2013年5月5日日曜日

「アイアンマン3」シェーン・ブラック 2013 ★


2ヶ月続いたコンペがやっとのことで提出を向かえ、久方ぶりにストレスを感じない日曜日を迎えた子供の日。

中国医師が高層ビルのオフィスで喋っている背景に、我々MADが設計した「コンラッド・ホテル北京」が映っているとオフィス内で噂になり、せっかくだからと妻と一緒に検証しにいくことにする。

普段足を運ぶ映画館ではなく、日本のとんかつ屋「さぼてん」ができたというショッピングモールの中にある映画館で、100元で3枚チケットがついてくるというプロモーションに乗っかって見る事にする。

子供向けの映画だとばかり思っていたので、シリーズモノだというが前作までもまったく注意を払っていなかったが、3作目まで続くというだけあって流石に人気があるようで、映画館には多くの大人の観客も。

話はさておき、確かに二度ほどその中国人医師が電話をする背景に見える北京の街並みに、すっくりと見える白い建物はまさに「コンラッド・ホテル」。

ストーリー自体は派手なロボットアクションで、子供が夢中になるのも理解できると言う程度で、二人揃ってそそくさと映画館を後にする。


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スタッフ
監督シェーン・ブラック

キャスト
ロバート・ダウニー・Jr.  トニー・スターク/アイアンマン
グウィネス・パルトロウ  ペッパー・ポッツ
ドン・チードル  ジェームズ・ローディ
ガイ・ピアース  アルドリッチ・キリアン
レベッカ・ホール
ステファニー・ショスタク
ジェームズ・バッジ・デール
ジョン・ファブロー
ベン・キングズレーマンダリン
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作品データ
原題 Iron Man 3
製作年 2013年
製作国 アメリカ
配給 ディズニー
上映時間 131分
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「鉄コン筋クリート」マイケル・アリアス 2006 ★★★★★


オシャレ漫画の代名詞のようなものだと思っていたこの「鉄コン筋クリート」。頭の片すみにちょっと引っかかっていた程度なので、松本大洋の名と「鉄筋コンクリート」として記憶されていたが、よくよく見ると「鉄コン筋クリート」なのだと改めて認識。

恐らく原作の完成度がとにかく高いのだろうが、鉄筋コンクリートを扱う建築の世界に身をおいているとよく分かるが、ある場面を想像した時にその角度からだけ成立するのなら、比較的簡単に素晴らしい建築は構想できるだろうが、それが空間を自由に動き回る現実の世界においても成立させるためには、何十倍もの気を遣って立体物としての建築を構築していくことになる。それを街というレベルで行うのは、相当な想像力と破綻を起こさない緻密さが要求される。

それが原作のレベルで成し遂げられていたのか、それともあくまでも2次元の漫画の世界から3次元のアニメの世界へと飛躍させるときの制作チームによってなのかは分からないが、とにもかくにも舞台となる街、その街を自由に「飛びまわる」クロとシロ。それを追いかけるカメラワーク。どこから見ても、その舞台に破綻が見えない。これは凄いことだと思う。

しかもその街並みが、どこかの風景の綺麗な田舎で写真を撮ってはパソコンで再現したようなヌルイものではなく、アヤソフィアがど真ん中に鎮座して、アジア中の神様のモチーフが散りばめられつつも、日本の路地が入り組んで、昭和の香りのする商店街が連なって、とにかくごちゃごちゃしているが成立しているということ。それを成立させるための執念のようなディテールの描き込み。

パプリカ」の映像でも、これだけ不思議なものを統一感をもって映像化するのはものすごい想像力と技術力だと思ったが、「パプリカ」に無かったのは総体としての枠組み。それがこの「鉄コン筋クリート」では、「宝町」として総体を持つ街として存在し、境界線を持つ実体として描かれる必要があるということ。

