2013年5月12日日曜日

「イノセンス 」押井守 2004 ★★★★★


前作よりも圧倒的に洗練された様子の映像。そして恐らく同時期に制作されていたと思われる、「東京スキャナー」との類似点。恐らく作者の中には、「機械を通してみたこの世界」という、今まで誰も作りえなかった映像の姿が、明確に頭の中に描けているのだろうと想像する。

開くまでも世界観は香港をベースとしたミックスされたアジア。辛うじて物語から彼らが属するのは日本という国だと分かる程度で、映像からいわゆる「日本らしさ」という風景は一つも見えてこない。

アンドロイドによって引き起こされる持ち主の殺人事件。少佐が消えてから、喪失感を抱えるバトーを主人公にして物語りは進み、しっかりと前作で敷かれた伏線がここでも意味を持って登場する。

一体何処まで構想して作品を作り始め、どこまでも一作目で切り取るかと決断したのだろうと、その勇気に想いを馳せながら、再度、ここまでの世界観を成立させる細部とプロットへの作りこみに、作者の非常なる想像力に圧倒される一作。


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スタッフ
監督 押井守
原作 士郎正宗
脚本 押井守

キャスト
大塚明夫
山寺宏一
田中敦子
大木民夫
仲野裕
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作品データ
製作年 2004年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 99分
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2013年5月11日土曜日

「ファースト・ポジション 夢に向かって踊れ!」ベス・カーグマン 2011 ★★

ユース・アメリカ・グランプリという世界最大級のバレエコンクール。そこに挑む世界中の若いダンサー達。ある子供奨学金を求め、ある子供は有名バレエ・カンパニーでのポジションを目指し、それぞれの年代のカテゴリーで将来有望とされる人材が競いあい、それこそ10年後世界のトップバレリーナがここから出てくるような大会。

各地での地方予選を勝ち抜き、ニューヨークで行われる最終審査に出場する6人の子供達。その家族、先生、練習の様子など長く密着し、バレエという華やかな世界の裏で起こる、舞台の上からは決して見えることが無い様々なドラマを描き出す。

監督も元々はバレエをやっていただけに、子供がバレエを本気でやることで家族はバレエ中心の生活を強いられ、他の競技よりも経済的負担の多さなど、経験者ならではの鋭いまなざしでのドキュメンタリー。

野球やサッカーといったメジャーなスポーツの様に、通常の生活をしていても周囲の影響で足を踏み入れるような競技とは違って、小さなころから家族のサポートや家族の意図が無い限り、子供にとってはテレビの向こう側のスポーツが様々ある。ゴルフやフィギュア・スケート、モータースポーツ、そしてこのバレエ。

恐らく浅田真央もジュニアの頃はこうして世界を転々としながら、様々な地でセンセーションを撒き散らし、これは凄いタレントだと言われながらも、厳しいプレッシャーの中、次から次へと出てくるライバル達と戦っていたのだろう。

グローバル社会が成熟し始め、競争の境界線が消滅し、その世界で上に行こうとすれば同じように強い志を持ち、ストイックな気持ちで毎日を過ごしている世界のライバル達と戦わなければいけない。しかもその戦いは幼少時代から始まり、少しの気の緩みも許されない。

それが嫌ならば、どうぞその戦いから身を引き、普通の少年時代を過ごしてください。それでも次から次へとトップの席を目指して努力をし続ける人間は腐るほど出てくるのだから。

と突きつけるばかりに、競争の激しさはどの世界も加速度的に際限無しに厳しさを増すばかり。踊ることが楽しくてしょうがないと一見みえる子供達も、いつか「なぜ踊るのだろう」と悩む日が来て、それを乗り越え、今度は楽しいだけではない何かのために踊ることになり、それが生活の一部として消化していく。その時もまだ、世界で一番を目指しているのが幸せなのかどうなのか。

