2006年12月31日日曜日

おしりフリフリ


2006大晦日。一歳5ヶ月の甥を乗せ、兄夫婦と共に帰省の途につく。

チャイルドシートに括られた彼の視線の席には、車内テレビを使って流されるDVD。兄がせっせと蓄えたというNHK番組「お母さんといっしょ」のスペシャル・エディション。

「はいはい」をやや遅れ気味で卒業した甥は、身体の自由を獲得してからというもの、束縛されることに過激なる拒否反応を示すという。例えばチャイルドシート。括り付けられしばらくすると・・・「ギャーーーーーーー」というわけ。そうなるとリーサル・ウェポン、視覚と聴覚を同時に刺激し、さらに身体性をも喚起する永遠なるドル箱番組「お母さんといっしょ」の登場となる。朝の番組を録画、編集してるから、画面左上の時間表示は常に8時半あたりで少々ややこしいが、これをつけると甥はぴたりとそのムンク級の叫びに終止符を打つ。そうなると助手席に座る僕はただの障害物。「邪魔だよ、おじさん」と伝える手立てのない彼は、身体を仰け反らせて画面に食い入ることで、僕の身体を動かすのに十分なアピールをする。

こちらは麻布の更科そばを手土産に帰っていったのだが、兄はなぜかDVDプレイヤー。孫のすがたをいつでも見れるように、という意図の奥底には、いつでも「お母さんがいっしょ」が流せるようにという伏線が引かれていたとしるのは後からのこと。

ちょっとママが見えなくなると、ほしい携帯をくれないと、ペットボトルのキャップが空かないと、グゥーーっと身体を後ろにそらして、「ギャーー」。「よ、イナバウワー!!」とはしゃいでるのは僕だけで、兄夫婦はさっとリーサルウェポン起動。どこからともなく流れる「おしりフリフリ」。そしてイナバウワー終了。

この「お母さんといっしょ」。MCが二人いるのだが、時代だなと思ったのは、女性が元宝塚。男性が元劇団四季。歌って良し、踊って良し、笑顔は満点。そしてイケメンに、可愛いとくれば、若い親世代までがっちりハートをつかめるわけだ。これははずさないなと、なんだか納得。見慣れてくると、男性MCの作り笑顔っぷりが少々気になるという兄のさりげない言葉にもなんだか納得。

須藤元気の引退宣言も、桜庭の壮絶なKO負けも、OZMAの裸スーツも見ることなく、ひたすら、ひたすら「おしりフリフリ」の年明け。日本に帰ってからテレビを購入してないので、久々のテレビに少々期待をしていたが、まぁこういうのもいいかなと。一人「フリフリ」を口ずさみながら、「これが初夢に出てきたらどういう意味なんだろう」としなくてもいい心配をしながら除夜の鐘を聞く2006の末。

かしこ。

2006年12月15日金曜日

呑み仲間


日本に帰ってきてからというもの、少なくない友人は僕のことをかるいニートだと勘違いしているようだ。自宅の改装も道楽でやってる明るいニート。遠からず近からずというとこだろうか。

最近ほんとに幸せだと思うのは、東京に帰ってきてもまったくの違和感のない呑み友達といえる友人がいること。ロンドン時代の友人をベースにした仲間達で、年齢も歳もバラバラなのだが、なぜかいつもの場所に行くと、いつもの面子がいつもの酒を呑んでいる。忘年会も新年会もいい歳したおっさんだらけ。チョイ悪でもなんでもない、自分の好きなことをして生きてるおっさんばかり。そんな彼らは決して仕事がつまらないとか、つらいとか口にしない。だから気持ちいい。というか、ちゃんと仕事してるのか心配になる。明るいニートは友達思いでもある。

おっさんに紹介するのは、必然におっさんになるのだから、芋づるおっさん形式で、また一人とちょっと気持ちのいいおっさん集団が増えるわけである。「いや、彼はいい」と、紹介した友人を褒められると、なぜか心の中でガッツポーズ。そして焼酎おかわり。

そんなおっさんに捧げるために、オフィスの入り口にバーを設置しようと本気で考えてる明るい道楽ニートな今日この頃。

2006年10月25日水曜日

Temple of the Right Angle イリノイ工科大学クラウンホール ミース・ファン・デル・ローエ 1956


イリノイ工科大学にミース設計によるオーディトリアムがある。鉄骨とガラスによるシンプルに典型的なインターナショナルスタイルの建物で、「直角の社」といって問題ない近代建築史における名作である。その中で開催された「Thinking Outside of the Box」と題されたシンポジウム。20世紀の巨匠に捧げるレクイエムとしては申し分のないトピックな訳である。

