2013年2月11日月曜日

ヤオコー川越美術館 伊東豊雄 2010 ★★


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所在地  埼玉県川越市氷川町
設計   伊東豊雄
施工   大成建設
竣工   2010
機能   美術館
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ここ何年は日本各地の優良企業が100周年など記念の節目を迎えることに当たって、バブルの浮き沈みを堅実な舵取りで乗り切った企業が、その経営の中で集めてきた絵画のコレクションなどをこの機会にということで一堂に展示する企業美術館を作ったり、その企業の歴史自体を商品と組み合わせて見せる博物館をつくったりとする企画が、あちらこちで活発になった。

その恩恵を受けて硬直した決定プロセスしか持ち合わせない地方自治体などとは異なって、非常に審美眼の優れて判断の的確なトップが気に入れば、かなり建築家にとって自由度のあるプロジェクトとなる可能性が開けてきた時代でもあろう。

その流れの一環といっても良い、120周年を迎えた老舗スーパーのヤオコーが創業家のコレクションしていた三栖右嗣氏の作品を一般に公開しようとその記念館を作ることにしたのが事の発端らしい。

背景はともかく、平屋の住宅といってよいほどの規模で、一人の建築家がしっかりと頭の中で細部まですべて理解しきれるスケールの建物。目を閉じて指を壁に当てて、歩いていっても、どこでどの様に素材が変わり、その境目がどのような納まりになっているのか、その手触りまでしっかりと理解できコントロールできるほどよい大きさ。

川越という中規模の都市で、地元の有名な神社の近くに流れる川のほとりで、ゆったりとした敷地にほどよい延べ床面積。恐らく予算も潤沢というほどではないだろうが、住宅などのプロジェクトに比べたら余裕があったと思われるし、要求される機能も二つの展示室にカフェとレセプションとミュージアム・ショップを兼ね備えた空間という、非常に簡易な構成で十分に納得いくまで様々なパターンを検討できる内容になっている。

まずはなんといってもその敷地の周辺環境。これ以上無いというくらいに、何の特徴も無い凡庸たる日本の住宅街の風景。日本のどこを切り取っても見つけて来れそうなそんな風景。言わばその「零」の風景に対してどのような形態で受けるのか?その凡庸さが凡庸たる「図」として際立つためにはどの様な「地」が必要となるのか?

恐らく多くのスタディがこの一点に費やされたと思われるが、提示されたのは「静」なるマッス。ほぼ正方形といってよい、地上から立ち上がる4本と、それを繋ぐ4本の直線のみで凡庸の前に更に強烈な「零」の図形として現れるマッス。しかしそのスケールは絶妙なほどに調整され、住宅街で根拠となる1階建や2階建てという階のスケールも持ち合わせず、「部屋」を現す「窓」のスケールからは意図的に外された黒の切り込みとしてのエントランスとカフェへの開口。それはツラでは納めない。あくまでも「孔」としての表現であるべき。

正方形という人為的名図形を当てはめるのはいいが、如何せん周辺敷地はやはり歪さを持ち合わせるために、少々の調整が必要となる。その際たるものとして前方道路への湾曲されたアプローチ。そしてその横の植栽を囲む手で描いたような凹凸の感じられる曲線で囲われたベンチ。

真ん中に究極の「零」地点を置くことによって作り出された座標を持つために、後は如何に「歪み」を挿入して、空間を立ち上がらせるかの作業。

それは内部・外部ともに一致しており、正方形で囲まれた空間に4つの異なる機能を落としこむ上で引用される田の字型のプランは、グリッドからできるだけ離れようとするその姿勢同様に、歪められた壁として外部には一切その痕跡を残すことなく、内部のみで完結する。

結局部屋をまたぐ上で、この壁にまた穴を開けなければいけないことなどから、このジェスチャーはあまり効果的ではなかった気がするが、導入の部屋から、屋根面が落ち込む部屋、逆に屋根に向かって上昇する部屋、そしてポリカーボネート材で面として自然光を取り込む部屋と分けられた内部空間。

マッスの第5の面としての屋根面に対して、どう「歪み」を挿入できるかを考えると、必然的に導かれるような面の操作だが、悪魔での想定内といったところか。ホキ美術館では感じられた、「展示空間」としてのどのようなチャレンジができるか?ということはあまり見えなかったかと思われる。

一番秀逸と思われたのは、マッスに一番近くで接する水辺のデザイン。一番近くで直線に対峙するだけあって、この建物の真髄を見せているような曲線が生き生きと空間を作っている。

右に凡庸を視界に捕らえ、まずは自分で基準線を引く。そしてその基準線を基にして、関係性を描くために曲線を引いていく。そのために求められた緊張感を伴うくらいの垂直性と水平性。そこに再度手の痕跡を感じる曲線が挿入され、そこからマッスの外形線に向かってスロープがとられ、たまたまそこに水が溜まったかのような池でもない、さらっとしすぎの水面がつくられる。

エントランス部分からは見えない部分で水を揚げて、その勢いで波紋を作り前方まで回りこませる、波が波長だということを言わんばかりのカラッとした物理室のような感覚。そんな波に誘われてぐるりと建物を一周してしまう。なんら発見はないものの、それでもなんだか心地いい。

曲線を日本の風景の中で曲線として表現するために挿入された基準線としてのマッス。伊東豊雄が一貫して求めている「新しい幾何学」が少なくとも感じられる、グリッドだけでも、自由曲線だけでも辿りつけない空間。

これぞ正しい曲線の表現だと教えられた気がして次の目的地へと足を向けることにする。


























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