競争が日常となる世界で生きることの厳しさを示すと共に、競争が業界の基礎となっているために起こっていくイノベーション。勝ち負け、優劣のハッキリする世界の中で常に緊張感を持ち続けることが出来る人間は、それだけで立派なものだと思わずにいられなくなる一本。


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作品データ
原題 First Position
製作年 2011年
製作国 アメリカ
上映時間 94分


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第36回トロント国際映画祭観客賞/ベスト・ドキュメンタリー賞受賞
2011年NYドキュメンタリー映画祭ベスト・ドキュメンタリー観客賞
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「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」 押井守 1995 ★★★★★


1995年公開ということは、今から20年前の1993年には相当なところまで詰められていたということになる。相当レベルの高い想像力である。かつて見たときは恐らく「マトリックス」に影響を与えただとか「ブレード・ランナー「や「2001年宇宙の旅」などと並び、未来を描く作品の金字塔の一つとして良く語られるからとにかく見ておこうというような流れで、しっかり理解したかと言えば相当怪しいものだったはず。

士郎正宗による漫画が原作で、2029年を舞台としたSF作品ではあるが、その原作の構想力もさることながら、漫画というコマの世界から立体の都市の中で動き回る3次元の世界に立ち上げる時に、世界を補完するするために挿入される作者の想像力。

SFという近未来を描く作品では、どうしてもその物語りの背景となる社会情勢を説明することになる。それがあまりにも現在とかけ離れてしまっていると、その説明に多くの時間を要するし、様々な知識レベルの見ている観客全員に分からせようとすれば、それこそ小学校5年生にするような説明になってしまい、作品の品格はあっという間に損なわれてしまう。

そこで物語の序章部分で、説明らしくならずにそれでも物語の背景となる社会の姿を描き出す必要があるのだが、その理解の手がかりとなるような、現在の世界から理解しうる伏線を引くのが一般的だが、あまりに世界観が完結し、完成されているからなのか、そのようなおざなりの説明的シーンを取っ払って物語りは進行する。

その妥協の無さ。それを成し遂げるために、世界観を昇華させるたまのディテールへのこだわり。プロットの作りこみ。物凄いプロフェッショナルなチームの存在が感じられる。武器に関しても、電子技術、インターネットの世界の未来像、ロボット技術の発展とその後に起こるであろう問題点、現実と虚像の曖昧化とそこに現れる新たなるアイデンティティー・クライシスの形、電子時代における国家間の争いなど。その世界観が本当によく構想されている。その一つ一つに破綻がない。

それは登場人物の一つの台詞にも現れており、その台詞の裏づけがしっかりとれているのだろうと想像する。登場人物の中の一人に今の台詞について質問しても、おそらくすらりとその根拠について答えるだろうと思わせる。やはりこれがトップ・クリエイターと言われる人物の作品。そして各分野のプロフェッショナルが集ってつくることの成せる業。こういうものを見てしまうと、ハリウッドに対抗するよりも、こういう形である種の職人技的作品を世界に発表していくほうが、よっぱどその性に合っているという気がする。また、一人で妄想と狂気を抱え込み、それを自らの手で磨いていくことの差が明らかになるような気がする。

押井守といえば、かつて展示空間の設計を担当した「美麗新世界」という展覧会にて「東京スキャナー」という作品を出展しており、「これこそ新しい日本の映像作品の方向性だ」と、東京画廊の田畑さんとも話していたのを良く覚えている。

「東京スキャナー」は六本木ヒルズのオープニングに合わせて発表された押井守監修作品で、まるで地球外生命体が地球にやって来て、東京という街がどのような生態系を持ち、どのような生物が住んでいるのかをシュキャニングしていくという作品。そのアニメ的なカメラワークを現実の映像と融合させることで、今まで見たことの無い東京の姿を映し出すというもの。

この「攻殻機動隊」は「エヴァンゲリオン」とほぼ同時並行で世に出せれた作品であり、それまで未来、ロボットといえば「ガンダム」だった時代から、その硬質な機械の未来像から、透明で、粘々した、そして感情をもったアンドロイド像へと未来像を変換する。「エイリアン」の示した新しい未来に、さらに情報技術を融合させてようなものである。