NYアラップのトップが主催しただけあって、世界中の一流建築家や構造設計家、コンサルタントやディヴェロッパーが集まった。アラップ・北京代表のローリーからアラップ・NY代表のデビット、アラップ・ジャパン代表彦根さんを紹介された。ザハのパートナーのパトリックもプレゼンに来てて、「どうも、ひさびさです」と挨拶。昼時にかつてOMAでイリノイ大学の学生センターを手がけたマークが、当時の構造設計を担当していたローリーと共に建物を一通り案内してくれる。構内に通る高架鉄道をコンクリート・チューブで覆い、下層部を複層化し両側を結合するという設計。構内を歩く途中にも「あ、ミース」、「あ、クールハース」、「あ、モーフォー・ヤーン」と飽きることがない。

しかしプレゼンが近づくにつれて、なんかこう久々に緊張してくる。500人近いアメリカ人を舞台から見ていると、「いや、何しゃべろうかな・・・」と軽く凹んだりする。しかし、一度話し出せばベラベラ喋ってあっという間にプレゼン終了したのだが、その後に少なくない人が「いや、よかったよ」と言ってくれるのはやはり励みになる。

一日目のセッション終了後に雑誌の取材を受け、そのままカクテル・パーティーへと流れる。その上のビルにSOMのオフィスが入っているので、そこで働いてる知り合いにオフィスを案内してもらうことにした。NYKPFのオフィスを見学したときもそうだけど、アメリカのコーポレィティブ・建築事務所のオフィスは、どーんと抜けていてスペースにかなりのゆとりを持ったいいレイアウトになっている。そんな中でなぜだかパーティーをしている彼らを見て、こりゃ仕事がはかどるはと、なぜか納得。

明日はただ聞くだけなのでなんのプレッシャーもない。
営業と建築巡礼とハロウィン用のコスチューム探しに奔走しよっと。







2006年10月24日火曜日

Less Is More


シカゴといえばミース。
ミースといえば[Less is More]

近代高層建築の発祥の地シカゴで、明日から「ボックスの外へ」と題された国際建築会議が開催される。ミースの言葉と「ファンズワース邸」や「レイク・ショア・ドライブ」に代表されるように、近代建築が目指した装飾を削ぎ落とした洗練。その先に行き着いた触れただけで切れそうな箱型のスカイライン。

20世紀に振り切れた高層建築というタイポロジーの振り子が、現代における技術の発展を想像力を持って、これからどのような振り返しが期待できるのか?という主旨のシンポジウムな訳である。世界中からザハ・ハディドやダニエル・リベスキンドなどのそうそうたる顔ぶれにまじり、我々もカナダのトロントのタワー案をプレゼンするために招待され、冬が目の前に迫るシカゴにいる訳だが、それにしても寒い・・・

ミースのみならず、ライト、SOM、サーリネン、マーフィー・ヤーン、クールハース等々とシカゴは近代から現代建築の都市美術館みたいなもので、シンポジウムありの二日間という過酷なスケジュールの中、どのルートがベストかを考えているだけで眠れない・・・

2006年8月9日水曜日

ビバ過去問


問題

>運転中、運転員がたんを吐きたい場合、どうすればいいのか。

A 車窓から道路へ吐いてもよい
B 手元にある紙に吐いて、停車してゴミ箱に捨てる
C 車内の床に吐いてもいい

中国のタクシーの運転手の95%はAを実行しています・・・

久々に中国に帰ってきたので、ちょっと前に取得した中国での運転免許に関して。この国からなにか頂いて帰ろうと一念発起し、中国での運転免許を取ろうということで試験を受けてきた。結果的には見事合格で、晴れて中国公安部お墨付きで大陸での運転を楽しむことができるわけである。それにしてもこの試験、かなりお国柄がはっきりとでて面白い。

ちなみに上の問題の正解は・・・ B
更にこんな問題もある。


>乗客を運送して、車内に乗客の忘れ物があることに気づいた場合は。

A 自分が使用する
B 直ちに乗客を探したり、公安部門に届けたりする
C 向こうと相談して、報酬を要求する

正解 B


>運転中、眠気を取りさく一番いい方法は。

A 停車してちょっと休んだり、車から降りて動いたりする
B 話す
C タバコを吸う

正解 A

問題作成者のセンスのよさをただ褒めたくなるような設問だらけ。前日、友人とこんなの絶対出ないよねと大爆笑していたのだが、それが本当にでるから驚く。ビバ過去問。

試験は45分で100問。そのうち90点以上で合格だというのだが、コンピューターで問題を行うので、終わった人はとっとと提出ボタンを押し、画面の右上に笑顔のアイコンが出たら合格という。あまり考えても変わらないかなと20分ほどで終了し、そして提出ボタンへとマウスを伸ばすのだが、出てきたアイコンは笑っているのか、泣いているのかなんとも取れるので、手を上げて試験官を呼んで確認。で、笑顔だと渋い顔で言われる。