「街」というのは、どんなにその創成期に都市計画として神からの視点で描かれたとしても、「生活の場」として使われるうちに、様々な人が、様々な使い方をして、青図とはまったく違う姿を見せていくものである。トップダウンからボトムアップに変わる瞬間が間違いなく存在し、その瞬間から一つの生命体の様に日々姿を変えていく。

その人々の息吹とでもいうべき、足元で繰り広げられる様々な事象が、「街」を生活の舞台へと変換し、それがその場の豊かさ、魅力へと変わっていく。そしてそれは決して最初からは設計できないということを、世界中の建築家が既に知っている。

そんな存在しない「街」を想像し、生活の雰囲気までも創造していくその能力はまさに圧巻。様々な要素が盛り込まれているのだけども、通常そういうものはすぐに何人もの別のデザイナーが関与した取りとめの無い、曖昧なとってもつまらないものになってしまうのだけれど、様々なアイデアを盛り込むのをギリギリのラインで止めておいて、あくまでの一人のクリエイターの見た夢として統一感を与える。

「こちら地球星日本国白隊員。応答どーぞ」

目の離れたシロが、確かな人格をもった人物として徐々に認識してしまうように、その声優である蒼井優の演技もまた素晴らしい。

漫画原作というのは、どうにも好きになれないものだが、ここまで突っ走られると文句のつけようも無いというもの。明らかに00年代のトップに君臨するジャパニメーションであると思われる。

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監督 マイケル・アリアス

キャスト
二宮和也クロ
蒼井優シロ
伊勢谷友介
宮藤官九郎
田中泯
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作品データ
製作年 2006年
製作国 日本
配給 アスミック・エース
上映時間 111分
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2013年5月4日土曜日

消えた時間

ふと思う。

20年、30年前に比べて圧倒的に進歩したのは情報技術。

かつてなら仕事が終わって会社からでれば、なかなか連絡を入れるのは難しかったのに、今ではメール、携帯、チャット、SNSなどで365日24時間、どこにいても繋がることができる。

やり方によっては一時もオフの無い生活になってしまうということだ。

仕事の効率を上げるために革新されていった情報技術。人は格段に上がった能率で処理するスピードも速くなったに違いないが、そのおかげで仕事が早く終わってゆとりが出来るというわけではなく、「なぜか」やるべき仕事、処理すべき事項は増える一方のようだ。

単純な疑問が湧いてくる。なぜだろうと。

以前なら3日間かかっていた仕事が、パソコンや情報技術の発展によって今では数時間で片付けることが出来る。当時は同じ仕事を三日間かけていても「生きていく」のに困らないだけの給料が発生していたにも関わらず、現在同じ内容を数時間でやって後は余暇に費やしても同じ給料が発生するかといったらそんな訳は無い。

能率を上げる技術によって仕事の能率が上がったはずなのに、決して豊かになっていないのはなぜだろうと。

職業別にみていく。例えば建築家。かつてなら一つの住宅を設計するのに必要だった図面は手描きという時間がかかる手順を踏んでいたこともあり、数枚の平面図に必要な断面図と立面図、展開図に部分的な詳細図と、設計の意図が伝わるような必要十分な図面数をじっくりと描いていた。

どんなに所員が徹夜をしたといっても、現在のCADのスピード感には適うはずが無く、必然的にかけられた時間から割り出される上限の図面数があったはずである。その図面数で表現しうる内容が、その事務所の手がけられる建築内容の限界であったはずであり、空間的にもシンプルな形状のものが多く作られたのも必然であった。

それが今では情報量を圧倒的に増やしてしまう3次元での設計が主流になり、単純な矩形の「四角」の建築から、3次元で確認していかないと把握できない複雑形状の空間へと移行し、それに伴って設計者以外の関係者に意図を伝達するための図面やダイアグラム、3次元模型などの製作量も飛躍的に増加する。描画速度を圧倒的に上げてくれたコンピューターの力を借りても、追いつかない量の資料の数。

