2012年2月9日木曜日

マンガ 日本の歴史




歴史というのは面白いもので、現代から遡っていくのと、過去から現代に近づくのではその理解に大きく違いが出来る。

過去が下敷きとなって次の時代が作られ、それが前提となって先に進む。どんなにあがいても、時間は一方通行であり、それが歴史の不可逆性。

だから何か今の世に無い物を作り出そうという人間にとって、どんなに大雑把にでも歴史の流れを掴んでおく事は必要不可欠の時間。

赤瀬川原平も利休の映画の脚本依頼された時に、歴史の背景を学ぶ為に手っ取り早い手段として手にするのがマンガ日本の歴史。

ワールド・ビジネス・サテライトの「スミスの本棚」でキヤノン電子の酒巻社長が勧めたのもマンガの歴史もの。

『経験も知識も重要だが、たくさん散らばっているだけではダメ。それらを体系づけた形で頭に整理させることを可能にするのが読書。そうすると、知識から知恵になり、仕事の実践の場で役に立つ。』

と。

そんな大義名分に将来子供ができたら、何気なく目にするように本棚へ・・・という思惑がプラスされヤフオクで狙いすましての落札。

暫くほったらかしてあったが、冬の寒い季節に、少し長めに湯に浸かる様になり、砂時計を2回ひっくり返す9分間で読み進めると、数日で百年ちかい時間が流れ、じわりと出てくる汗の代わりに、着々と時間の積み重ねを視覚イメージとして身体に取り込む。

メディアに取り上げられる華のある時代や人物だけでなく、地味でも通り過ごす事なく、ちゃんとその時代を見渡せる、それが包括的な歴史書のメリット。

司馬遼太郎も良いが、誰かの視点から見る歴史でなく、清盛もお江も龍馬も、歴代大河の主人公は全て登場し、その誰でも無い視点で時代をスクロールしていく。焦らずゆっくりと一年かけて追って行きたい。



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「マンガ 日本の歴史 55巻」 石ノ森章太郎 中央公論社 1997 ★★★★
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〈1〉秦・漢帝国と稲作を始める倭人
水稲耕作の伝来とともに弥生時代は幕を開けた―。日本の歴史を常に国際環境の大きな視野のなかに位置づけ、人間の精神や感性の社会との葛藤の模様を描くことにより、歴史的側面はもとより、精神史・文化史までをも再構築する。

〈2〉邪馬台国と卑弥呼のまつりごと
古代日本史最高のヒロイン、卑弥呼登場―。『魏志』倭人伝の記述を手懸りに、弥生時代後期の「倭国」が大乱から統合へと向かいゆく有様、また、弥生文化が日本列島各地域に個性豊かに定着してゆくその過程をいきいきとよみがえらせる。

〈3〉興亡する倭の五王と大嘗の祭
さまざまな神話と伝説とに彩られた三世紀後半から五世紀末―『宋書』倭国伝にみえる「倭の五王」が宋への朝貢を挺に日本全体を統合していくさまを、前方後円墳という墳墓様式の伝播と王の守護神への服属祭儀としての大嘗の祭の形成とを軸に描く。

〈4〉王統譜を編み上げる大和王権
大和王権は中国や朝鮮半島の情勢と連動しつつ、諸豪族を糾合しながら超越的な権力へと発展していく―。一方、渡来人や帰化人によってもたらされた仏教が豪族を崇仏派と排仏派とに分かつなか、王権はさらなる飛躍に向け、選択を迫られる。

〈5〉隋・唐帝国と大化の改新
超越的存在に成長した王権中枢部は血で血を洗う暗闘の場であった―。初の女帝推古天皇と摂政聖徳太子は積極的に国際社会へ乗り出しながら国内の改革を大胆に推進する。

〈6〉律令国家の建設とあらがう神祇
大化の改新に始る急進改革は社会に次第に大きな歪みをもたらし、遂に古代最大の抗争「壬申の大乱」が勃発。大乱に勝利した天武天皇は、本格的な律令国家建設への途を歩み出す。

〈7〉大仏開眼から平安遷都へ
大仏造立を果たした律令国家を専権する仲麻呂・道鏡を抑え天皇親政の道を模索。

(8)密教にすがる神祇と怨霊の祟り
桓武親政と密教により王城の地平安京を造る朝延は、怨霊に悩み藤原氏が擡頭する。

〈9〉延喜の治と菅原道真の怨霊
九世紀末、宇多天皇は能力・識見ともに群を抜く菅原道真を側近に抜擢、藤原北家の反撥は道真の配流事件へ発展する。続く醍醐天皇の国制改革はめざましい成果をみせるが、支配力の強化は没落勢力の鬱念を顕在化させ、「道真の怨霊」を呼び覚す。