その世界は極度の電脳化によって、脳へのハッキングが頻繁に起こることになる。これは後の「パプリカ」「インセプション」の世界に踏襲されていくことになる。ほぼ人間と見分けの付かなくなったサイボーグたち。感情も電子で作り出され、その先にたどり着くのは、自分が自分であることの根拠、つまりはロボットのアイデンティティ・クライシスの問題。こちらの主題は後に「イヴの時間」へ通じることになる。

虚構と現実が入り混じり、「人形使い」と言われる高度なハッカー相手が「ゴースト」を「義体」に入れ込みながら探し出したのは、鏡に映ったもう一つの自分。生命体と自分を定義するためにかけていた最後のリング。それは次世代を残すという生殖能力。そのつがいの相手。

とにもかくにも、原作の力も、それを映像化した作家の力、そしてそれをバックアップしていくチームの力。20年たった今でも全く古びないその世界観は、世界で評価されるのに相応しい名作である。

2013年5月7日火曜日

若気の至りとかっこいいと思うこと

昨日の田村先生との話の中で、

なぜ今の若者が海外に行きたいと思わないのか?
なぜ日本よりも進んだ場所で、進んで学問を学んで経験を積みたいと思わないのか?
なぜよりより生活ができる場所があるのかと想像しないのか?

そんな内容が多くでた。
それについて考える。
なぜだろう?

まずはよく言われる言葉の壁。こんなものは真剣に勉強すれば半年ほどでどうにか生活できるレベルに到達し、あとは苦しみながら生活をし、仕事をしていく中でより見につけれるものであるのでなんの言い訳にもならない。

ではその異なる環境に飛び込むことに伴う苦しみ。言葉もそうだが、生活慣習の違う世界での生活は何かとスムースには進まない。しかも日本の様にサービスが過剰に行き届いているところでは、何もしないうちに誰かがやってくれたりしているから、そのギャップといったらとても大きくなってしまう。しかし人間は慣れる生き物であり、常に日本に視線を送り、比較することで時間を過ごさなければ、こんなのは数ヶ月もするうちに慣れてくる。素晴らしきかな人間の本能。

その次に、別に海外に行かなくても、日本に留まりながらそこそこの生活がおくれてしまうという事実。仕事を見つけるといっても、それは済んでいる都市、もしくは近くの大都市と日本という国が世界の全てになってしまう。また日本に居る限り、外国人よりも日本人であるだけで仕事の上でメリットがある。なぜなら日本語が喋れて、読めて、書けて、日本の慣習も分かっているから。

しかしこれもそう長くは続かない。生産労働力が減ってきて、労働も無しに株などの金融資産によって国内の資産の大半を所有しながらも、社会に支えられて貯金に回るだけの年金を給付され続ける大量の高齢者を抱えていくのにも拘らず、消費税を上げるという目先の目標だけを見据え、20年後の国の姿はあっちのけで、その金融資産を所有する人だけが喜ぶ「気」だけの景気を推し進めるアベノミクス。

国際競争力が本当の意味で強化される訳でもなく、世界で戦える人材が育つ訳でもなく、新しい価値観が生み出されるわけでもない問題先延ばしで、貯金の食いつぶし状態。どう考えても寿命を縮めるだけである。そうして訪れる外からと内からのガスのような圧力によって爆発するかの様に起きるであろうパラダイム・シフト。

その時に純粋培養された多様性を許容できない同一染色体を持つかのような人材は、獰猛でしたたかな世界の波にあっという間に飲み込まれることは目に見える。それでもあくまでもお人よしに、世界をテレビの先の世界と捉える人々。そんな中から少しずつでも出てこなければいけない、多様性を発現する若者達。


そんな風に考えると、世間で言われることは本質的な答えになっていない様に思われる。では、何が決定的な原因をなしているのか?