うん、笑顔。オッケイ中国。

2006年6月21日水曜日

チャイ 拆


二年前のこの時期、イスタンブールに居た。大学院時代の友人のトルコ人がこれまた同級生のポルトガル人と結婚するというので、のこのこ出かけていった。そこで飲むのはやはりチャイなのだが、チャからティーへと文化の変遷地なんだと思うとなんだか一層美味しく感じた。

茶の文化を運んだシルクロード。今、その東の果てでいるべきでない「チャイ」が街に溢れている。

「チャイ(拆)」。

先日、大山子(798)で北京の現代アートシーンの仕掛け人の黄鋭(ホアン・ルイ)さんのアトリエに伺った。ずかずかと寝室から屋上まで上がらせてもらったのだが、その時に現在作成中だという、「CHI-NA・拆那(チャイナ)」という作品を眼にすることができた。

「拆」というのは、政府が取り壊すことを決めた建物に、「近々取り壊します」という意味ででかでかと赤丸つきで壁にしるしをつけるもの。

日本の様に何年もかけて交渉なんてものはさらさら頭にないので、「チャイ」が現れた数ヶ月以内には建物はすでに再利用されるレンガの塊へと解体されている。

CHI-NA・拆那」という作品は、あまりの速度で解体されていく北京とCHINAは、どこにいくのか?というメッセージをこめたもので、2008年のオリンピックまでに完成目標だとのこと。

こんな様に、できることなら見かけたくない「チャイ」なのだが、ある時友人に「チャイ」のもたらした面白い現象について聞かせてもらった。

その彼は「アーバン・チャイナ」なる雑誌を媒体に社会学的なリサーチをしているのだが、ある地方都市で突然「チャイ」の刻印をされてしまった家族がその主人公。

「チャイ」される家族は悪いことばかりでなく、補助金がでてバス・トイレ付のアパートに引っ越すことができる。しかもその補助金は既存の建物の床面積に比例して支給されるという。そこに目をつけたデキルお父さん。チャイされる前になんとか床面積を増やそうと、なんと5階建ての建物に改装してしまったという。先を見通す眼を持ったお父さんだが、まさか政府が「チャイやめます」といい出すとは予想だにしなかったのだろう。

そんな訳で、チャイの副産物として生み出された5階建てビルだが、そこはさすがビジョナリー・家族、ただでは起き上がらない。かつて小学校の先生をしていたお母さんは自宅で寄宿舎付の塾を開設、23階はそれで埋められた。45階は家族専用に当てられ、昔から鳩が好きだったお父さんは屋上で鳩の飼育なるものを始める。しかもそこで育てられた鳩が「中国伝書鳩コンテスト」で一等を獲得するほどになるのだから、このお父さんただものではない。

チャイをめぐる狂想曲、しばらくは皆が踊らされることになりそうだ。

2006年6月16日金曜日

鬼が来た


「鬼が来た」という映画がある。2000年カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作である。

日中戦争中下の中国の農村を舞台に、ある夜軒先に置かれた袋に入った日本兵を預かることになった農民を中心に、戦争という非日常という中であくまでも個人を描き、それでも最後は国と国民という枠に還元されてしまうという、中国発の名作映画である。

今、「鬼」のいる国がある。しかもその鬼は今年二十歳になったばかり。

その国とはイギリス。
ルーニーのいる国。

奴と対峙することになったディフェンダーの恐怖は想像するに難くない。なんせ、かの国のフォワードならとっくに倒れのた打ち回るようなタックルを食らわしても、ヒョードル並みの腰周りで苦にもせず、万一倒れてもファウルなど期待せず直に起き上がりさらにボールを追う。

奴にボールを触らせる恐怖の余り、ディフェンダー達は数人がかりで行く手を阻むが、扉をこじ開け、乗り越えてでも先に進もうとする。明らかなファールが審判に取られないときは、プレデターの様な形相で雄たけびを上げる。目をあわせたら食われそう。

数年前、自分が鬼の国に住んでいた頃、彼はまだ餓鬼というレベルで、十代でありながら顔と態度は三十代の印象だったが、かつてのライバル・チームに移籍し、名将の下で過ごした二年ですっかり餓(我)が取れたようだ。

画面を通しても聞こえてくるような大声でボールを呼び、けが人が出たのかと思うほど両手を掲げてボールをよこせと指示をする。そして華麗なフリーキックを決めた主将に満面の笑顔でその豊満な身体をゆらし飛びついていく。

「俺、俺」詐欺はかなりの決定率だったらしいが、フィールドの上で殺気を放ちながら両手を挙げ、「俺、俺」と叫ぶ鬼がかの国に出現するのはいつの事になるのだろう。