〈10〉将門・純友の乱と天暦の治
東国では平将門が菅原道真の怨霊を掲げて朝廷に叛旗を翻し、西国では海賊藤原純友が乱を起す。国衙支配の強化に在地勢力や有力農民らが一指導者の下に結集したのだ。この過程で発生した「兵」たちを内側に取込みながら王朝国家は成熟へと向う。

〈11〉王朝国家と跳梁する物怪
「この世をばわが世とぞ思ふ」と謳歌した道長の摂関政治を華麗に描く王朝絵巻。

〈12〉傾く摂関政治と地方の社会
あらゆる世代の支持を得て「万画」版日本史古代篇完結。忠常の乱、前九年の役を通じ武士は確実にその地歩を築き、歴史は中世へと転回する。

〈13〉院政と武士と僧兵
朝廷に強訴をかける寺社、朝廷警固をきっかけに王権の武力中枢を蚕食する武士―。諸勢力が乱立し社会的成長を遂げるなか、後三条天皇以来の親政の継承・展開を狙う白河天皇によって日本独特の王権の形態「院政」が生れる。

〈14〉平氏政権と後白河院政
摂関家・近臣・貴族を巻き込んで拡大していった鳥羽法皇派と崇徳上皇派の対立は、鳥羽法皇の死歿を機に武士が主役となる武力衝突に発展した―。この保元・平治の乱を経て平清盛による初の武家政権が成立、平家一門は全盛を誇る。

 (15)源平の内乱と鎌倉幕府の誕生
史上の名キャラクターが万画から生き生き立上がる。伊豆に挙兵した源頼朝は平氏との争乱に勝ち抜き、ついに東国に幕府を樹立する。

(16) 朝幕の確執、承久の乱へ
尼将軍といわれた北条政子に代表される「女人入眼」の時代に生きた源実朝の悲劇。巨匠による大人のための「万画」日本史。

〈17〉蒙古襲来と海外交流
高麗を降したモンゴル皇帝フビライは次の狙いを日本に定め国書を送る。しかし幕府と朝廷はこれを無視、執権北条時宗は西国の御家人に“異敵”の襲来に備える指令を発した。日蓮の批判が現実化した蒙古襲来から得宗専制の時代は「旅の時代」であった。

〈18〉建武新政から室町幕府の成立へ
北条専制が進むにつれ、幕府への反発から、荘官、地頭、農民、僧をはじめ権力機構の末端の御家人たちまでもが「悪党」化し、その力は新しい時代の幕開きの原動力となった。そんな動乱の時代に屹立する強烈な二つの個性・後醍醐帝と足利尊氏。

(19) 南北朝動乱のなかの京と田舎
時に荒々しく、時に繊細に流れる歴史の旋律が聞える。社会のあらゆる階層に深い亀裂が生じた南北朝動乱の時代相を劇的に描き出す。

(20) 足利義満、「日本国王」となる
寇の猖獗に悩む東アジア世界を背景に公武統一権力を目指す「日本国王」義満。日本の歴史の向うに世界が見える、新しい発見の愉しみ。

〈21〉土民、幕府をゆるがす
有力守護大名による『宿老会議』の結果、くじ引きで六代将軍となった足利義教。しかし、飢餓と悪疫が流行する社会不安のなかで、日本開闢以来初めての土民蜂起がおこる。本作品は一九九七年度アジア漫画大会で漫画アカデミー賞大賞を受賞。

〈22〉王法・仏法の破滅―応仁の乱
西暦一四六七年五月二六日、京に始った応仁の乱。以後十数年に亘り、西国のほとんどの地域を戦火に巻き込み、栄華を誇った京の都を焦土と化したこの大乱を新視点で把える。本作品は一九九七年度アジア漫画大会で漫画アカデミー賞大賞を受賞。

〈23〉弥陀の光明をかかげて
宗祖親鸞により主に農村中心に普及し、本願寺八代法主蓮如の出現で全国的発展を遂げた一向宗と、町衆と結んだ法華宗の「一揆の時代」を描く。一九九七年度アジア漫画大会で漫画アカデミー賞大賞を受賞。

〈24〉自立する戦国大名
明応の政変で十数年間を不遇な異国の旅に費す足利義材。その間全国的に権力の地方分権化が顕在化し、時代は戦国大名相互の国盗り合戦に。

〈25〉織田信長の天下布武
今川義元を破り、独り立ちの戦国大名としての第一歩を踏み出した織田信長。「万国安寧」を目指して上洛を果たしながら、志半ばにして本能寺に斃れたその四十九年の生涯を描く。

