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武蔵野美術大学図書館 藤本壮介 2010 ★★
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所在地 東京都小平市
設計 藤本壮介
竣工 2010
機能 図書館
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電子書籍が世を席巻した今年。これからは本を持つことの意味が変わり、本の読み方も変わっていくのではと、鈴木了二先生と話していた。
本棚にある本が、既に読んだことがある本である必要はなく、日常の中に自分が買った本、読んだ本、これから読みたい本の背表紙が常に見えている生活。10年で生活が変わるというように、10年後20年後にまた読みたいと思える本にどれだけ出会えるか。生きてきた時間の投影、人生の中で何を感じて、何を見てきたかの投射としての本棚。そういう本棚を持てる人と、持たない人がはっきりと分かれる、そんな時代に入っていくのでは?というような話であった。そんな本の殿堂が図書館。様々な建築のタイポロジーが、時代の変遷・技術の革新と共に姿を失っていく中、図書館は依然、建築の王道の真ん中にどっしりと腰を据えている。
2009年が石上純也のKAITであるなら、2010年、建築界で最も注目された竣工作品と言っても良い図書館。日が暮れる武蔵野美術大学の奥、トワイライトの中に存在を示す提灯のように暖かい光に包まれそれは出現する。
基本的には開架書架を、のの字のプランで構成することで、単調に本を分類、収納するのではなく、本のゲートをくぐりながら、様々な視線で本に出会いながら、内部を散策するような建物。つまりはグルグルしながら、本の物量を感じる空間。
公共建築で必要なことは、高尚な哲学的言語を駆使しながら、批評から距離をとったり、建築以外の人にはわからないところでこの建築の良さがあるんだと、自分を守る砦をつくることよりも、シンプルで世界のどこに持っていっても通用する、言葉にする必要にない建築の力を具現化する共通言語が必要なんだろうと思う。その点では、何をしたかったのかがはっきりと分かる建築だろうと思う。
しかし荷重の問題で、上部の本棚には本を入れれない(手の届くところまで収納するということもあるとは思うが)ということで、かなり高い天井高一杯まで伸ばされ、視界の大半を占める本棚に対して、半分以下で終わる収納される本。本の物量よりも、スカスカ感の方が先にくる。加えて、美術大学ということで、建築も同様だが、そのようなジャンルでは特に本のフォーマットが大きいのだが、設置された本棚は全てが統一された標準形で、そういう大型本はどこに収蔵するのか?
ヘルツォークのバード・ネストでは圧倒的な物量の鉄に囲われる体験をさせられるが、同様な本に囲われる体験かと思うとそうでもなく、背表紙を見せるのか、表表紙を見せるのか、本には様々な面があるとういことを取っ払った一面的な捉え方によって、本棚というスケールを高さを飛ばすことで圧倒的に変えてはいるが、ただし本というモノのスケールは変わらないというところとのギャップにもうひとつ必要ではと感じずにいられない。
本棚自体が構造となっているわけではなく、間の鉄板が構造体として効いているのであれば、本棚となった柱でもなく、柱となった本棚でもなく、それはスケールを変えてもやはり建築の二次的要素としての造作本棚であるのだから、その機能を壁面以外まで染み出させるのはやはり違和感を感じずにはいられない。
外壁と一体になったガラスで囲われた本棚においても、そこにあるべき本が無く、結露の問題と共に、主体の不在を表明する負のアイコンにならないのか気になり、その横に位置するエントランスに、雨がふっていたこともあり人が混雑をし、これだけの規模の公共建築に必要なゆったりとした空間が見受けられない。
そんなことを感じながら帰り道に気通りがかった、芦原義信設計による武蔵野美術大学 アトリエ棟。グリッド上に上下二層にずらされた立体的中庭のお陰で、沢山の入り隅空間が作られ、身体で認識把握できる良いスケールの親密な空間に、多くの学生がそれぞれの領域を作り出し、アートの製作もしやすそうな、声の聞こえてくるとても良い空間に暫く佇み帰路に着く。
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