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多摩美術大学八王子図書館 伊東豊雄 2007 ★★★★
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所在地 東京都多摩市
設計 伊東豊雄
竣工 2007
機能 図書館
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空想でも妄想でもなんでもいい。建築家は自分が見えているものしか設計できないと思う。
写真では絶対に伝わらない、その場に自分の身体を置いたときの感覚。その時に見えた景色。触れた時の感触。使った時の機能性。設計者が何を考え、何に悩んでその一本の線を引いたか、彼の設計過程に現れたであろう空想の中に自分もお邪魔して、一緒になって悩んでみて、そして現実に現れた空間で再確認してみる。ロールプレイングで経験値を稼ぐように、建築家は空間の体験値を稼ぐ旅に出る。その時間の濃度が設計の密度へと変換される。
という思いを込めて、月に一度テーマを持って、事務所スタッフ全員で建築を見に行くツアーを行っている。考える力の養成のために、当日の朝、それぞれが持ち寄った候補を出し合い、投票によって行き先を決める。
先日行ったのは、現代建築で図書館もしくは大学施設に絞ったツアー。訪問した先は
多摩美術大学八王子図書館 伊東豊雄 2007
神奈川工科大学 KAIT工房 石上純也 2008
武蔵野美術大学図書館 藤本壮介 2010
この数年で完成した建築的にセンセーショナルな三つの建物。
現代という枠組みの中で、比較対象を持ちながら建築を見れるのはよいことで、そこで思うのは、新しいものは0から突然10に飛ぶことはなく、積み重ねた6,7あたりから10に飛ぶという行為によって生まれるということ。そしてありそうで、無かったもの。誰かが考え付いてもよさそうだったのに、誰もまだやらなかったことを目の前にしたときに、人は感動し、そのヒントは確実に歴史の中にあるということ。
経験の差という極めて嫌な言葉だが、それが一因というのもあろうが、良質な建築を見たという高揚感を感じさせてくれたのは、やはり伊東さんの建物が圧倒的。やりたいことを押し通すコンセプトを死守する強引さも重要だが、身体に触れる部分の細かい心遣いや、全体を通しての抜き方や力の入れ方などの緊張と緩和。そしてモノとしての建築物に対する受け入れ方。
居住性を考慮し、フラットでなければいけないとレッテルを張られた床。ミース以来の近代合理性を体現する柱・梁のグリッド構成。狙いをつけるターゲットを明確にし、コンクリートのローマ時代までさかのぼる起源に迫り、アーチを経て、ゴシックにいたる空間の透明化の過程を再現するように、不均一に配置された柱より、壁梁状に伸びる横架材で、アーチの連続体のような内部をつくる。綿密な構造解析の結果か、荷重によっての応力集中を反映して配置された柱は、ユニバーサル・スペースとは違った新しい地平の上で極めて合理的な在り方をしめしているのだろう。
斜めの床にモノをおく。モノが滑る。テーブルの脚の長さが違ってくる。人がまっすぐ座れない。などの問題点でアイデアをしまいこむのではなく、面に対して法線方向に人が座れるようにするにはどうするか、そのための身体と面を接合する装置としての椅子の設置方法をピン接合の様に変更してやればよいのでは。その可動範囲は、人が斜めに活動をできる限界から導くがよいのでは、なんて極めてポジティブにアイデアを拡張し、問題を解決していく思考過程が設計の中で行われたんだろうと想像を膨らませる。
2階の書庫の荷重から導き出される1階の不均一な柱の配置。その柱が壁梁でつながれ、アーチの連続として現れる第二の揺らぎ。そして床をフラットにしないことで、歩くことによって高さ関係が変わる遠近法への挑戦。様々な問題を抱えてでも、辿り着くべきの新しい空間の良さを確信していた設計チームの覚悟。
書庫の配置という、極めて恣意性の入り込むパラメーターを入れ替えることで、最終過程がガラッと変わるであろう冗長性の中の設計。その繰り返される往復運動を受け入れ、あまたある可能性のなかで、必ず行われたであろう、これが美しい、という決定の瞬間。
外部に一つも見えてこない設備の姿や、驚くほど静かな室内の音に関する考え方にも納得し、美しい階段を降りながら、やっぱり伊東さんは凄い建築家だと思い、次の建物へと足を運ぶ。
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