〈26〉関白秀吉の検地と刀狩
京・大徳寺で行なわれた信長の葬儀で、信長の大業を継承することを天下に知らしめた秀吉は関白にまでのぼりつめ、惣無事=平和令によって全国の平定を進めて行く。

〈27〉桃山文化と朝鮮侵略
聚楽第完成と九州の戦勝記念の宴として催された盛大な「北野大茶会」から、厳戒のうちに行なわれた寂しい「醍醐の花見」へ。天下人秀吉が描いた対内外政策の挫折。

〈28〉徳川家康の天下統一
天下分け目の戦を勝ち抜き泰平の世の扉を開いた徳川家康。巧みな人心収攬と堅実な戦略で徳川幕府三百年の礎を築いた「天下殿」の深謀遠慮。

(29) 江戸幕府と朝廷
東照神君の陰で徳川幕府を磐石にする将軍秀忠の布石。幕府はいかにして朝廷の権力を超えたか。江戸時代を築いた“律義者”の静かな闘い。

 (30) 鎖国
「生れながらの将軍」家光が完成させた鎖国政策の実態、幕閣体制を整え強力な将軍権力を行使した寛永時代、幕府は島原の乱に狼狽する。

〈31〉大開発の時代
寛永の大飢饉を経て小農民の維持育成等の勧農政策が幕府により推進されるなか、戦争がなくなり恩賞による知行地拡大が望めなくなった領主たちは、新田開発や用水工事等、自己の領内を開発することで実質的な領地拡大を図っていく。

〈32〉忠臣蔵と生類憐み
「犬公方」綱吉の、力による刷新により、屈折した戦国の遺風「かぶき者」が一掃された元禄時代に赤穂浪士の仇討ちが起る。一方、井原西鶴の草子、近松門左衛門が戯曲を書いた人形浄瑠璃や歌舞伎、松尾芭蕉の俳諧など町人文化が花開く。

〈33〉満ちる社会と新井白石
富士山大噴火の一年後に将軍綱吉がこの世を去り、六代将軍には家宣がついた。将軍親政を意図する家宣を新井白石と間部詮房が支える。「生類憐み令」が廃止され、社会は商品流通の発達で活気を帯びていく。

〈34〉米将軍吉宗と江戸の町人
紀州藩主時代から賢侯ぶりが世評に高かった将軍吉宗。「米将軍」と呼ばれた吉宗は、米価の調整や新田の開発に力を入れ、幕府の懐を潤した。これらの米政策に加え、質素倹約などを進めた「享保の改革」は、幕藩制国家を再建充実させた。

(35) 田沼の政治と天明の飢饉
賄賂政治として悪評の高い「田沼時代」の実像に迫る。年貢増徴策から商品生産・流通課税策への政策転換が新たな社会不安を呼ぶ。

 (36) 花ひらく江戸の町人文化
儒教の絆から解き放たれた町人が形成した〈通〉の世界。宣長・源内・大雅・蕪村・南畝ら多彩な文人が開花させた宝暦・天明期の文化。

〈37〉寛政の改革、女帝からの使者
青年宰相松平定信は、士風の退廃を立て直すため内政改革を性急に断行、幕府主導の商業政策を展開し、農村復興に務める。欧米列強との緊張が高まる中、ロシアからの使者とともに漂流民・大黒屋光太夫が帰国し、異国見聞を伝える。

 (38) 野暮が咲かせた化政文化
馬琴・一九・写楽・歌麿・北斎・広重・南北ら個性豊かな才能が創る庶民文化。

〈39〉飢饉と兵乱と
徳川家斉の時代は商工業の技術革新が少しずつ進み、工場制手工業の萌芽が見られるようになった。しかし幕府の経済政策は破綻し、天保の飢饉が人々を苦しめた。このような状況を悲痛な思いで見つめていた、元与力の大塩平八郎は謀反を起こす。

〈40〉内憂外患と天保の改革
長期に渡って政権に君臨した徳川家斉がその生涯を閉じ、老中首座についた水野忠邦は、内政を立て直すために天保の改革を打ち出す。清の国がイギリスに全面降伏するなど、外患が深刻になる中、国政を憂える渡辺崋山に蛮社の獄が襲いかかる。

〈41〉激動のアジア、日本の開国
次々と訪れる外国船の対応に悩まされる老中・阿部正弘。そんな中ついにアメリカ東インド艦隊司令長官ペリー率いる“黒船”が来航し開国を迫る。強力な武力を持った米国艦隊に対し幕府は抗う術がなく、日米和親条約の締結と横浜開港を認める。

〈42〉倒幕、世直し、御一新
西郷隆盛・高杉晋作・桂小五郎といった「草莽の志士」たちが、維新の時代に活躍するが、坂本竜馬と中岡慎太郎は、新しい時代を見ることなく、刺客の手によりこの世を去った。そして最後の将軍・徳川慶喜の大政奉還により新しい時代が始まる。