かつてなら、数枚の平面図を持っていって、「建築とはこういうものです」というような先生顔をして、「ここがこうなって・・・」とお客さんに「理解しろ」と言わんばかりの打ち合わせの方式から、誰でも直感的に分かるようなビジュアルのプレゼンテーションから、平面・断面・立面にも素材感があわり、機能分布の分かるような着色をして、懇切丁寧に製本までしていかなければいけない現代の建築家の仕事。

かつては経験のある建築家でしか想像しきれなかった空間の構想が、今では学生でも3次元ソフトを使い忠実に再現でき、さらにその中を自由に歩き回れてしまう。そういう時代には「経験」や「知識」の質も、前時代のものとは変わってこなければいけないという話はまた別のことになるが、兎に角建築家の仕事はパソコンと情報技術の発展と伴って飛躍的に増えてしまったことは間違いない。

他の職業を見てみる。

例えば医者。恐らく以前は学会などで集めた知識や経験を元に、自分の患者の診療カルテを丁寧につけていって、自分なりの診療方法を確立していくのだろうが、情報技術の進歩によって、参照すべき症例も桁違いに増えてしまい、どれだけ過去の症例が頭に入っているかがある種の「優秀さ」を示すバロメーターとなるのは避けがたく、足りない時間を削ってはデータベースで受け持つ患者と同様のケースを探し出しつつ、日進月歩の医療技術をメーカーや製薬会社からも仕入れていかなければいけなく、恐らく「なんでこんなに情報技術が進歩しちゃったんだよ・・・」となげいている真面目な医者は多くいることだろうと想像する。

恐らく他の職業を想像するまでもなく、ほとんどの職業について「できることが増えた」為に、より広く、より深く知っていること、調べていることがその時々の「優秀さ」として反映してくるのはある種の常識であり、真面目であればあるほど、仕事に真摯であればあるほど、「もっと、もっと」と時間を使わなければいけないことになる。それが「グローバル社会」の本質で、見えない相手との競争に常に晒されているこのストレス。

そこで考える。20年、30年前と比べても、一職業人、一プロフェッショナルとしては格段に処理している仕事は多くなっているはずである。個人レベルでそうであるように、その所属する会社全体としても、少し前の同じ規模の会社に比べたら飛躍的に処理している仕事量は多くなっているはずである。同じように、国や地球全体としてもそれは同様のはずである。

単純に考えてその「差異」は膨大なはずである。なのに、なぜその分、個人が、社会が、国が、豊かになっていないのはなぜだろう。

少し遡って江戸時代。一日に人々が行っていた労働や仕事を現代と比べたら圧倒的にその量は少なかったはずである。それでも人は飢えることなく暮らしていけていたはずである。比べて現代。少しでも労働をやめれば、少しでも立ち止まれば、あっという間に「生きていく」ことが出来ない「貧困」に陥ってしまう。

明らかに何かがおかしくなってしまった近代社会。我々の消えていった時間はどこへいったのだろうか?その時間の報酬はなぜ消えてしまったのだろうか?

資本主義という名のもとに、見えないシステムの中に張り巡らされた「労働無き富」のネットワーク。「生きていく」だけで搾取されるように植えつけられた資本の根。真面目に生きれば生きるほど向き合うことになるこの事実。

ならばいっそと、そっち側に生き方をシフトさせてみるかといえば、そんな時間を費やすくらいならそれでもこちら側にしがみつこうと根っからの貧乏性に向き合うことにある。そしてまた明日も生き辛い時代の消えた時間を抱えて生きていくことになる。

2013年5月3日金曜日

「虚像の砦」 真山仁 2005 ★★★


2004 ハゲタカ   ハゲタカファンド
2005 虚像の砦   メディア
2006 バイアウト  ハゲタカファンド
2006 マグマ    国際エネルギー 
2008 ベイジン   エネルギー、中国
2009 レッドゾーン  ハゲタカファンド
2010 プライド    期限切れ食材
2011 コラプティオ 政治
2012 黙示     食と農業

