1979年に「エイリアン」で描いたドロドロの未来。
その世界から30年以上の時間を経て、マトリックスもアバターも見せられた後に、それでもリドリー・スコットの描く未来はどんな姿をしているのか?その興味は尽きない。
「人類はどこから来たのか?」
遺伝子工学が発達し、人類のDNAが解明されればされるほど、人類の誕生のシュミレーションが行われれば行われるほど、どこかで見つかるミッシング・リンク。それは誰かの恣意性。それの答えにあげられるのは「リング・らせん」の鈴木光司の世界か、それとも地球外生命体か。
至る所に自作に繋げようとする作為性が感じられ、単作としてはあまりにもひっかかるところが多すぎるが、30年前には想像しきれなかった未来が何だったのか?
より皮膚との距離を縮めた宇宙スーツや3次元的液晶スクリーンなど、30年前に捕らえ切れなかったのは、身体と環境とのインターフェイスが厚みを消していき、身体の拡張機能として役割がより加速することぐらいで、30年前に描いた未来がそれほど古びることなく成立していることはただただ驚くのみ。
構造物に未来性をもたらす為にはやはり巨大性に頼りつつ、古代的な単純幾何学に頼るしかないのはやや残念だったが、シリーズとしてのイメージを踏襲するのに仕方が無いのかと受け入れつつ、もう一度エイリアン・シリーズを見直さなければいけないとなと、なんだか嬉しい宿題を与えられたような一本。
これを見せられたジェームス・キャメロンは今度はどんな未来で自作のアバターに挑むのか楽しみだ。
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