「宮原邸」がアジアデザイン大賞2011のMerit賞を受賞いたことは先日お報せさせていただいたが、その表彰式が香港で開催され、もちろん出席はかなわなかったのだが、その賞状が海を越えて届いた。
建築家といて職業をしながら生きていると、もちろん最終的にこの世の中に持ち込まれた建築は、大切な人生の大切な時間とエネルギーを注ぎ込むくらいだから、自分が素晴らしいと思っているからできている訳である。
つまりどんなに意識していても、ついつい近視での見方に寄っていってしまう。
そこに少し客観的な視点を持って判断してもらう人といえば、なんと言ってもお施主さん。この人がいなければこの建築が生まれることどころか、構想されることも無かった訳で、しかも予算という大きな要素のバランスを取りながら、最終的に住い手として厳しいジャッジを下す施主。
この人が一体どう建築を評価するか、もちろん自分が欲しかった家が建つわけだから、どちらかといえば近視サイドだが、建築家ほどの厚メガネはかけていないので、生活が豊かになったと言ってもらえることこそ、建築家にとっての何よりの賞であると思う。
ではその次というと、建築家の周りの建築仲間ということになろう。これはもう少しドライ。くだらないオープンハウスに行って、使えそうなディテールの写真を何枚も納めるよりも、本当に近しい仲間の建てたものを見に行って、「いい」か「悪い」。「悔しい」か「まだまだ」か。緊張感のあるコメントをもらうのが何よりの成長の糧であろう。
さてその次となると、通常雑誌という建築メディア。しかし建築メディアが一般の読者が思うほど、健全な視点を持ち合わせているかというと、非常に時代によっての浮き沈みがあることは間違いない。
発行部数が雑誌の存続になるという現実が、建築の文化を守るという美徳を簡単に超えていく。そんな時代に生まれる建築は可哀想だが、そんな時には世の中に数多ある建築賞という視点も存在する。こちらも得てして政治の手垢がつきまとうが、それでも客観性のあるジャッジを受ける格好の場であるのは間違いない。
少なくともこういう受賞という機会に乗っからない限り、竣工した「○○邸」があれあれこれこれで素晴らしいです!なんてことは、ちょっとした羞恥心と自尊心を持ち合わせていたらなかなか恥ずかしくて言い出せないだろう。
そんな訳で難産の末に生まれた建築に、日の目を浴びせることができたことに感謝して、報告できることを励みにし、また次に便乗できる機会を作り出す為に、明日も頑張ろうかと少し思う。
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