こうして見ると、「マグマ」や「バイアウト」を書いている時と同時期の作品。

作者独特な、複数の主人公を追っていく物語の進め方。某テレビ局で報道局に席を置く男。同じテレビ局でバラエティ制作に身をささげる男。そしてそのテレビ局を監督する立場の総務省に赴任した女。

その三人を軸に、時系列に進んでいく物語。それと同時に徐々に暴かれるテレビ局の内実。何百万、何千万という視聴者を相手にするが為に、可能な限りクレームが起こる可能性をできるだけ起こさないようにと、「事なかれ主義」に徹し、誰もが決断の責任を取れなくなった現実。そこに発生するある事件。

憲法の解釈をまげてでも自衛隊を派遣した中東の国で、渡航禁止の政府勧告にも関わらず、平和を願い自ら足を運んだ日本人3人が、現地のゲリラに誘拐されて人質として自衛隊の撤退を要求される事件。

「自己責任」とうい言葉と共に、内閣を転覆させないように、大きな力によって操作されたメディアの報道によって、人質となった三人とその家族への誹謗中傷へと姿を変えていく世論。

同時に張り巡らされるテレビ局への免許再発行の為のテレビ局から総務省への政治的動き。それに対して政治世界からの気に食わない報道をするテレビ局への圧力。その流れを使って、社内政治を勝ち抜こうとする勢力。

誰の為の報道かなんかはそっちのけて繰り広げられる魑魅魍魎たちのパワー・ゲーム。言葉の一つの裏にも、様々な意図と謀略が張り巡らされていることが緊張感をもって描かれる。現場で生きる人間は、どこまでも職能に真摯であるからこその葛藤をし、悩み、苦しみながら、最後に辿りつくのは自分にできることを必死にやるということ。

その財務体制や、こんなことをやっていながらも日本でも有数の高級取りであることなど、現実はそんなに離れていないと思わせるその説得力は、作者の緻密な取材の賜物であろうと簡単に想像できる。ネットメディアの興隆によって、硬直したメディアの世界に少しでも新しい風が吹き込むことを期待せずにいられない。
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<目次>
プロローグ 岐路
第一章 報道迷走
第二章 テレビの使命
第三章 テレビの力
第四章 灼熱の中で
第五章 絶体絶命
エピローグ 決意
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身に覚えのない引き落とし

昨晩、ネットバンキングで振込みをしていた妻が、おかしな引き落とし項目を見つけた。

月末に「楽天カードサービス」の名目で12000円もの引き落とし。

「楽天カードなんて持っていたっけ?」と聞かれるが、まったくもって使った記憶もなければ、作った記憶もまったくない。

他のカードの間違いかと、所有する他のカードの明細を調べてみるが、やはり該当するような項目はない。

「これはまさか・・・・」と、

「身に覚えのない 引き落とし カード」と検索してみると、結構被害が出ているらしい。

「しかし、持ってもないカードでどうやって引き落としができるのだろう??」と思いながらもカード会社に電話をするが、時間外ということで、明日改めて電話してほしいと言われる。

そんな訳でネットで同様の事例を調べ、まずはカード会社に連絡。そして銀行にも連絡がベストということで、朝一に改めて両社に連絡することに。連休最終日の夕方というのに、すっかり詐欺にあったように気分が暗くなり、この影響かは知らないが悪夢でうなされることになる。

明くる朝、カード会社に連絡すると、「確かにカードは作られた履歴が無い」という。では、どういう経緯での引き落としかを調べてもらい、折り返しの電話をもらうことにする。

その電話を待つ間に銀行に連絡するが、本人確認の為に折り返さなければいけないというので、「海外なので電話代がこちらにもかかるのですが」というが、「決まりごとなので・・・」というフレキシビリティに欠ける対応。

