2015年2月7日土曜日

須弥福寿之廟(しゅみふくじゅびょう、xū mí fú shòu zhī miào) 外八廟 1780 ★


普陀宗乗之廟で思いのほかに体力を使いきりながらも、外八廟が全部で12個あると思っているものだから、無駄にする時間は無いと、作ってきたおにぎりをリュックから取り出し、この布达拉行官景区の最後の寺院となる須弥福寿之廟(しゅみふくじゅびょう、xū mí fú shòu zhī miào)までの道を歩きながらほおばりながら先を進むことにする。

相変わらずの荒涼とした風景の中にデジャブの様に、同じ距離の同じ方向に、同じスケール感で見えてくるのが目的地。ということはまた相当に山を登ることになるのじゃないか・・・と思いながらも足を進める。

先ほどの普陀宗乗之廟が康煕帝の60歳の誕生日を祝うために建設されたものであるならば、こちらの須弥福寿之廟は乾隆帝の70歳の誕生日を祝うためにこの承徳を訪れた当時のチベット仏教の指導者であるパンチェン・ラマ6世に対しての歓迎の意を表するために、そのラマ6世が住むチベットのシガツェのタシルンボ寺を模して建造されたというものである。

間違いなくこちらも当時の国家プロジェクトであることには間違いない。その敷地面積は3万7900㎡と言われ、現代の国家プロジェクトの巨大施設の敷地と同じ規模でもあろう。

さきほどの普陀宗乗之廟はチベット様式を全面に採用されていたが、こちらはよりキメラ的でいたるところに中国の漢民族様式とチベット様式の建物が織り交ぜられている。最北部に位置する八角形の塔は、杭州の六和塔を模しており、当時の情報が限られた世界において、世界にあるすぐれた文化建築物を如何に模すことが、その王朝の文化レベルの高さを示すことになるのだということが良く見て取れる。

上まで登っていくとまたしても赤い壁である大紅台が待ち受ける。肩をガックリ落としながら、ここで引き返すのはあとに後悔を残すのみだろうと、一段一段と階段を上がることにする。



















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