そう思いながら自分が海外に渡ったときのことを考える。別にそれが正しいとか間違っていると言うわけでもないが、何が違っているのかを考える。

そう考えると圧倒的に情報量が少なくて、分からないことが多いからこそ踏み出せる若気の至りが大きくあげられる。今では何か行動を起こそうと思ったときに、まずはネットで調べて見る。そうすれば、前例がいくらでも見れるし、ブログや何やらで良い例から悪い例までいくつでも見つけることができる。そうすれば、どうしてもポジティブなことよりも、ネガティブなことに目が行ってしまう。

通常考える国内での生活を捨てて渡ることで、実はどんな大きな保障を捨てることになるのか?普通20そこそこの若者は、そんなことは考えなくていいはずなのに、ネットという無尽蔵の情報の箱のせいで、若気の至りの一歩を止めてしまう可能性が大きくなったことは否めないのではないだろうか。

そしてもう一つは「かっこいい」と思えることが減ってきたこと。間違いないが、当時の自分は、海外で色んな国の友人と建築を学ぶことが、純粋に「かっこいい」と思っていたし、その後のことやそれ以上のことはまったくといって考えていなかった。恐らくこの「かっこいい」と思う感情が、現代の若者では働き方が違うのだろうと想像する。

小さい頃から無尽蔵の刺激を与えてくれるネットとメディア。外国人や外国の映像や動画も腐るほどにあふれており、クリック一つでいくらでも刺激を得られる。まるで自分がそこに立っているかのように錯覚させるような様々な技術も発達し、色んな場所で色んなものを見ること、色んな人と交流することよりも、もっと個人的、もっと細分化されたことの方が彼らにとっての「かっこいい」の向かう先である可能性。

この二つ、つまりはメディアの問題であるということ。そして教育の問題でもあるということ。このまま放置していくのか、それともまた新しい形で若者達がかっこいいものに後先考えずに若気の至りでつっぱしっていく時代が来るのか。それは新しいメディアと教育にかかっているんだろう。

フェアウェル


UCLAの大学院卒のインテリで、ドゥルーズやデ・ランダについてよく話をしたオフィスに4年以上も在籍したアメリカ人スタッフがオフィスを離れる事になり、旅立つ前にと妻と二人で日本料理のお店で送別会を開く。

中国人の彼女が上海近くの街出身で、現在はイギリスで修士号を取得中だが、それももうすぐ終えて帰国後は上海で就職が決まったという。

それを受けて彼自身も彼女との、そして自分自身の将来を考え、北京を離れる決断をしたという。

LAという土地柄をその彼を通してよくよく理解出来たが、「10時にいるように」と言っておいても、10:30にも現れず、電話は通じない。「チームが月曜までに仕上げなきゃいけないタスクがあるから」と言うと、「OK、サー」と言った割に全く姿を現さず、もちろん電話も通じない。どうもそれが問題だと思っている様子もなく、申し訳ないと思っている様子も無い。

最後だからと日本酒を一升瓶で頼み、酒癖が悪いとの噂はほっといて、どんどん注いでは呑ませ、その「LAタイム」とやらを問いただすと、「OhーYaー」と悪びれるようしもなく、アメリカの中でも特集なんだと他人事のように説明する。

これ以上この話を引っ張ったところで得るものは何もないと見切りをつけて今後の予定を聞いてみる。

まずはアメリカの実家に戻りその足で弟の住んでいるテネシーに行き一週間過ごすと。その後ヨーロッパに渡り、アムステルダムじゃら二ヶ月彼女と一緒にヨーロッパを巡るという。その後は彼女と別々に行動し、一人で更に東部のヨーロッパをめぐり、半年間は旅でいろんなものをみてまわるという。

その後は上海に移り、自分でオフィスを始めようと考えているという。

30歳を超えて、10年近く建築の世界に身をおき、建築の実務と現実の厳しさも十分に分かり、自分でできることと足りてないこと。そして今後の向かう先をはっきりさせることがその年齢の建築家には必要で、往々にその時期に長く勤めた事務所をやめて、長い時間を旅に費やす建築家は比較的多い。

