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所在地 埼玉県行田市本丸
城郭構造 平城
別名 忍の浮き城、亀城
築城 1478
機能 城郭
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言わずと知れた「のぼうの城」の舞台の浮城。
予定通りにスケジュールをこなしてはいるが、念のために忍城が何時まで入れるかを確認するために、ホームページに掲載されている電話に問い合わせをしてみる。
まさかとは思うが、何処かの城の様にある時間で城もその敷地の公園もしまって足を運んだものの、まったく期待している景観を見ることなく帰る羽目にならないようにと配慮してのことだが、市役所に繋がるった電話口では、おばさんが「では博物館に聞いてもらった方がいいので番号言います」と・・・
「えっ、何でそちらでは分からないのです?閉まる時間ですよ。普通のことだと思うのですけど・・・」と聞いても「いやー、ちょっと・・・」と何悪びれず、さっさと番号を言って来る。これで「地方に助成金が降りなくて困ってる」という地方自治体がどのような殿様気分で仕事をしているのか良く伝わり、そんな一般常識レベルの営業努力すらできない自治体はどんどん潰れればいいと怒りながらその番号にかけなおす。
「閉まるのは16:30ですが16時までに入館してもらわないと・・・」と言われるので、
「今向かっていて17号で渋滞で酷くて、到着が16時少し過ぎになるんだが」と伝えると「16時2-3分なら大丈夫かと思いますが・・・」と、なんらフレキシビリティにかける返答が・・・
そんな想定をしていおらず、せっかくここまで来てのぼうの城を見ずに帰る訳には行かず、早速予定変更するために、先に寄っていくはずの寺に問い合わせる。
こちらは「参拝は何時でもできる」と言うので、急遽予定を変更し、先に忍城にいくことにするが、渋滞は更に酷くなりナビの到着時刻は16:10に・・・
「これはひょっとして無駄足になるのでは?」との恐れから、再度電話をして「閉まるというのは敷地全体が入れなくなるのかそれとも博物館が閉まるのか?」と聞いてみながら、「どうしても到着が16:10になるけど入れるのか」と、やはり市民の為の地方自治体がせっかく見に来てくれるという人のためにたった10分入り口を閉める時間を遅らせるというような現場での采配をすべきだったと考え直していたりするかもしれないと期待して聞いてみると、「博物館もう閉まってしまいますけど敷地は入れますのですいませんー」と・・・。これぞ日本の硬直さ加減。
かつて訪れたイギリスはバースのローマ時代の浴室を見える博物館は、夜遅くでも観光ができるようにライトアップをし、様々な趣向を凝らして夜中でも町が観光客で賑わいを持つようにと自治体の努力によって町を盛り上げていた。
しかし日本の自治体参加のこのような観光施設は、冬は一時間早く帰っても給料変わらないし、余計なことをしてトラブルになっても困るから、さっさと返って夕飯の支度をしようと思っているのだろうとイライラしながらハンドルを握りなおす。
組織はそのままだったら腐るのが自然の摂理だと聞いたことがあるが、まさにその通りだな・・・と思いながら、結局無駄にならぬよう寺に先に行くことにする。
そんなこんなで結局忍城に着いたのは日没ギリギリのトワイライトの時間帯。裏の駐車場に車を滑り込ませ、「なんだ自由に敷地に入れるじゃないか・・・」とぶつぶつ言いながらしっかりと閉まっている博物館を横目に城に近づく。
秀吉に「才器、我に異ならざるものは、即ち三成のみ」とまで言わせたキレキレだったころの石田光成。その彼がまだ佐吉と呼ばれた頃に見た、秀吉による備中(岡山県)高松城の壮麗なる水攻め。その風景を見つめながら心に秘めた「俺のこんな戦がしたい。壮大かつ豪気な戦がしてみたい。」という思いをいつまでも持ちながら、やっとやってきたその機会。
初の天下人となるべく秀吉が自ら出陣をしてきた小田原城の戦い。ここでも一夜城を築き上げる秀吉だが、その間に光成に命じられたのは武州(武蔵国)忍城攻め。成田長親を担ぎ、土臭い家臣と農民らが忍城に立てこもり懸命なる抵抗を見せ、ついには激しい光成の城攻めを耐え切り、光成の水攻め失敗として歴史に名を残す水の上に浮かぶ城。
夕日を背景に、水に映えるその姿ももちろん美しいのだが、なんと言っても城へと続く一本の道が美しい。それが兎に角いい。あまり単調に真っ直ぐだといけないということか、適度な距離で直角に曲げられる。近代合理主義からは決して生まれてこない街路の在り方。
わざわざ無駄な距離を挿入する事で、体験と空間を豊かにする。お見事。
その脇に流れる水路のデザインもまた秀逸。かつてバーゼルの街のあちこちで見かけたティンゲリーのキネマティックな水彫刻を思い出させるのに十分なコントロールされた水。深さと床面の素材を変えて、所々で道とシンクロするかのような高低差で音に変換される流れ。飛び石も気が利いた配置に選び方。秀逸だなと思っていると洗われる門。
点から線へと変換され、最後は面で留める一連の操作。先ほど見てきたヤオコー美術館の水の扱いも秀逸だと思っていたが、これのおおらかさを見てしまったらやはり現代のみみっちさを感じずにいられない。
そんなことを感じながら今来た道を再度夕日に照らされる城を眺めながら帰っていくことにする。
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