写真の誕生までの人類史において、ビジュアル・メディアとして圧倒的地位を確立してきた絵画・肖像画。
娘の叔父で許嫁でもあるオーストリア・レオポルド公へ、マルガリータ・テレサの成長の様子をディエゴ・ベラスケスに描かせ、送り届けさせたスペイン国王フェリペ4世。
産業革命以前の時代、最速の移動手段であった馬車ですら、当時のスペインからオーストリアまでは何日間もかかったであろう。一枚の絵が描かれ、旅し、最後に届けるのは想像力。時間と距離と空間にしっかりと人が介在し、描かれる人物の視線、それを見つめる画家の視点、そしてそれを贈られ受け取るものが絵の中の少女に向ける視線。もの語らぬ一枚の絵が、様々な想いと想像力を身に纏い、何百年もの時間の中で、多様な意味を発し続ける。
インターネットによってもたらされた時間と距離と空間の零への収束。多木浩二が『都市の政治学』で言うように、現代を表象するのは拘束された無能な身体によって行程を切り落とされた飛行機による旅。その目的地は都市のリズムが変速される駅ではなく、どこでもない場所としての空港。
そんな零近辺の時間と距離と空間の感覚を身につけた現代に訪れるのは、ライフスタイルや美的意識の変容ではなくて、零をとなりに見つめる肖像画のもたらす新たなる想像力なのだろうか。
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