純粋にそういう時間を持てる彼を羨ましくも思いながら、また過ごした時間を懐かしくも思いながら話を進める。

ウイスキー好きの彼だけあり、「テネシーといえばジャック・ダニエルだろ」と話を振ると、「ジャック・ダニエルがどう死んだか?」について話をはじめ、「酒癖の悪い自分も気をつけないと」と笑い飛ばしている様子をみると、あまり気を遣って生きる日本人は損をしているなと思わずにいられない。

またどこかで会うだろうなという予感と、また会ってもきっと今と変わらずに飄々としているんだろうなという確信と伝えてフェアウェルを終了する。

2013年5月6日月曜日

結局は教育


以前よりETB研究会などでお世話になっている東京工芸大学の田村幸雄先生が、名誉教授を務められる北京交通大学にいらっしゃっているとのことで、せっかくの機会だからということもあり、オフィスの見学にいらしていただいた。

田村先生は、耐風工学という建築における風の研究の世界的権威で、国際風工学会 IAWE(International Association for Wind. Engineering)という世界的組織の会長を務められている、世界でも一線のエンジニアでいらっしゃる。

海外の大学でも客員教授を務められたり、国連や政府関係のプロジェクトにも参加され忙しく世界を飛び回られている様子だが、覚えていてくれて、わざわざ連絡を下さっての今回の訪問。なんともありがたいものである。

交通大学の博士号だという二人の付き添いの中国人学生と一緒に来られ、一時間ほどオフィスで進行中のプロジェクトなどについてご説明させていただく。

その後学生達は先に大学に戻るということで、先生と一緒に近くの中庭のあるレストランでランチをご一緒させていただき、昨日コンペも終了したということで、私も久々ののんびりしたランチを過ごせるということもあり、いろいろとお話を伺わせていただいた。

「教育者は太陽の様に常にさんさんと学生に日を見返り無しに与え続けるくらいの人物で無いといけない。」

そんな言葉を何かの本でかつて読んだが、まさに「こんな先生の下で勉強することのできる学生は幸せだろうな」と思えるお話ばかり。

話は我々のオフィスに世界中から来ているインターンの話から、日本人のインターンが一人もいないこと、それには日本の教育のシステムがそれを許容しないこと、また今の日本では日本国内で全てが完結するようなシステムになっているので、教授の顔色を伺っているのに忙しい学生はとてもではないが外に視線が向かないことや、その教授もまたなんとなく国内でそれらしく振舞っているが、国際舞台で注目されるような実績や論文を残している人物は本当に減ってきてしまい、全体の教育のレベルも随分下がってきてしまっていること。

中国やアメリカの学生は本当に熱心で、ホテルまで質問に追っかけてくるという話から、日本は昔からだが勉強に対して本当に熱心ではなく、学ぶことでスキルアップをして、更に高みの世界に自分を持ち上げるという意欲が無くなって久しいのではという話まで。

日本は効率的などといわれているが、本当はかつてからどの時代でも、どの年代でも、切り取って一個人でみたら決して世界で戦える能力のある国ではなく、ただ膨大な量の残業と戦後の幸運ににも助けられて経済が上昇していっただけであり、砂の上を自転車で漕ぐかのように、一度でも止まったら倒れてしまうという状況を認識しておかなければいけないという話。

日本という国をがんじがらめにしている「システム」。震災でも変わったのは津波に対しての考え方だけであり、あれだけの社会的インパクトを持ってしても、硬直したシステムが更新されることはなく、その奥底に潜む既得権益はしっかりと守られること。

世界の中での自分の立ち位置と世界との距離をしっかり把握し、日々更新される知識と技術の中で緊張感を持って過ごす10年と、システムの中で生活を保障されて、それなりの地位で安穏とする10年。その時間の後に歴然として現れている差。