〈43〉ざんぎり頭で文明開化
廃藩置県で中央集権官僚体制の基礎が固まると、岩倉具視を特命全権大使とした使節団が米欧に派遣された。岩倉使節団訪米後、政府はさまざまな封建的規制を廃止し、近代化を目指す新政策を矢継ぎ早に打ち出した。文明開化の到来だった。

〈44〉民権か国権か
ゼロから出発した明治の社会が次の段階を迎えようとした時、木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通が相次いでこの世を去った。維新の三傑時代の終焉は、政治が個から組織の時代へと向かう暗示だったのか、この後、民権運動が激化し、憲法発布へと続く。

〈45〉旧石器人の登場
長野県野尻湖は春三月に水を落とし、湖岸の一部が干上がる。その一帯から数十頭のナウマンゾウと十頭近いオオツノジカの骨、さらに石器、骨角器などが発掘された。旧石器人達がこれらの動物を捕え、解体した場所“キルサイト”といわれている。

〈46〉縄文時代の始り
およそ一万二千年の昔。地球上の気候が、寒冷な時期から温暖な時期へと転じる。ちょうど同じ頃、縄文土器の出現によって画される縄文時代が始まる。温暖化した気候のもとで、安定した食料採集に依存し、定住生活を送る日本型の新石器時代である。

〈47〉縄文社会の繁栄
4500年前の新潟県の遺跡から、口のあたりが火の燃え上っているように飾られた豪壮・雄渾な“火焔土器”が発掘された。この頃、縄文文化は山野・海川からの豊かな食料に恵まれて最高潮に達し、東日本では、想像を超える大型住居も生まれる。

〈48〉縄文時代の終末
土器の様式や人生の節目に行われる抜歯の風習、婿入婚と嫁入婚など、東西二つの文化圏に分けられる縄文晩期。北部九州に到達した渡来人がもたらした水稲耕作技術は、食糧事情を一変させ、やがて収穫物をめぐり人が人と戦う時代へと向かわせる。

〈49〉明治国家の経営
明治23年、東洋初の憲法の下での最初の衆議院議員総選挙が実施された。選挙の結果は反政府派の民権派議員が過半数以上の議席を獲得。帝国議会は、打倒藩閥政治を叫ぶ民党と政府が正面衝突し対立を繰り返した。その両者が歩み寄る機会となったのは、明治27年に開戦を迎えた日清戦争だった…。

〈50〉大日本帝国の成立
日清戦争後、列強の利益獲得競争は清国ばかりでなく韓国にも及び、特に日本とロシアがしのぎを削った。独立自衛のための生命線確保を目指し、大陸への膨張政策をとりだした日本にとって、ロシアの南下政策は大きな脅威となっていた。そうした状況下、日本はロシア牽制のため、英国との同盟を模索する。

 (51) 大戦とデモクラシー
政党内閣か超然内閣か大戦の狭間で動揺する国内政治。政党が成熟し護憲運動が盛り上がる日本は大戦と革命という世界変動に直面する。巨匠による大人のための「万画」日本史。 -

 (52) 政党政治の没落
満州事変から二・二六へ、政党政治の挫折と軍部独走。テロリズムがモボ・モガの時代を揺るがし国際連盟を脱退し日本は世界で孤立する。

〈53〉日中戦争・太平洋戦争
1937年中国蘆溝橋に響いた銃声は日中全面戦争に拡大。大東亜共栄圏構想を展開する日本の武力行使で、英米との対立が激化する中、日独伊三国同盟が結ばれた。1941年、日本が英仏蘭に宣戦布告。拡大する戦火はアジア諸国を日本と欧米との戦場とし、日本は国家総動員体制のもと太平洋戦争に突き進む。

〈54〉占領から国際社会へ
1945年8月日本が無条件降伏をし、蘆溝橋事件から八年、満州事変から数えれば十四年に亘る、総力戦の名のもとに国民を駆り立てた「戦争の時代」が終わった。日本は、最高司令官マッカーサー率いる連合国軍の軍事占領下に置かれ、民主化と非軍事化を柱に憲法改正をはじめとする占領政策を実施される。

〈55〉高度成長時代
米ソ冷戦の結果として安保体制を代償に、日本は講和独立を獲得。国家的自立の道を歩み始めた。だが1960年、“日米安全保障条約改定”を機に、安保反対闘争が一気に激化。岸内閣は国会に警察官を導入、強行裁決を行なった。この未曾有の騒動に内閣は総辞職、代わって池田内閣が成立。以後日本は、急速な経済成長を遂げ、大きく社会変貌していく。

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