多くの人にとって、秋葉原というのは、
「電気街で部品を売っているお店がたくさん集まっているけど、オタク系の人が集まる様なお店も沢山あって、ちょっとよく分からない」
というのが一般的な捉え方だろう。それを著者は
「趣味が、都市を変える力を持ち始めたのである。」
として一連の考察をスタートさせる。
秋葉原の電気街としての成り立ちは、下町だったという歴史的な要因、東京電機大学の学生がラジオの組み立て販売を始めたという電気系専門学校が近かったという地理的な要因、そして戦後にGHQによる露天撤廃令という行政的要因が絡みあってできたが、それはあくまで需要が先行した大企業的などの介在によらない自然発生的なものだった。
その後、所得倍増計画が描いていた家庭像の蜃気楼として家電販売店が中心となるが、コジマなどの郊外型の量販店の台頭により、ガレージキット専門店の集中し、街は家族連れの街からオタクの街へと変化していく。
オタク趣味の店は目立つ位置に出るのは抵抗があり、裏通りの専門店の中に隠匿されていたものが、個室空間の都市への延長として一気に都市空間の表に躍り出る。
一般の人のオタクと呼ばれる人への視線は、「退行的で社会性に乏しく、アニメから卒業できないまま大人になった。」
「対人的コミュニケーションが不得手で現実の女の子と付き合えないから、架空のキャラクターを代償にしているのではないか」という内容のものが多いのだろうが、ディズニーオタクというのは基本的に存在しないことによって、性的対象としてのアニメ絵の存在が否定し得ないことをあげる。
アニメの王道といえる「性と暴力」、つまり「美少女とロボット」が混成してできたのが、セーラームーンなどに代表される「戦闘的美少女」。2大モチーフのキメラとしての存在。その美少女の眼は異様なほど巨大化し、それは西欧文化の影響に伴う美人観の変化と、また赤子や幼児の顔のプロポーションの特徴を兼ね備える。
そして欲望を風景としてみることができるコミックマーケットは趣味が空間を分節しているのであるとし、「すべてのサークルがほぼ同じ大きさのスペースを割り当てられて並列的に並べられる。階層性のないレイアウト」の特徴を挙げる。
ラブコメ都市東京 ―マンガが描く現代の〈華の都〉ではあらゆる街がミニ東京と化した現代においては、東京ラブストーリーに代表されるように東京は、地方出身の同窓生の再会というドライな機能のみがかろうじて残されているに過ぎず、リアルなディテールに乏しいマンガの世界は、特記なき限り東京であり、特別な場所的描写がなされない場合にそこが東京なのである。として半径1kmの日常と化した東京を描き出す。
オウム真理教の山梨県上九一色村・サティアンがデザインがほとんど施されず、工場や倉庫に近い外観を呈していたという点において、宗教建築のイメージから大きく逸脱するものであったことより、その圧倒的なデザインの欠落に対してデザインされたものに対する無力感、あらゆるメディアを駆使して信者にマインドコントロールを施そうとした教団が、建築意匠をこれに動員しなかったことへの驚きをえがく。
オタクという人格類型の呼称を定着させた宮崎勤のオタクの空間感覚。我々世代が共有するテレビに映されたあの個室の異常性。
東京という首都自体が高度成長期の頃のような進歩的な活力を失ったことの事実。現在東京に建っている高層オフィスビルのほとんどはミースの甘いコピーであり、組織設計事務所がコピーし、日本のゼネコンが移植してきた風景であり、逆にル・コルビュジェのユニテ・ダビタシオンが郊外の団地郡の風景として移植された。
東京の戦後の都市風景の第一フェーズは西新宿のような60年代的な作られ方とし、第二フェーズは民主導で渋谷と池袋に代表される西武的空間。それはテーマパーク的で無印良品という西武が作り上げた総合ブランドに代表されるようにライフスタイルそのものが街のコンテンツとする。そのモデルの標的は、ディズニーランドに変わったとする。それはロバート・バンチューリの「ラスベガスに学べ」の文脈にのっとるもので、その先にくるのが秋葉原的趣味の都市風景。この一連の流れは「官」→「民」→「個」だとする。渋谷が建物がどんどん透明化するのに対して、趣味の都市、秋葉原は不透明化するのも特徴としてあげる。
韓国などはアニメやゲームを国家的戦略産業として国をあげてのバックアップ体制をとっているが、ドラゴンボールやポケモン、スーパーマリオなどの特大の外貨獲得商品をほっておいた腰の重い日本もそろそろ動きだすようだが、あくまでもサブカルとして上から目線を取り払い、すっかり韓国勢にやられた家電に変わる一大産業へと育てあげてくれることを期待する。
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目次
序章 萌える都市
第1章 オタク街化する秋葉原
第2章 なぜパソコンマニアはアニメ絵の美少女を好むのか
―オタク趣味の構造―
第3章 なぜ家電はキャラクター商品と交替したか
―〈未来〉の喪失が生んだ聖地―
第4章 なぜ《趣味》が都市を変える力になりつつあるのか
―技術の個人化が起こす革命―
第5章 趣都の誕生
第6章 趣味の対立
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