そんな訳で銀行からの電話を待つ間にカード会社からかかってきた電話で原因発覚。なんと「建築学会の年会費の引き落としで、先方が決済につかっているのがこちらの楽天カードサービス」ということらしい。それなら建築学会年会費という項目表記にしてくれればと思いつつ、とりあえず発覚した原因にほっとして電話を切り、改めて銀行にも連絡を入れる。

恐らく日本全国で同じように眠れない夜を過ごした建築家は山ほどいて、同じタイミングでカード会社に問い合わせた人は数十人単位でいるのではと想いをめぐらす。カード会社か銀行かが少し気を利かせればこんなこんな煩わしさが随分省けるのにと思わずにいられない。


2013年5月2日木曜日

ボーダー


数日前に、締め切りの迫ったコンペの仕上げの為に、週末も関係なく出勤し、夕飯の時間も忘れて作業に没頭していたら、妻より「少しはワーク・ライフ・バランスも考えて」と怒られる。

忙しいことはしょうがないが、家族を怒らせてはいけないと少々反省する。
そして考える。

余裕を持って今の自分の時間の過ごし方を振り返る、なんてのんびりとした時間の過ごし方はこの情報化社会の中で生きる30代にはなかなか手の届かない理想だとは理解する。

ましては余裕を持ってこれから自分の進む道、時間に想いを馳せる、なんていう一歩先には到底たどり着けるはずも無く、そんな余裕も無く日々はそれでも過ぎていく。

そんな中でも忘れていけない基準線。つまりは超えてはいけないボーダーを自覚的に時間を過ごすかどうかは重要だと、改めて考えさせられる。

その最たるものが、家族や大切な友人に連絡の一つ、メールの一つも入れるのが出来ないほど忙しさかと思う。

「時間に余裕がない」ということは、「気持ちにも余裕がない」と同義であり、それは同時に自分の自信も徐々に無くしていき、人と接する時間も削られるに従って、自分を肯定してもらえる相手との時間も減ってくる。

そんな悪循環。

そんな時間の過ごし方はダメだと思ってはいるけれど、やるべきことかどうかも分からない日々処理しないといけないことに押し流されて、気がついたら深夜。

飯を食べて、風呂に入って、寝る。
人間的というよりは、動物的な時間の過ごし方。

そんな自らの姿を良く分かっているからこそ、更に友人への連絡が疎かに。

そこまで考えを巡らして、「これはいかん」と、出産を控えた親友にメールを送り、超えそうになっていた足元のボーダーに視線を落とすことにする。

2013年5月1日水曜日

多宝阁 duō bǎo gé


中国の伝統的なお茶屋さんなどにいくと、棚が立体的になっていろんなところに茶器を置けるような家具を見かけることがある。大きいものもあれば、机の上におけるような小さなものもある。四角いものもあるが、やはりカッコいいのは丸いタイプのもの。

北京に来てから妻の趣味に「中国茶」が加わったことから、徐々に気に入る茶器などを集めていたのだが、いつかはその茶器を置けるような棚がほしいねということで、ついにこの五一休みのうちに見つけようということになる。

休み二日目にも関わらず、コンペの仕上げに出勤する羽目になり、ついでにということでオフィス近くの茶器のお店に足を運び探すがどうにも無い。そこで、店員の人に「こんなものを探しているのだが」と相談すると、「???」と暫く難しそうな顔をして、「それなら茶器の店よりも、古い家具を扱っている店に行った方が見つかるのでは?」とういことで、北京で古い伝統的家具を扱う店が集まっている「高碑店」に行ってみなということに。

これはいい情報を得たと、急遽その日の目的をこの家具を見つけることに修正し、妻と二人でこれまた行きつけの別のお茶屋さんで更に詳しい情報を得るために足を向ける。南锣鼓巷近くの胡同にあるそのお茶屋さんは日本で料理の修業をしていたという料理人の人がいて、日本語もかなり流暢。そんな訳で店に足を踏み入れると、「あ、おひさしぶりです」と日本語の挨拶。