世界でプロフェッショナルとして立つ上で最も必要なのは個人力であり、職能やスキルを伸ばすべき時間に、社内政治や人間関係など他のことに時間を費やなければいけない現代の日本のシステムでは、その個人力が養われる土壌が無いということ。

それらの全ては教育が変わらないといけないという同じ根っこを持つこと。大学も国も高校も小学校も、全てが教育を変えないといけないという危機感を持つこと。そこから新しい世界で生きていく人間が育っていくこと。

「ほどほど」の厳しさの教育環境の中で、「ほどほど」の内容を教える教授の下で、「ほどほど」の学生生活を送り、「ほどほど」の会社に就職し、「ほどほど」の社会人生活を送っていく。国に期待するのも「ほどほど」で、「ほどほど」の今の暮らしが維持できればいいという考え方。

その惰性で成り立つ時代はとうに終え、日本は労働力という貯金を使い果たしてしまった今、「ほどほど」から先に進む人間を育てていかなければいけないという危機感。そうでなければあっという間に訪れるであろうパラダイム・シフト。

などなど、久しぶりに「この時間が終わってほしくないな」と思えるようなとても有意義なランチタイム。

今の自分にできることは、やりたいとかつて願ったことができているこの場所で、無駄なことに目を向けず、ただ一心に前を向き、手を動かし、頭を働かせ、目を見開いて、どこに行きたいかの目的地を曖昧でも視界の片隅に捕らえながら、緊張感の中で毎日を過ごすこと。

そして、「システム」で守られることで得られる様々な甘い蜜。それは「システム」の中で真面目に生きている限り手に入れることができるであろう、厚生年金や様々な社会保障、そして大企業の福利厚生と安定した収入と安心の老後など。それらを秤にかけても決して見劣りしない生き方ができることが若者の目にも届くようにならないと、この閉塞感というモヤはなかなか晴れないのかと想いを馳せる。

2013年5月5日日曜日

醜いもの

この世で一番醜いものの一つに男の嫉妬があげられる。

「誰もが自分を肯定しないと生きていけない」

歳を重ねれば重ねるほど、身にしみてくるこの言葉。
ならばその肯定する為に、どう今の自分を評価してやるのか?

その時に往々にして相対的な評価、何かや誰かと比較することで満足感を得ようとしてしまうのが人の性。家族を持っても毎日社会の中で、厳しい競争とストレスに晒されている男性には特にその傾向が強く現れるであろうし、同時に少しでも安心感を得ようとする気持ちも生まれてくるだろう。


その比較対象が自分自身、例えば一年前の自分や、かつて想像していた将来の自分像であるなら問題ないのだろうが、どうしてもついつい目が向いてしまうのは、曖昧模糊な世間に出回る同年代の姿。

「この年齢なら・・・」
「社会人何年目なら・・・」

仕事、結婚、家族、人間関係、子供、収入、家、趣味・・・

自分を肯定するために、今の自分を構成する様々なパラメーターを探し出し、それを虚実入り乱れるネットの世界で自分が納得できる内容だけ拾い集める。

2ちゃんねるなど見ては、自分の相対的な位置を確認し、それは同時に下を見ることで安心するということ。

現在の自分の努力が足りていないと理解していながらも、生活を変えるほどの努力は辛いと思いながら、努力することなく今のままでも自分はまだまだ大丈夫だと納得させる。下降線に乗っているにも関わらず、ただただ現状でいることを肯定していく確認作業。

その裏に見えるのは、そんな自らも心の奥に認めるどす黒い嫉妬心。

成功体験を得にくくなる30代以降に如何にこの嫉妬を抱えることなく、かつて想定した未来の自分像を確実に超えていけるか?その為に支払う犠牲と努力を惜しむことなく、少しでもいいので、毎日確実に前に足を進めること。

それが手を止め、足を止め、脳を止めてしまうネット世界の甘い誘惑から逃れ、現実の世界で胸を張って絶対的に生きていく為の方法なのだと思いながら自転車を飛ばしながら家路を急ぐ皐月の夕暮れ。