2015年12月19日土曜日

遠江国(とおとうみのくに) ★★ 東海道


母と妻を車に乗せて、三河の国から東に向かい、現在の静岡のほぼ真ん中を縦に流れる大井川の西側をカバーしていた遠江国(とおとうみのくに)へと向かうことにする。

現在の磐田市周辺に国府や国分寺を持ち、一宮とされるのは遠江国の東の果てに位置する現在の掛川市の事任八幡宮と、遠江国の領域で見たら中心に位置する、現在の周智郡森町の小國神社と二つ神社が言われている。

遠江(とおとうみ)という名の由来は現在の浜名湖を、都のあった大和国から遠くにある湖ということで、近くにあった湖の琵琶湖のある近淡海(ちかつあはうみ)から近江国(おうみのくに)とペアで覚えると分かりやすい。

戦国時代には幼少の徳川家康を人質としてとっていた今川氏の領地として栄え、その後東側から勢力を伸ばしてきた甲斐国の武田氏によって滅ぼされ、更に西を伺う武田の軍勢を、徳川・織田の連合軍が跳ね返すことでその後の戦国の動きが一気に加速する。

現在の静岡県の市町村の中で、静岡市と浜松市の巨大さが際立っているが、戦国時代にはこの遠江国には浜松藩と掛川藩が設置され、更に明治になり廃藩置県において遠江国は浜松県とされ、その後に静岡県として合併されて現在にいたるという訳で、浜松と静岡の突出した存在感は駿河国(するがのくに)の中心であった駿府藩の流れを汲む静岡市と、この遠江国の中心であった浜松藩の流れを汲む浜松市が現在の世においても存在感を示していることとなる。



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