人たちはきっと今の自分よりもある意味幸せなんだろうと思う。
住んでいる場所の環境はそんなに良くはないかも知れない。衛生的に綺麗だとはいえないかも知れないが、生きていくのに問題ない家があり、気の置けない近所の仲間がいる。
旅行をしたり、外食をしたり、服を買ったりするような収入は無いかも知れないが、心配することのない貯蓄と年金があり、住まう家があり、家族がいる。
文化的な娯楽に触れたり、新しい考え方に接したりすることは少ないのかも知れないが、毎日心を「ギュッ」と掴まれる様なストレスは決して感じることはないだろう。
そんなことを考えながら、こちらは代われるものなら代わってみたいと思うけど、あちらは絶対にお断りだろうなと思いをめぐらす。
グローバル化で止め処なく格差が広がっていく現代社会だが、人としての豊かさはその二極化とは決してオーバーラップしない。それが如何にもそうだと刷り込まれるのは日本のメディアの原罪。
そんなことを考えながらも、例え数日代わってもらったとしても、おじさんが根をあげる前に自分自身が「一体自分は何をやってるんだ?」と思い返し、やっぱり建築を考える毎日に戻ってくるのだろうなと妄想を膨らませ暗い胡同を抜けていく。
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