建物と共に建築家の名前が示されるようになったルネサンス時期が、建築家の職能が確立された起源だと言われるが、もちろんそれ以前にも「黒のトイフェル」にも登場するような、想像力と技能を持った建設現場を指揮する建築家が古代ローマにもいたはずだという想いと共に、長年に渡って古代ローマの建築物の研究をし、綿密なリサーチの元に、どの建築家がどの建物を手がけ、どのような設計手法をとっているか、その積年の成果をまとめ、「古代ローマの建築家たち」(丸善)に纏められた、尊敬する建築家の一人・板屋リョク先生。非常勤講師をさせていただいる早稲田芸術学校で、一緒に授業を持たせていただいて既に3年になるが、今年も一回目の授業ということで、本にも書かれた「パレストリーナ」の話を聞かせて頂いた。
パレストリーナはイタリア・ローマ郊外の都市で、大戦時の連合軍による数ヶ月に及ぶ空爆によって、表層部に建てられていた当時の街が全て取り除かれたその下に、歴史家も分からない大規模な遺跡が発見された。それを調べると、キリスト教がヨーロッパに広まる前に信仰されていた、水を崇拝する宗教の神殿だったことが分かったという。
街のスライドと共に、全体を構成する力線を説明されて、丘の上からの風景を「この場所からの風景を眺めた人の心の中に湧き上がる感情は、今も2000年前も恐らくそんなには変わらないと僕は思うんです。」と言われる板屋先生の言葉を聞きながら、また新しい季節がやってきたんだと、そしてもっと建築を学びたいという想いに駆られる。
街のスライドと共に、全体を構成する力線を説明されて、丘の上からの風景を「この場所からの風景を眺めた人の心の中に湧き上がる感情は、今も2000年前も恐らくそんなには変わらないと僕は思うんです。」と言われる板屋先生の言葉を聞きながら、また新しい季節がやってきたんだと、そしてもっと建築を学びたいという想いに駆られる。
板屋先生のローマの2000年と同じように、自分にとっては中国2000年の歴史を自分の眼差しを通して語れるようになるのが、恐らく自分自身の建築家としてのライフワークになるんだろうと改めて思わずにはいられない。
0 件のコメント:
コメントを投稿