「実は・・・」と、こんな家具を探しているんだと、スケッチを渡して、この家具の名前を知っているか?と聞いてみる。

「うーん、いい質問でうすね・・・」と言わんばかりに、眉間に皺を寄せ始める彼。恐らく中国人にとってもなかなか使わない単語なんだろうと想像していると、「ちょっと調べてみますね」と後ろで賄いを食べているコックさん達に聞いたり、パソコンを開いたりしてくれる。

「いい人たちだなぁ」と思っていると、「分かりました、多宝阁です。」と。「多い宝の金閣寺の閣です」とどれだけ日本語流暢なんだとつっこみたくなるような説明つきで教えてくれる。

これは助かったと思いながら、「高碑店に買いに行こうと思うんだけどどうでしょう?」と呼び水を向けてみると、「この店の家具も結構そこで買っているんですよ。きっとあるかもしれないですね。ただし五一なので、空いているかどうか確かめてから言ったほうがいいですよ」とアドバイス。

流石に「空いているか調べてほしい・・・」とは言い出せず、「ありがとうございました」と店を後にした後に、かろうじてまだつながるその店のWifiをお借りして情報を調べることに。

なんでも、随分有名な古い家具を扱う店が集まっている一帯で、北京の東に位置するらしく、その地名を言えばその家具ストリートというくらいに有名らしい。その中でも一番大きいと思われる店に電話をして開いているか、何時にしまるかを確認し、その前にと南锣鼓巷の別のお茶屋さんで月光白というお茶をいただき体力を回復し、久々にのるタクシーで高碑店へ。

中心地からちょっと離れるとこんなにも荒涼としてるのか・・・と思うような横に広がる風景の高碑店。タクシーを降りる場所をちょっと間違えただけで、20分近く歩く羽目になり到着する高碑店古典家具街。入り口近くを工事中とあって、「ほんとうに開いているのだろうか?」と不安になりながらぐるりと回ると見えてくる小さなお店たち。その店の店頭にはいかにもな木製家具が置いてあり、その風景に「そういえば、昔誰かに連れられて来た事あるな・・・」と古い記憶が蘇えり始める。

目星をつけていたお店に入り、早速覚えた単語「小的多宝阁有没有?」と聞いてみると、一種類だけあるというので見せてもらう。丸い形でそこそこ可愛らしく350元というので、とりあえず第一候補として他の商品も見て回る。

とにかく広い店舗で、雰囲気のいいカフェなどに置いてありそうな古い伝統的な木製椅子や家具などがレイアウトされ、さすがにIKEAとは違った雰囲気で楽しめる。「これは」と思うような椅子の値札を除いてみると10000元を超えるものもあり、これはどっかで製作したほうがよっぽど安いな・・・と思いながら連なる他の店舗も覗いていく。

始めの期待値よりも、小さい多宝阁は売ってなく、「大きいのならあるんだけどね・・・」とか、「はす向かいのお店ならあるかもよ」という回答ばかりで、結局高碑店であるのは、最初に見つけたあの一点だけ。その店に戻り再度見てみるが、どうも素材が安っぽく、色味が「これっ」という感じでないと妻と意見が一致し、それならば無理に購入しなくてもということで、その代わりではないが、妻が探していて春らしい色合いの茶器と、丁度よいサイズのお盆を購入し高碑店を後にする。

「確かあの店にも多宝阁が置いてあったはず・・・」という妻の記憶を頼りに、休みの最終日に向かった家の近所のお茶屋さん。円形をちょっと崩したその形も素材の色合いも文句なしで、値段も想定していたよりも随分安く、しかも今なら五一优惠で茶葉がプレゼントされるという。

そんな訳で家の窓際にやっと鎮座することになった多宝阁。春にはこの茶器で・・・と買ったはいいが、なかなか開ける事ができなかった茶器のセットもやっと置き場所ができ、これからは春夏秋冬にぴったりの茶器を探して、この多宝阁に飾ることで季節を感じる日々を楽しみ加える2013年の五一。